「特攻戦士神風」などの主題歌の作詞を始めました

どうも、同人結社鬼姫狂 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

なんか、ものすごく久しぶりにブログを書きます。

現在、漫画版「鬼神童女遊侠伝/猪男の大城砦」の色塗り作業をコツコツ進めています。
たぶん、漫画版の完成までに半年くらいかかると思います。

さて、「猪男」の色塗り作業中に、学生時代に書いた「鬼神童女遊侠伝」シリーズ以外の脚本を再解釈して商品化できないかと考え始めまして、「鬼神童女遊侠伝外伝」として無理矢理に武州鬼姫信仰と結び付けて、鬼姫狂団として主力作品にしていこうと決めました。

で、それらの学生時代の脚本のうち、特にお気に入りで、学生時代の友人にも好評だった「特攻戦士神風」と「メカドッグVSマシンウルフ」について、娯楽作品によるメディアミックスにとって最も重要な電子媒体、紙媒体、玩具、文化活動で新規に商標出願をし、とりあえず原作を一本完成させて発表することにしました。

とはいえ、「猪男」の色塗りが最優先なので、まだまだ大それたことはできません。

そこで、まず「特攻戦士神風」や「メカドッグVSマシンウルフ」などの主題歌の歌詞を自作してしまおうと思い、「特攻戦士神風」の歌詞を試作しました。
15年物の熟成世界なので、いざ書き始めるとサクサク進み、一晩で王道七五調の歌を3番まで書き上げてしまいました。
自分は巷で流行るようなやたらとアップテンポで文字数の多い歌があまり好きではなく、昭和歌謡のような古き良き七五調作詞の歌が好きです。
「鬼神童女遊侠伝」の主題歌も王道七五調なのですが、「特攻戦士神風」の主題歌もやっぱり王道七五調なのです。

「七五調なんてダサ~い、小学校の音楽の教科書みた~い」とか言うような層もいるとは思いますが、音楽の教科書に載るということは、音楽理論の基本に忠実かつ王道で正統派ということです。

母親が一応音大のピアノ科出身で教員免許も持ってた人なので(職業音楽家じゃないし、先生として教壇に立ったことはないし、更新してないから免許も失効ではあるが)、「今時流行ってる歌は音楽的にはめちゃくちゃで、五線譜すら読めない人が作曲家を名乗ってたりしている。教科書に載るような七五調の歌を軽視する人は、一流とは言えない。本当にいい歌は基本に忠実」と言っています。

で、アニメなどの主題歌について談義していたことがあるのですが、「主題歌は主題歌というくらいだから、その作品の世界観がその歌を聴いただけでパッと理解できるように作られていないといけない。歌を聴いてなんの作品の歌だかわからないような歌詞は、主題歌ではない」という考えで一致していました。

なんか、こう、主題歌とされているはずなのに、内容と全くかみ合っていない、単なるタイアップソングとか多いじゃないですか。
単体の歌として聴けばそういう歌なんだなとなるのが、なまじ主題歌とされているのに、内容とかみ合っていないので、先入観なく歌だけ聴いても主題歌と気づかない例が多いのです。

「鉄腕アトム」の主題歌「鉄腕アトムの歌」
「月光仮面」の主題歌「月光仮面の歌」

作品の題名と歌の題名がほぼ一致していて、歌詞にも作品の重要な言葉がちりばめられている、そういうのが、いい主題歌なのだと思います。

なので、自分は愚直に王道七五調作詞の主題歌らしい主題歌を作るのに意義を見出しています。

で、「特攻戦士神風」の主題歌の試作第1案をここに公開します。

完成音源は販売対象ですが、歌詞そのものは無料公開します。
歌詞を無料公開しますが、著作権は留保していますので、無断使用は厳禁です。

鬼神童女遊侠伝外伝
特攻戦士神風の歌 作詞・民富田智明


朝日が照らす 武蔵野に
独り道行く 快男児
平和神示を 果たすため
白刃(しらは)を振るって 大暴れ
あれは漢(おとこ)だ 英雄だ
特攻戦士 神風だ


夕陽が照らす 関東に
独り道行く 快男児
女子供を 守るため
黒衣をまとって 大暴れ
あれは漢だ 豪傑だ
特攻戦士 神風だ


月夜が照らす 日本(ひのもと)に
独り道行く 快男児
巨悪組織を 倒すため
拳銃(はじき)を握って 大暴れ
あれは漢だ 武士(もののふ)だ
特攻戦士 神風だ

Copyright©2022 民富田智明/同人結社鬼姫狂 All Rights Reserved.

試作第1案ですが、これ以上ないってくらい、「特攻戦士神風」の歌になっていると思います。

ここはぜひとも、小林旭、鶴田浩二あたりの雰囲気で歌詞を読んでいただくと、出来上がった歌の感じがわかると思います。

人形劇団時代、女子9割というのもありますが、周りはみんな今時のアニソンばっかで、「プリキュア」「おジャ魔女」「セーラームーン」は知ってても小林旭とか鶴田浩二が通じなかったんですよね……。
東映? 何それみたいな感じで。
「プリキュア」「おジャ魔女」「セーラームーン」、どれも東映アニメですが……。

自分は根っからの東映信者ですね。
侍、任侠、変身、二次元美少女……。
どれも東映から吸収したものばかり。

いつか東映と手を組めるようになるのが鬼姫狂団の真面目な夢だったりします。
全然お金ないけど、東映の株主になりたいっす。

鬼姫山回峰行 第14回 武甲山

どうも、同人結社鬼姫狂団 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。

鬼姫山回峰行として、埼玉県秩父市と横瀬町をまたぐ武甲山(標高1304m)を踏破してきました。

鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。

今回登った武甲山は、秩父の象徴として古くから信仰の対象とされてきた山であり、町の中心地に鎮座する秩父神社の神体山とされています。
武甲山の名前の由来は、日本武尊(ヤマトタケル)が自らの甲(かぶと)をこの山の岩室に収めたという伝説が元禄時代に広まったことにあるようです。
また、秩父嶽とも、妙見山とも呼ばれるようです。
武甲山は、秩父の象徴とされるように、秩父を取り囲む山々の中でも、ひときわ目立ちます。
しかしながら、明治以降にセメントの原料となる石灰岩の採掘が行われるようになり、豊富な石灰岩と引き換えに、著しく山体が崩壊し、痛々しいまでに斜面がえぐり取られた異様な景観になってしまいました。
武甲山の山頂には武甲山御嶽神社が鎮座していますが、元々の山頂部はセメントの採掘で削り取られてしまったので、移転されたもののようです。(山頂部が削られたので、標高も低くなったそう)
セメント産業は、武甲山から授かった多大な恩恵であるのは事実ですが、本来神聖な山である武甲山が日に日に破壊されていくというのは、色々と複雑な心境にならざるを得ませんね。
武甲山は、セメント採掘場である前に、古来より神様が住む山です。
そのため、削られていく秩父の象徴を想い、特別に真剣な気持ちで登りました。

武甲山の遠景。
雄大だが、山体崩壊が著しい。
これでも秩父神社の神体山です。

我々も武甲山のセメントの恩恵に与っているので、セメント採掘をやめろなどとはなかなか言えません。
とはいえ、貴重な植物群や、巨岩群、縄文時代から近代に至る歴史遺跡も消滅してしまったとのこと。

午前8時すぎ、武甲山登山口駐車場に到着。
すでに車が沢山いて、なんとか1台分の余裕はあり、自分の車だけは駐車できました。
駐車場は大きなハチが飛んでいて、車外に出て準備をするのが怖かったです。

駐車場の入口には、ここが神社の表参道であることを示す鳥居があります。
日陰で暗いのですが、鳥居の前にはお狗様が4体立っています。
秩父は山狗信仰が伝わるところです。
武甲山も山狗信仰の神社なのです。

案内板によると、山頂までは片道2時間10分程度とのこと。
脇にあったポストに登山届を記入して投函し、準備体操して出発しました。

しばらくは傾斜のない道を進みます。

沢沿いにある廃屋のような建物を過ぎるところから、傾斜がきつくなってきます。

かっこいい滝。
まだまだ歩きには余裕があります。

沢沿いを延々と進みます。
日曜なので、登山者は多かったです。

道標が逆光で読めない。

他の山との分かれ道を過ぎると、本格的に石だらけのゴツゴツ道が始まります。

延々と進みます。

冒険心をくすぐる橋がありました。
すき間だらけなので、足元に注意しないと踏み外します。

延々と進むと、不動滝というかっこいい滝がありました。
水を汲めるようになっていて、大量のペットボトルが置かれていました。
「山頂の公衆便所の水洗用に、無図の運搬にご協力ください」とのこと。
大は8L、小は6Lを目安に、と書いてありましたが、2Lボトル1本を運ぶだけでもかなり負荷がかかるので、1本しか持ちませんでした。
コップも置いてありましたが、あくまでも滝であって湧水ではないので、飲むことは避けました。
そもそも、コップ自体が放置されている感じで、衛生的な感じではないですし。

滝の脇にはお地蔵さま。
登山の無事を祈りました。

滝をしばらく進むと、武甲山御嶽神社参道とありました。
延々ときつい登りが続きます。
道の途中で、三十丁目のような到達度の目安石がいくつも立っています。
山頂部で六十丁目だったか……。

延々と進みます。

延々と進みます。

謎の祠。

延々と進みます。

延々と進みます。
この辺、かなりきつめです。
これを過ぎて、ちょうど真ん中あたりとのこと。

広い平坦なところに出ました。
休憩のための丸太の腰掛がいくつかあります。

あと60分。
まだまだ先が長い。
ここで、大きめの休憩をとりました。

車を置いてある登山口は標高515m地点とのこと。
実質的な登る高さは、789mでした。
以前登った関八州見晴台の標高がその辺でした。
標高789mでも十分きついです。

延々と進みます。

延々と進みます。

延々と進みます。

体力的にかなり余裕がなくなってきており、小休止の頻度が増えてきました。
なんでこんなきついことやってるんだろうと、雑念が生じてきます。

延々と進みます。
なんとなく、先が開けてきた気がしました。

明らかに、先が開けてきました。

きつい坂を抜けて、広いところに出ました。
多くの登山者が休んでいました。
青空が広がっていました。

ついに、武甲山御嶽神社に到着です。
きつかった。

お狗様。

お狗様。

神社を参拝した後、奥に続く山頂を目指しました。

鐘楼がありました。
かつては、もっと大規模に修行場が栄えていたようで、お寺もあったようです。
この鐘楼は、その名残でしょうか。

山頂まであと少し。

ついに、山頂です。

フェンスの向こうはセメント採掘場で、断崖絶壁になっています。

山頂からの秩父市街地の眺望。
標高1304mとなると、さすがに高度感がすごいですね。

かろうじて、採掘場が見えました。
白いぼやけているところが採掘場です。

由緒書き。

神社の社務所裏に、公衆便所の水洗用のマンホールがありました。
ここに、滝で汲んできた水を注入します。
自分の山岳修行の経験が、「便所の水洗」という、世のため人のために役立った瞬間です。
空になった2Lボトルに加えて、もう1本の2Lボトルもリュックに突っ込んで、先程の滝に戻すことにしました。

これが、滝からこの身で運んできた聖なる水です。

神社の参拝を終えて、20分ほど休憩をとり、下山を始めました。
下りは圧倒的に負荷が少ないですが、足を滑らせたり、つまずいたりして転倒する危険があります。
慎重に進んでいきました。

案の定、何度かズルっといって焦りましたし、滝にボトルを戻してから50mくらい下りていったところで、転びました。
石がゴツゴツしていない土の道でしたし、おしりから転んで安全に受け身を取ったので、大したことはありませんでした。
しかし、暑いからとグローブをはずしていたのがあだとなり、受け身を取った際に右の手のひらを少し切ってしまいました。
しかも、あろうことか、ちょっとしたケガのための絆創膏を家に忘れてきてしまいました。
さらに、消毒液もありませんでした。
なんたる失態。
大したケガでもありませんが、止血のために、首に巻いていた汗拭きタオルを手のひらに巻いて固く握り、しばらく進みました。

100mくらい進んだところに、安全に手を洗えそうな沢があったので、応急的に土で汚れた手を洗いました。
もちろん、水道水ではなく沢水なので、水そのものに危険な細菌がいる可能性もあります。
とはいえ、傷口が土で汚れている状態よりはましなので、きれいに洗い落としました。

止血のためにタオルを握りしめたまま、延々と進みました。

だんだん血が止まってきて、タオルを握らなくても平気になってきて、疲れ果てて駐車場に戻りました。
絆創膏がなくても問題なく車のハンドルが握れる状況だったので、秩父市内に絆創膏を買いに行くこともなく、そのまま帰路につきました。

帰り道、武甲山のすぐ近くにある秩父観音霊場札所8番に立ち寄って、仏様に登山の無事を報告し、

お寺の駐車場にあった公衆便所で入念に傷口を洗ってから、国道299をぶっ飛ばして帰りました。

ちょうどお昼頃だったので、芦ヶ久保の道の駅に立ち寄って何か食べてこうと思いましたが、ありえないほどの満車だったので諦めて、そのまま直帰しました。

これで、武甲山の踏破は完了です。

今回の教訓としては、たとえ夏で暑くてもけが防止のためにグローブをはずしてはならないということと、絆創膏と消毒液の常備を怠らないということですね。

次の鬼姫山回峰行をどこにするかは未定ですが、お寺と城跡の両方を楽しめる小鹿野町の札所31番観音山に行ってみようかと思っています。

もしくは、奥多摩か、神奈川県の丹沢山系あたりに進出するのもいいかもしれません。
神奈川は、大学生時代に厚木で2年(映像学科)、戸塚で2年(心理学科)住んでいるので、箱根、小田原、大山、鎌倉あたりは遊びに行っていて、結構身近に感じています。(地理的にも、横浜と川崎は武蔵国の一部ですし)

神奈川の山ガイドも本屋で買ってこないとですね。

鬼姫山回峰行 第13回 武蔵御嶽

どうも、同人結社鬼姫狂団 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。

鬼姫山回峰行として、東京都青梅市にある武蔵御嶽神社(標高929m)を踏破してきました。

鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。

武蔵御嶽神社は、秩父神社、三峰神社、宝登山神社と並んで山狗信仰が伝わる修験道の霊場で、なんと紀元前91年の創建ともいわれる古社です。
736年に行基が蔵王権現を勧請し、神仏習合の流れの中で修験道が盛んになっていったようです。
御嶽というのは修験道の中心地である奈良県吉野の金峯山のことを指すそうで、修験道のしゅの字もない紀元前には、名前すらなく、単に山の神が住まわれるところ、くらいの感覚だったと思います。

武蔵御嶽神社は、JR青梅線御嶽山駅から車で5分ほど登ったところにある御嶽山ケーブルカーが登山の起点となります。
ケーブルカーに乗れば6分で山頂近くまでいけますが、今回は運動目的なので、麓から表参道を歩いて行きました。
ネットの下調べで片道90分とあったので、覚悟して入山です。

午後から雷雨の予想だったので、空の状況を見て、青空が広がっているのを確認して行きました。

ケーブルカー駅駐車場。
ここまでかなりの急坂を登ってくるので、実は標高929mのうち400mくらいは稼いでいる模様。

御嶽山3.4㎞とあります。
ここが表参道入口です。

ここですでに急勾配です。

人工っぽい滝行場があります。
使われているかはわかりません。

参道を登り始めます。
山の上の神社や、御嶽講を先導する御師が経営する宿坊に物資を運ぶために、全面舗装されています。
かなり急勾配な上に、切り返しの必要なつづら折れもあり、ガードレールのない離合困難な狭路が続くので、関係者以外通行禁止となっています。

風景的には変化のないきつい登りが延々と続きます。
写真だと大したことないように見えますが、実際に歩くと、あっという間に息が上がって汗が吹き出します。
疲れ果てながら、なぜ自分はこんなきついことやっているんだろうと、雑念が出てきます。

延々と歩きます。

延々と歩きます。

延々と歩きます。

延々と歩きます。

延々と登り続けると、ケーブルカーと交差します。
ちなみに、ここでクロネコヤマトとすれ違いました。

ケーブルカーをくぐった先に、お地蔵さま。

きつい登りは過ぎましたが、まだまだ道は続きます。
舗装されていて歩くためには広いので、壁側を歩けば滑落する心配はありません。
しかし、崖側はかなりの傾斜で高さもあるので、落ちればまず助からないでしょう。
車だとかなり緊張を強いられそうな道ですね。

だんだん先が開けてきて、

山上集落に着きました。
御嶽講の先達である御師が代々経営する宿坊が密集しています。
高野山町のように町ひとつ山の上にあればいいですが、宿坊群だけが山の上にあるというのは、生活のためにはかなり不便がありそうです。
宿坊群は麓にあったほうが参拝拠点としては良かったのではないかと思ったりしました。

集落のほとんどは宿坊です。

宿坊群を抜けると、信じられない急勾配の坂があるので、そこを進みます。
凍結したら、車で登るのはまず無理でしょう。

急坂を登って土産物屋を過ぎると、神社の入口が見えました。
ここで、雷がゴロゴロ鳴り出したので、急ぎました。

疱瘡神の祠。

立派な山門。
60分ほどの登りで疲れ果てていますが、ここからさらに石段が続きます。

二の鳥居をくぐって、

拝殿が見えました。

威風堂々の拝殿。

武蔵御嶽神社には山狗信仰が伝わるので、拝殿の前にはお狗様が立っています。

お狗様、下から。

お狗様、下から。

お狗様、上から。

お狗様、上から。

神社は山頂部にありますが、境内からだと、そこまで眺望は開けていません。

ここで、雷がかなり近づいてきたのか、ゴロゴロが激しくなってきたので、記念にお守りを買って下り始めました。

なぜか騎馬武者像があり、畠山重忠公とのこと。

登りは歩いて行きましたが、雷雨に降られる心配があったので、下りはケーブルカーを使うことにしました。

発車時刻は13時15分、20分ほど待ち時間があったので、近くのベンチでお昼のおにぎりを食べました。

で、こんな山の上にも東京オリンピックマスコットであるミライトワ、ソメイティのオブジェが置いてあって(高尾山にもあった)、オリンピックの強行開催のごり押しぶりを堪能しました。
ちなみに、地元の霞が関カントリーはゴルフの会場になっているので、駅前も長らくミライトワ、ソメイティの垂れ幕だらけになっています。
個人的には、オリンピックを強行せずに延期でもいいんじゃないのと思っていましたが、気が付けばオリンピックの直前ですね。
オリンピックそのものには疑問も多いですが、なにげに、マスコットのソメイティがかわいくて好きです。
ソメイティの由来が桜のソメイヨシノとso mighty(非常に力強い)からきているそうで、超人的パワーを持っているとのこと。(オリンピック公式サイトより)
桜をイメージしたスーパーヒロインという意味で、お凜様とかなり属性が近いですね。
ソメイティは東京オリンピック専用キャラとのことで、オリンピックが終わったら儚く忘れられていくのかもしれませんが……。
イベント一回ぽっきりのキャラよりも、1000年、2000年残る余地のある新しい神仏を提唱した方が、日本文化の発展には有意義であると思っています。
キャラクタービジネスではなく、偶像崇拝に基づく民俗信仰と表現したいところです。

そうこうしているうちに雷雲が急接近してきたようで、ケーブルカーが13時8分に臨時発車することになりました。
下山すると、すぐに緊急停電となり、ケーブルカーは運休になりました。
トイレに行っているうちに雨が降ってきて、駐車場に向かうと完全に大雨になり、出発の準備をしている間にずぶ濡れになってしまいました。
山の上でゆっくりしすぎていたら、酷い目に遭うところでした。
登山を開始したときはあれだけ青空だったのに、山の天気は読めないですね。
雨でずぶ濡れにはなったけれども、晴れているうちに無事に下山はできているので、よしとします。
かなりの集中豪雨で帰り道の運転は緊張しましたが、事故もなく帰宅しました。

これで、武蔵御嶽神社の踏破は完了です。
そのうち、奥の院も挑戦したいですね。(もちろん、神社までの登山道は省略したいので、ケーブルカーの往復で)

鬼姫山回峰行 第12回 高尾山

どうも、同人結社鬼姫狂団 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。

鬼姫山回峰行として、東京都八王子市の高尾山(標高599m)を踏破してきました。

鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。

高尾山は、東京都屈指の観光名所として名高い秩父山地の東縁に位置する山で、古くから神仏習合の修験場として栄えてきたところです。
現在でも、744年に創建された真言宗寺院の薬王院が鎮座しており、山全体が境内地となっています。
高尾山薬王院は、もともとは薬師如来が祀られたことから薬王院と名付けられたようですが、その後神仏習合の流れの中で修験道が隆盛となり、飯縄権現が守護神として祀られてそれが本尊となったようです。
高尾山では、飯縄権現の眷属としての天狗信仰が伝わっており、高尾山といえば天狗の山というくらいの印象が強くなっています。

さて、高尾山は、10年くらい前、私がまだ大学生だった頃に一度登っています。
しかし、その時は薬王院の参拝途中に大雨に降られて撤退したため、山頂に登っていませんでした。
そのため、今回は、薬王院の参拝というよりも、山頂への踏破を目的に行ってきました。

とりあえず、駐車場に車を置いて(1,500円! こんなに高かったっけ?)ケーブルカー駅前に出ました。
日曜だったので人が多かったです。
私は運動目的なのでケーブルカーは使わず、表参道から徒歩です。

トイレを済ませて準備体操をし、歩き始めます。

高尾山の表参道は、寺院や売店の関係者の車が走行できるように全面舗装路になっています。
そのため、まともに歩いていさえすれば急斜面から滑落するような心配はありません。
ただ、勾配は結構きついので、あっという間に疲れてきます。

道の脇には、このような小さな仏像が立っていたりします。
ただの自然散策路ではなく、あくまでも寺院表参道です。

結構坂がきつくなってきました。
山道慣れしていないと、大体この辺りから来たことを後悔し始めるでしょう。

高尾山というと、何年か前にミシュランだか何だかの5つ星ランキングに選定されたことで人気が急上昇して、観光客が倍増したことが知られています。
その急激な観光人気の裏で、厚底サンダルやハイヒールなどで登ろうとする無茶な人も増えたということで、転倒によるケガも増えたといわれています。
高尾山は、観光地である前に、歴史ある山岳信仰の霊場です。
本来は修行のための山なので、楽ちんなところではありません。

舗装されて安全ではありますが、肉体的なきつさはあります。

あと、ちゃんとした登山靴で行くことが推奨されます。
安い運動靴だと、靴底が薄すぎて石や砂利などの凹凸で足を痛めるおそれがあります。
あくまでも山なので、厚底サンダルやハイヒールは論外、としかいえないでしょう。

つづら折れを繰り返して高度を稼いでいきます。

高尾山山頂まで2.8㎞。

高尾山山頂まで2.6㎞。
まだ200mしか進んでいません。
山道の100mは長いです。

お地蔵さん。

道の脇にはものすごい年季の入った杉が立っていたりするのですが、切り株の中に、まるで翼竜のようなかっこいい切り株がありました。
偶然にしては芸術的すぎます。

どう見ても翼竜です。

何本か小さな仏像を過ぎて、

リフト乗り場に出ました。
このリフト、下りで乗ると高度を直に感じてとても怖いそうです。

高尾山頂まで2㎞。
ちょうど中間点ですね。

緩やかな道をまっすぐ進んで、

ケーブルカー駅を通りすぎて、

猿苑脇のお地蔵さんを過ぎて、

ついに山門に到着です。

日曜だからか、多すぎってくらいに人が多かったです。

観音堂?をお参りして、

分かれ道から急な石段のある男坂を進みます。

結構段数が多いですが、山形県の羽黒山2446段(日本1位)や香川県琴平山1368段(日本2位)を踏破した身としては、もうこのくらいは慣れっこです。

今回は山頂が目的なので、境内散策は流して突き進みます。

巨大な天狗面。

巨大な天狗面。

山頂まで20分。

お寺なのに鳥居。
これぞ神仏習合。

奥の院。
この裏から山頂までの登山道が続きます。

尾根筋をずっと歩いて行くと、

視界が開けてきます。
この先が高尾山の頂上です。

十三州大見晴台とあります。

標高599m。

奥多摩の山々が見渡せます。

山頂は人がごった返していたので、昼食として冷やしかけそば(700円)を食べて一休みした後、そそくさと下山を始めました。
下山は、表参道ではなく、6号路という沢沿いを下りる自然散策路に近い経路をとりました。

はじめは砂利道でしたが、

延々と続く木段となり、

いかにもな登山道に突入しました。

ここ数日雨がちだったので、滑らないように慎重に進みます。

ここから沢沿い、というより沢そのものに入ります。
増水していなくて安心です。

普通に水が流れているところを、石をまたいだりしながら進みます。
登山靴じゃないと無理ですね。

滑落注意の警告板。
実際に落ちてるんでしょうね。

こんな感じで、ゴッツゴツの道を進みます。

こんな倒木もあります。

沢沿いから高度を上げていき、

落ちたら軽くあの世に行けそうな道を進むと、

金網が張られた道になります。
水しぶきの音がすごいです。

落石注意の警告板。

金網の道を下りた先は、滝行場になっていました。
行場は封鎖されており、修行者以外は入れないようになっていました。

滝行場からしばらく進むと、岩窟があり、そこに石仏が祀られていました。

延々と進んでいくと、

謎の祠があり、

古めかしい病院の脇から舗装路に合流します。

この辺りから雨が降り出したので、薄いジャンパーを着こんで急ぎます。

大量のお地蔵さんがあり、そこからしばらく行くとケーブルカー駅の脇に出ました。
で、雨に濡れているのでそそくさと駐車場に戻りました。

これで、今回の高尾山踏破は終了です。


余談ですが、帰り道に温泉に寄るかもしれなかったので、タオルセットと着替えは積み込んでいました。
なんと、10年以上の間に駅直結の高尾山温泉というのができていたので、試しに入りに行きました。
1200円しましたが、日曜だからか混んでいてイモ洗い状態であり、コロナのエチケットもお構いなしに複数人で固まってワーワー大声でしゃべる人もいて(しかも「黙浴にご協力ください」という貼紙のすぐ横で)、なおかつお湯設定も37度、38度など異様にぬるかったので、あまり満足はできませんでした。
人が多いのは仕方ないにしても、お湯がぬるいのはちょっと。(公衆衛生法で、感染症を防止するために湯温が43度以上ないといけないと定められている。実際にレジオネラ菌感染で死亡事故も起きている)
近年、こういうぬるいお湯が人気らしいですが、そもそも体が温まらないですし、衛生的には最悪なので、温泉施設である以上は熱めのお湯を維持してほしいところですね。
那須や草津や別府や雲仙などの歴史のある温泉場では、本場の意地があるのか、公衆浴場ではやっぱり熱いですし。(個別の旅館の対応は知りませんが、本当に温泉好きな人は熱めが好きだと思います)

鬼姫山回峰行 第11回 仙元山

どうも、同人結社鬼姫狂団 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。

鬼姫山回峰行として、埼玉県小川町の仙元山(299m)を踏破してきました。

鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。

仙元山は、道の駅小川町のちょうど真正面にある山で、中腹は見晴らしの丘公園として整備されています。
計画では、同じく小川町にある官ノ倉山と金勝山に行くつもりでしたが、道の駅すぐ真正面にある山の方が車を置きやすいという都合があり、その場のノリで変更しました。
官ノ倉山や金勝山とともに、位置的に小川町の中心部を囲うようにそびえる山なので、古来から神聖視されてきた山であると想像しています。
ちなみに、仙元山は、古くは浅間山と書き、富士山をご神体とする浅間神社があったことがその名の由来であるという説もあるようです。(山の上に神社はなかったですが)

道の駅に車を置いて、昼食として地場の小麦粉で作った手打ちうどんを食べてから、山行きを始めました。

道の駅のすぐ先が仙元山です。
写真だと小さい山に見えますが、肉眼だともっと大きく見えました。

川沿いに出て、見晴らしの丘公園に向けて歩きます。

橋を渡って、

突き当りにお寺がありました。
もしかすると、昔は山全体が境内だったのかも。

お寺をお参りして塀沿いに右に進むと、登山道が見えてきました。

舗装路はあっという間に終わり、木段になりました。
ここから本番です。

細い道をまっすぐ進んで、

小石でざらついた登り坂が始まりました。

ここから急登です。
結構勾配がきついです。
しかも土が滑りやすかったです。
転倒の心配はありますが、斜面はゆるく、道の脇は盛り上がっているので、滑落の危険はありません。

これでもかと木段が続きます。

滑りやすい土の道を登って、

また延々と木段を登ります。
木段の先に開けた感じがあります。

見晴らしの丘公園に着きました。
なにげに、この木段がきつかったです。

巨大ローラー滑り台が売りとのこと。

仙元山山頂、青山城(割谷城)跡という道標があるので、それに従って歩きます。

砂利道を進み、

案内はないけど、上に行く登山道のようなところがあるので、そこに入ります。

東屋がありました。
圧倒的、山の景観。

東屋から道が続いているので進んでいくと、山頂と書かれた案内があるので、ひたすら進みます。

左側は斜面ですが、道はしっかりしているので、ちゃんと歩いていれば滑落の心配はありません。
ただ、土が滑りやすく、転倒の心配はありました。
あと、蜘蛛の巣が顔に何度もかかって、それがちょっと不快でした。

延々と同じような道が続きます。

山頂への分かれ道があるので、山頂方面に進みます。

なにげに、ここは急勾配です。

急勾配を抜けると、道標があるので、山頂方面に行きます。

延々と進みます。

急に、一部だけ木がまったく生えていない丸裸の斜面がありました。
事故防止のためかロープで通せんぼしていましたが、なんのためでしょうかね。
眺望は最高ですが、ダムの洪水吐のように結構きつい斜面なので近づくと怖そうです。

また延々と進みます。

急登が始まりました。

急勾配を登り切って、

山頂を示す道標があり、突き進みます。

仙元山山頂に着きました。
眺望はあまり良くありません。

こんな感じです。

一休みした後、青山(割谷)城跡に向かいました。

しばらく、延々と同じような道が続きます。

分かれ道に、「町指定史跡 青山(割谷)城跡」とあるので、そちらに進みます。

ここから城の領域です。

入口は信じられない急坂です。
敷石の残骸らしい痕跡がありました。
両脇は急斜面で、突き落とされたら死にます。
上から弓矢などで狙われたら逃げようがないです。

急坂を登り詰めると、その先は人工的に切り開いた崖である堀切になっていました。

切り開いた痕跡。

両側が急斜面で怖いので、堀切の全体像は撮れませんでした。

堀切の上は曲輪になっていて、曲輪の先はさらに堀切がありました。

堀切の両脇は斜面に落ち込んでいるのですが、よく見ると、一段低いところに平たい地形がありまして、防御陣地のための足場が作られていたのだと考えられます。

堀切を登ると、広々とした本曲輪がありました。

説明書き。

土塁。

空堀。

土塁。

土塁。

土塁。

土塁。

土塁や空堀の痕跡がはっきりとわかります。

土塁の上に散らばった石。
敷石の痕跡だそう。

よく見えないけど竪堀。

よく見えないけど竪堀。

竪堀の先に、曲輪がありました。

堀切跡だそう……。

木が生え放題で、何が何だかわからんです。

二の郭から木段を下りて、

二の郭の下は空堀になっています。

二の郭の先は細い尾根筋になっていました。
両脇が急斜面なので、曲輪から狙われたら逃げ場がありません。
これぞ、山城。


この先どこに行くかわからないので引き返しました。

城跡を実地調査して楽しんだ後、一休みして、下山を始めました。

帰りは、見晴らしの丘公園(巻道)というのがあったので、そちらを行きました。

延々と進むと竹林になり、道が細くなりました。
急斜面上で結構怖さがありましたが、慎重に進んで突破しました。

延々と進んで、

見晴らしの丘公園に出ました。
ここまでくれば安心です。

公園に展望台があったので、下界を眺めました。
小川町の中心地があり、右奥が金勝山、金勝山の左手前にちょっと見えているのが、たぶん官ノ倉山です。
一番奥にあるのは、秩父の山です。

登山マニアの方々は、おそらく、日本アルプスにあるような、2000m、3000m級の山に行きたがるのかもしれません。

けれども、本来、町や村に近い身近な里山にこそ、私たちの暮らしを見守っている身近な神様が住んでいるんだと思います。
地図を見ても名前すらわからない山に、由来の分からない謎の小さな神社があったりします。
そういうところに興味を向けるのが、山のありかたを知る上で大事なのかもしれません。
守り神だけでなく、祟り神が祀られている可能性もありますが。

守り神、祟り神といえば、武州鬼姫信仰の世界観においては、災いをなす祟り神のことを神とは呼ばず、神になれない日陰の存在として「妖賊」と呼んで区別しやすくしています。
古神道的な感覚において、神と妖の区別は曖昧というか、性質的にはほとんど同じものといってもいいかもしれません。
なので、武州鬼姫信仰では、「神族」と「妖賊」で善悪・明暗・表裏を区別し、災いを及ぼす妖の側を「徒党を組んで悪事を働く者」という意味を強めるために、妖族ではなく「妖賊」としています。

鬼姫狂団が提唱する新しい鬼ごっこ「鬼姫合戦」では、鬼姫軍の側に「土地神」の枠があります。
武州鬼姫信仰は、基本的には古神道的な感覚の上で成り立っているので、たくさんの土地の神様が特別出演枠で登場することが前提にあります。(東映任侠映画「兄弟仁義」でいえば、鶴田浩二や村田英雄あたりの立ち位置。大体途中で殺される)
犬だったり、猫だったり、狐だったり、狸だったり、お凜様のような鬼神様だったり、色んな神様が出てくる可能性があります。
村ひとつ仕切る神様だったり、お凜様のように、国ひとつ仕切る神様だったり、色々と。

神道(かんながらのみち)というのを、義理と人情の股旅物の世界に結び付けて打ち出したのが「鬼神童女遊侠伝」の基本路線なのです。
まだ大風呂敷を広げるまでの段階には到達できていませんが。

ちなみに、古神道的な世界+任侠という発想では、2008年~2012年にジャンプで連載されてアニメ化もした「ぬらりひょんの孫」という漫画があるのですが、「鬼神童女遊侠伝」の前身となる映像学科時代の習作課題脚本「鬼神童女」シリーズの方が歴史的には古いです。
(「ぬら孫」の方が後から創作されて有名になり、先にアニメ化されて先に打ち切りされて、気がつけば終了してた。アニメ版を少し見たけど、任侠っぽさも民俗っぽさもないただのバトル学園漫画だったし、何故か主題歌が和風な雰囲気が微塵もない変なラップだった。「ぬら孫」アニメ化の際は、自分は再受験浪人中で、「やられた」と思ったけど、思ってた世界観とだいぶ違っていた。自分は、再受験浪人しながら、江戸時代のやくざ文化や民間信仰について専門書を読み込んでいた)

民俗学の世界というのは、基本的に文書化されていない口承や実地調査の分野なので、過去を掘り下げることについては限界が来ているともいわれています。
だからこそ、これからは過去ではなく、現代の民俗を生み出すべきなのかもしれません。

ありがちなジャンプ漫画をなぞった学園バトル漫画ではなく、正統派の民話の世界として。

この峠、谷、滝、沢には、なんとなく人知を超えた存在が住んでいるかもしれない。
そういう感覚を抱きながら鬼姫山回峰行をやると、山道を踏破するのが面白くなってくるはずです。