撮影照明技術と演技術の基礎教本を買ってきました

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義。民富田智明)です。

今日、仕事から帰って仮眠して起きたら、リビングの隅に長い段ボールが置いてありまして、先日アマゾンで注文したばかりの中国製照明機材のレフ板アームのみが、なぜか先走って届いたようです。

まとめて配送を指定したはずなのですが、配送確認メールを見ると、「お客様に少しでも早くお届けするために、一部を先行発送いたしました。これによる配送料の変更はありません」とのこと。
レフ板アームだけ届いても使いようがないので、ちょっと意味が分からない心遣いですね。
だったら、まとめて全部届けてという。
残りは、明日届くそうです。

で、照明機材も届くことだし、それを使いこなすための知識習得のために、新宿紀伊国屋まで行って撮影照明技術の基礎教本と、脚本の意図を役者さんに伝えるための助けとして俳優演技術の基礎教本を買ってきました。

「映像カメラマンのための構図完全マスター」玄光社

「映像ライティング」玄光社

「俳優の演技術 映画監督が教える脚本の読み方・演技の作り方」池松壮亮 FILM ART社

あくまでも基礎教本なので、これを読み込んだからといって一朝一夕で達人級の演出力がつくわけではありません。
実際に、あの手この手で試してみないことには理解できないことも多いです。

撮影技術はカメラをいじるのが大事ですし、照明技術はライトをいじるのが大事ですし、演技術は声を出して動き回るのが大事です。

そして、劇映画である以上、その本質は演劇です。
演劇を撮影するわけですから、劇映画の演出家は、演劇を理解するのは必須です。
「僕は容姿や声に自信ないし、演出なので裏方に徹します」などと言っていては、身をもって演技を理解することはできません。
出る側に抵抗のある人ってかなり多いですけど、美男美女じゃないといけないと思い込んでいるんでしょう。
役者に演技指導をするならば、演出家だって身振り手振りで伝えられる方がいいので、芝居心は必要です。
物語や演技に興味のない人が劇映画を演出するというのは、本末転倒なことなのです。
従って、演出家も最低限の演技経験は重要と考えています。

よく、自主映画で監督が役者として出演するのを「自己顕示欲求の塊」と批判する人もいるのですが、演劇である以上、監督が端役でもいいから出演してみたいと思うのも当然だし、出演する側の立場を理解するためにあえてやっているという合理的意図もあると思います。

私の場合、プロ俳優を目指して俳優養成所に入所した経験はありませんが、劇そのものは好きで、それこそ小学時代から高校時代まで、劇をやるとなると何らかの役をもらっていたりと、出る側に興味はありました。
映像学科時代の課題でも、何本かは自分も出演しています。
心理学科時代も、人形劇団の一員としてちょっとした役をやっています。
今でも役者に憧れがありますが、まあ、あまりに映像映えのしない容姿と声の持ち主だったので、あえて養成所に通ってまで職業俳優を目指す気はありません。
ただ、芝居心自体を捨てた覚えはないので、映像演技そのものはやってみたいことのひとつです。

 

劇映画制作の主要な役割を実践で理解して初めて「演出家」と言えるのであって、ディレクターズチェアにふんぞり返っていればスタッフやキャストが勝手に動いてくれるなどということはありません。
だから、何でも自分でやらないと進まないインディペンデント映画こそ、本質的かつ全体的に映画を学ぶことができる合理的な取り組みなのです。

全身を駆使して映像を生み出す、それが本当の映像作家なのだと、私は考えています。

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