心理学の本を新しく買い込んできました

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

恐ろしいことに、今日で33歳になってしまいました。

厚生労働省のニートの定義に照らせば、あと2年で若者ではなくなってしまいます。

心は常に10代の少年なんですけどね。

さて、昨日、久しぶりに新宿の紀伊国屋に行って、心理学の関連書を買い込んできました。

心理学の本は大型書店に行かないと売っていないので、川越の紀伊国屋にはないのです。

本なんてネットなら何でも買えるじゃんという突っ込みもありますが、漫画ならともかく、専門書に関しては中身を確認してから買ったほうがハズレが少ないので、専門書に限っては実店舗の方が賢明です。

こういう時、都心の大型書店に行きやすい埼玉県民は有利ですね。

近所と違って、往復の交通費が余計にかかりますけど。

狭山市の駅前に専門書に強い大型書店作ってくれないかな。

元旦に今年は心理学強化年間にすると誓いを立てたので、さっそく有言実行です。

誰かに強制されているわけではないので、コツコツとやっていきます。

買ってきた本は、次の5冊。

「内向型を強みにする」マーティー・O・レイニー Pan Rolling

「青年の心理 ゆれ動く時代を生きる」遠藤由美 サイエンス社

「心理臨床に活かすアート表現 ―心の豊かさを育む―」神田久雄 樹村房

「感情心理学入門」大平秀樹 有斐閣アルマ

「アメリカ凶悪犯罪の専門家が明かす 無差別殺人犯の正体」阿部憲仁 学文社

心理学科にいた頃は、映像学科時代の失敗にとらわれて自分のことで精一杯すぎたし(今もですが)、日本の鬼の伝承文化の研究をやるために民俗学を専門にやれる大学に進めなかったという不本意もあり、どうしても心理学に身が入らず、あっという間に落ちこぼれてしまいました。

そのため、心理学の講義がとにかく苦痛で、興味のない分野のレポートや試験は散々たるものでした。

グループワークなんてやらされた日にゃ、ただでさえ人見知りなコミュ障なのに、周りの現役学生と小学校一回りくらい差があるわけですから、浮いてる感が半端なくて輪に入れないのです。

座学はともかくグループワーク系が本当に嫌いで、フェードアウトして行けなくなり単位を落としたこともありますし、必修ではないですがゼミも3回も行かずに逃亡して、挙句の果てには1度留年しました。

自費で行っていない以上、親のお金を無駄にできないので4年で退学も考えましたが、親にめちゃくちゃ怒られて「退学するくらいだったら留年してでもちゃんと卒業した方がいいに決まっている」と言われて、なんとか足りない単位を取って逃げるように卒業はしました。

でも、卒論すら書いていない、試験で白紙回答ばっかりの、完全に落ちこぼれの底辺学生だったので、お目こぼしでのお情けの卒業だと思います。

英語が壊滅的に苦手だった私が、ヘボン先生が開いた英学塾が前身の英語が難しい明治学院に、全学部日程試験(3教科から成績のいい2教科で採点。たぶん国語と日本史で採点)で入ったこと自体がかなりの奇跡であって、映像学科時代の単位認定がなかったら、必修の英語だけでも挫折していたかもしれません。

なので、学部最年長であったはずの私が、3教科受験で現役で入ってきたであろう大多数の学生に対して、一方的な劣等感を抱いていました。

就活から逃げた前科がありますし、学生を都合のいい使い捨ての駒くらいにしか思っていないブラックバイトを警戒してバイトすら怖くて未経験だったので、そのことでもバイト漬けの学生に負い目を感じていました。

大学での唯一の居場所であった人形劇団でも、やっぱり周りとの温度差に悩んで、何もかもが悔しくなって号泣しながらブチ切れたことがありますが、本当のところは理解されませんでした。

明治学院での孤独感を、北海道に住む映像学科時代の唯一の友人と飲んだ時に打ち明けたら「高校出たてでなんの失敗も挫折も経験していないその辺の学生には、秋元君の気持ちはわからない。わからないよ。俺も大学院でなぜか学部生からなめられてるし、周りのアート系の院生からもホラーが好きだってだけで精神病扱いされるし、教授からも嫌われてろくに論文指導してもらえないし、孤立してる」と。

私が、心理学科で一部の先生から大学院に行くことを勧められつつも大学院に抵抗があったのは、成績が悪すぎたというのと、ある先生のゼミから逃亡して卒論を書いていないというのがあったので、教授に嫌われてアカハラの対象になり、友人の二の舞になるかもしれないという恐れを感じたからです。

明治学院の心理学科を出たのに、胸を張って明学心理出身となかなか言えないのは、底辺すぎる黒歴史しかないからです。

でも、最近思っているのは、こういう「普通」とされるレールから脱線しまくって悩み抜いた経験こそが、実社会で弱い立場に置かれて悩んでいる人の支援に役立つんじゃないかということです。

とんとん拍子のエリートは上から目線になるから、弱い人の気持ちは他人ごとになってしまうのです。

心理学は人の心を探求する学問なわけで、ましてや明治学院は「Do for others」を掲げるキリスト教の大学で、その基幹科目の「心理支援論」は「自己理解を通じて他者を理解し、社会的弱者の支援に結びつける」ということを理念としているのです。

それなのに、実際に悩みまくっている当事者の生の発言が、心理学科のグループディスカッションで理解されないのです。

口で話すのが苦手な気持ち

中学でいじめられた気持ち

大学で一人暮らし始めてすぐに悪徳業者から法外な値段で浄水器を押し売りされた気持ち

志を共有できる仲間を見つけられなかった気持ち

周りがバイトばかりで日程を調整できなくて自主映画がやれなかった気持ち

目に見えた実績がなくて自信がなさ過ぎて就活から逃げた気持ち

親友との接点だったオタク趣味を偏見の目で社会的に否定される気持ち

自分のどうにもならない性的嗜好を偏見の目で社会的に否定される気持ち

夢を持ち続けることを社会的に否定される気持ち

男兄弟で女の子と接するのが苦手な気持ち

女の子との接点がない気持ち

支配的だったり、粗暴だったり、威圧的な人が怖い気持ち

何よりもブラック企業が怖い気持ち……。

これ、心理学研究で一番大事な、問題を抱えている当事者の生の気持ちなんですよ。

それを、「甘え」「怠けてる」「使えない」「気が利かない」「KY」「きもい」「ビョーキ」で済ますのが、成熟した人間なのかと、疑問に思うのです。

そういう人が、教育や福祉に携わるのかと。

そういう人が、経営者や管理者になるのかと。

そういう人が、政治家になるのかと。

そういう人が、人の親になるのかと。

だから、「この世はクソゲーだ(一切皆苦)」と、大昔の仏陀は悟りを得たのでしょう。

でも、私は、「あいつおかしい」で思考停止するレベルでは止まりたくないです。

世俗の凝り固まった偏見から解脱するために、苦手意識をぶっ壊して、コツコツと心理学を学んでいきます。

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