【映画制作】小道具作り12 瓢箪水筒・耳飾り首飾り

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部(通称・鬼姫狂)代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

実写映画「鬼神童女遊侠伝/まさかり担いだ熊男」(仮)の小道具制作が進んでいます。

ついに、平成が終わって、新しい元号の令和になりましたね。

令和という言葉は、万葉集に根拠がある由緒正しい元号だそうですが、私の父親は気に入らないのか、「なんだ令和なんて、まるで冷たい時代のような響きじゃないか。元号くらい国事行為として陛下に考えさせればいいのに、総理と御用学者だけで一方的に決めるなんて、元号の重みをなんだと思っているんだ」と、元号が発表された当初から文句言っていました。

安倍総理は、令和の意味として「 人々が美しく、心を寄せ合うなかで文化を作っていく 」という想いを込めたと表明しましたが、言葉の意味は確かにきれいなものであるものの、音の響きで考えると、「れいわ」から「冷和」に誤解するおそれもあるので、父親の不満もあながち的外れではないと思いました。

私も、「令」という字に「命令」を想起され、権力者の要求に対する同調「和」を強制「令」される時代と、解釈できると考えました。

私は、同調も強制も嫌いな性格なので、そんな時代にはならないでほしいと願います。

私は、何よりも個人の自由と平等を求めます。

さて、今回の小道具制作は、お凜様の瓢箪水筒と、宝玉の耳飾り首飾りの作業です。

木工中心の武器作りに代わって、今度は粘土細工です。

瓢箪水筒も、宝玉の耳飾り首飾りも、本物の天然素材を使うとすると、材料が近場で手に入らないですし、加工も難しく、値段も高くつくので、粘土細工で代用するのが賢明です。

で、作業結果が以下の画像です。

まず、瓢箪水筒の素体と、着色して紐をつけた完成体。

天然の瓢箪を意識して、あえて軸を歪ませて曲がった感じを表現しています。

この瓢箪水筒は、映画の撮影の時に「万病に効きどんな怪我でも治癒できる、鬼姫山の霊泉で作った酒」を振りかけて飲ませるという演技をするので、実際に注水機構を仕込んでいます。

瓢箪の芯は球体の発泡スチロールなのですが、上の部分に、実験用のプラスチックボトルを埋め込んで、木栓に見えるような茶色い実験用のゴム栓をねじ込んでいます。

ゴム栓の強度がかなりあるので、手に持って振ったり、ベルトに下げて揺らしてもまったく外れません。

注水した状態での振動実験はしていませんが、実際に注水するのは水を使う演技だけなので、問題ありません。

なお、この瓢箪水筒は、水を入れて人の口に注ぐ用途のためにあるので、「食品衛生法適合」と書いてある水性ニスを塗って仕上げています。

だから、実際に水を使っても安心です。

次に、宝玉の耳飾り首飾りの素体と着色作業中の塗装体。

こちらは、一筋縄ではいきません。

素体はいいのですよ、素体は。

問題は、穴開けと色塗りです。

粘土が生乾きで硬化が甘かったのか、球を数珠つなぎにするための針金を通そうと串で穴を開けようとしたら、貫通の衝撃で、向こう側に醜い崩れたような穴が開いてしまい、ボロボロになってしまいました。

色塗りも、球体のものを塗るので、ゴロゴロと転がって、新聞紙にべたべたと塗料が貼り付いて、粘土の表面がはがれるわ、新聞紙がこべりつくわと、乾きにくいわと、三重苦に。

写真の通り、結構悲惨な状況です。

とりあえず、明日の出勤で丸一日寝かすことになるので、明後日の乾燥の状態を見て、崩れた穴の補修と色の塗り直しをします。

あと、絵で描いたお凜様の首飾りのイメージと違って、実際に首にかける首飾りには予想以上に球数が必要なことが分かり、球の芯として使っている発泡スチロールの買い足しをしなければ作業が進みません。

青球が1個余っているので、スチロールボール4個入り1袋を買って、5個あればちょうどいいかもしれません。

ちなみに、この鬼姫山三代の宝玉の首飾り耳飾りは、「元々こういう色をした天然石」ではなく「こういう色に塗った天然石」です。

秩父鬼姫山原産の霊石が材料です。

原石の色は定かではないですが、石に色をつける作業は、お凜様自身の工夫であり、好みによります。

「ミンネ」などのネットショップサービスでは、ハンドメイドアクセサリーに凝っている女性が結構多いそうですが、このお凜様の首飾り耳飾りも同じようなものです。

女性による装身具の追求は、古来から何も変わらないのです。

この首飾りの中心には青の勾玉があるのですが、地元の埼玉県の象徴が勾玉であることから重要視しています。

お凜様のお婆ちゃんにあたる鬼姫山初代は、仏教伝来よりも早い古墳時代には台頭しているとされていますので、埼玉県の秩父山地に古来から住む武州総鎮守として、勾玉の首飾りを受け継いでいるのは正当性と神秘性があると考えています。

武州鬼姫信仰は、私の精神世界の産物であって、宗教的関心のない第三者からすれば架空の「妄想」「まやかし」「オカルト」なのかもしれません。

しかし、「本当にお凜様がいたとしたら? 本当に空想でしかないの? モーセ、イエス、ムハンマドのように、託宣を得ていたとしたら?」という仮説を立てるとすれば、武州鬼姫信仰を成立させるに足る論理的説得力が伴わなければいけません。

結局、超自然的な存在の「もっともらしさ」を伝えていくには、現実の学問的知見が物を言うので、「宗教きも~い」で思考停止するレベルの教養では「きもいカルト教祖」の境地にすらなれないということです。

いや、本当に、新しい民俗信仰「武州鬼姫信仰」の体系化を試みてみると、新宗教の教祖様って、頭のいいインテリばかりなんじゃないかと確信するのです。

私などまだまだ浅学ですが、お凜様の首飾り耳飾りだけをとっても、「なぜそうなのか」を論じられないと、説得力のある民間伝承にはなりません。

なので、制作技術の向上に並行して、学術的理論武装も突き詰めていきますよ。

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