どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部(通称・鬼姫狂)代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。
鬼姫山回峰行の第1回、天覧山多峯主山について書きます。
鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰の根本聖地である秩父鬼姫山の比定地とされる秩父山地を踏破し、足腰を鍛え、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の験力を授かることを目的とする鬼姫狂の実践修行法です。
その鬼姫山回峰行の第1回として、6月10日に、飯能市の天覧山及び多峯主山に登りました。
天覧山と多峯主山は、飯能の山の中では最も市街地に近く、かつお散歩気分でも気軽に登れる身近な里山であり、初級者向けの山として人気があります。
特に天覧山は短時間で往復できるのもあり、日頃の運動不足解消のために登る近隣住民は少なくありません。
女子高生が山登りをする萌え漫画「ヤマノススメ」でも、天覧山は、飯能在住の主人公あおいとひなたが一番最初に登る山として紹介されています。
今回の鬼姫山回峰行は、天覧山の奥に位置する多峯主山の踏破を目的としており、天覧山そのものは通過点としています。
何故なら、天覧山は過去に一度登っているからです。
それならば、未踏破の多峯主山を目指したほうがいいでしょう。
さて、鬼姫山回峰行をやろうと思い立ち、自宅から車に乗って20分~30分、飯能中央公園に到着しました。
飯能中央公園から天覧山の登山口に向かうと、公園の角にジャングルジムがあります。
このジャングルジムは、「ヤマノススメ」の主人公あおいが幼い頃に落ちて高所恐怖症になったきっかけとなるところでして、「ヤマノススメ」では最重要なものでしょう。
しかし、飯能市では「ヤマノススメ」聖地化キャンペーンを半ば諦めているのか、ジャングルジムの保存を考えていないようで、別のものに建て替えられていました。
もともとのジャングルジムは、一般的な四角いやつでして、以前天覧山に登りに行ったときには四角いやつのままでした。
いつ変わったんでしょうね。
ジャングルジムから道を挟んで天覧山の登山口に行くと、その入り口にコンビニがあるはずでした。
このコンビニは、「ヤマノススメ」の登山手帳が置いてあることで有名なところでした。
もちろん、以前天覧山に登った時にはコンビニは営業していて、店の半分が「ヤマノススメ」コーナーになっていました。
しかし、今ではこのコンビニは潰れており、空き物件になっていました。
軽く諸行無常の感を覚えつつ、山に入り、天覧山を超えて多峯主山の山道に進みました。
このように、そこまできつくない山道が続きます。
とはいえ、天覧山を越えた時点ですでに汗だらだらになっています。
道の途中、雨乞池というものがありました。
謎の石仏がありました。
こういう、由来のよくわからない石仏や祠が好きです。
ここから、明確に教義化されていない民俗信仰に興味を持つようになりました。
多峯主山山頂。
ここにも祠があり、花が供えられていました。
神仏や宗教を信じるというとバカにする人も多い現代日本ですが、こういうのを見ると、目に見えない何かへの想いを抱く人が少なからずいるというのがわかります。
飯能市街を一望。
まさに、武州の民を見守るお凜様、牙吉さん、飛丸さんの視点。
そう、神の視点です。
これこそ、鬼姫山回峰行の目指す境地、鬼姫山三神との心の一体化です。
景色はきれいですが、暑さと疲れで体はヒーヒーいってます。
山に登ったからには、下りる必要があります。
しばらく山頂で休憩した後、下山を始めました。
登山道で見つけたとかげ。
こういう経験が大事。
山の中腹にある御嶽八幡神社。
こういう山林を所有し、山城のセットを建てて時代劇を撮るのが夢。
埼玉県内では難しくても、地方なら山林の私有化は不可能じゃない。
鬼姫山三神に「鬼神童女遊侠伝」シリーズの成功を祈願するべく、ただひたすらに、心の中で「南無御聖大鬼神童女 南無本地観世音菩薩 南無本地大勢至菩薩」と神名号を復唱し、「オンオニコロヤーハナヒラリンリンソワカ オンワンコロヤーキバキバソワカ オンカラコロヤートビトビソワカ」と真言を復唱し、山道を進みました。
下山では、天覧山を経由しないでそのまま麓の道に出ました。
ちょうど能仁寺の墓地の脇に出たので、能仁寺に参拝しました。
この能仁寺は、明治維新の戊辰戦争の折、旧幕府軍の陣地となったそう。
「飯能戦争」として狭山市笹井一帯まで、新政府軍と旧幕府軍の短時間とはいえ激しい戦いがあったとか。
郷土史というのは局地的すぎて公教育の教科書には載らないので、はっきりいって知らないことばかりです。
時代劇版「鬼神童女遊侠伝」シリーズの大成のために、武州入間地方及び秩父地方の歴史には関心が強いので、郷土史研究はライフワークになるかもしれません。
能仁寺の参拝のついでに、飯能中央公園を挟んで向こうの入間川沿いにある飯能恵比寿神社と観音寺に寄りました。
ここは、「ヤマノススメ」で、あおいとひなたの学校帰りの寄り道スポットとして頻繁に出てきます。
このゾウさん、県道名栗線沿いにあって、名栗にドライブに行くたびに「なんだろう」と思っていましたが、目立つからでしょう、「ヤマノススメ」であおいとひなたの寄り道場所になりました。
少なくとも、「ヤマノススメ」を見たアニメオタクの間では有名になっているはずです。
けれども、実際に行ってみても、このゾウの像の由来については、まったく説明書きがありませんでした。
「ヤマノススメ」の名残として、絵馬が掛けられていました。
ただ、お寺の境内には「ヤマノススメ」のポスターすら貼っていないため、この絵馬には過去の遺物としての雰囲気が漂っていました。
「ヤマノススメ」は、アニメ化の際は西武線で大々的に宣伝され、国際興業バスのラッピングカーが走り、飯能市役所の入り口にはあおいとひなたの等身大パネルが立つという熱の入れようでした。
しかし、アニメが終わってしまえば、手のひらを返したように「ヤマノススメ」ムードがなくなり、原作が続いているものの、既に過去とされている感があります。
商業的に人工的に作られた「流行」とは、儚いものでしょう。
いくら主人公が飯能在住ということになっていても、作者が飯能どころか埼玉出身でもなんでもなく、調べると所沢在住の千葉出身者だそうですね。(ウィキペディア)
だから、作者は単に趣味の登山で漫画が描きたかっただけで、飯能の活性化も、埼玉の活性化もあまり真剣に考えていないんじゃないかと推測しています。
だから、高所恐怖症の女子高生が、埼玉の近場の山をガン無視して、高尾山(東京)、三つ峠(山梨)、富士山(山梨)、霧ヶ峰(長野)、谷川岳(群馬)……と、ありえない行動力を発揮してしまうのでしょう。
で、実際には飯能や埼玉とあまり関係がない作者と作品なので、そこまで熱心に後押しされている雰囲気がない、と。
だから、一過性の商業的な「流行」の域を出ない、と。
私は「ヤマノススメ」が好きなんです。
けど、飯能に隣接する狭山市の住民としては、やっぱり違和感があったので。
今でも、「普通の女子高生だったら、保護者なしで県外の山になんか簡単に行けないし、ましてや単独でテント泊の縦走なんかまず許可されないでしょう。登山は大学に入ってから、今は受験勉強に集中しなさいと諭されるのがオチじゃないの」と思っています。
私も、なんだかんだで日本国内、色々と一人旅してきました。
けれども、車で登れる山に入っても、足で行くしかない山には行ったことないです、ほとんど。
「色々な経験しろ」と説教臭く言う父親ですら、県内の山すら登ったことなさそうです。
父親でなく、母親も、兄弟も、そんなもんです。
見聞の広さでは、自分がダントツなくらい。
それでも、「ヤマノススメ」の異常な行動力に違和感があるんですね。
普通の女子高生なので。
で、普通の女子高生が神社仏閣の絵馬になるというのも、やはり違和感があります。
女子高生に願掛けしてどうすんだ、という。
鷲宮の「らきすた」もそうなんですけど、ただの女子高生が絵馬や神輿になるというのにしっくりとこないところがあって。
ただかわいいだけじゃ、100年、200年残るような伝説にはならないだろうと。
鬼姫狂が掲げる武州鬼姫信仰は、まだ誰にも注目されていない新しい民俗信仰です。
けれども、私が生まれ育った武州入間地方の風土的影響下により育まれ、地元に流れる入間川の源流地としての遥かなる秩父山地への想いが根本にある、人工的に作られた商業的流行を超越した本物の山岳信仰として基礎を確立していきたいと思っています。
「鬼神童女遊侠伝」シリーズは、普通の女子高生ではなく、超自然的な人知を超えた鬼神様の物語です。
そもそも神格化された存在であるため、祭祀対象として絵馬や神輿になってもおかしくないどころか、それが当たり前の伝承方法となります。
この鬼姫山回峰行は、武州鬼姫信仰に対して現実に親しむための山岳修行ですが、大事にしていることは、「普通の人でもやれる」という視点です。
極端に危険を伴う岩山登りはせず、また、私が埼玉県民である以上、まずは埼玉の山が中心としています。
鬼姫山の本山は秩父山地であり、県外の山はあくまでも鬼姫山の支山です。
鬼姫山回峰行で優先されるのは、秩父山地の初心者向けの里山なのです。
もちろん、私個人の観光のために他県の山に登ることはあるかもしれないですが、それは鬼姫山回峰行とは別の話です。
イスラーム教徒は、年に1度、少なくとも一生に1度は聖地メッカへの巡礼をすべきとされます。
それと同じように、鬼姫狂では、年に1度、少なくとも一生に1度は鬼姫山回峰行をすることが推奨されます。
鬼姫山回峰行が文化として定着すれば、過疎化の進行する埼玉県の山間地域の観光振興に貢献できるのではないかと、大真面目に考えています。
宗教化、神格化こそが、本物の文化への足掛かりなのです。