【鬼姫山回峰行】第3回竹寺

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部(通称・鬼姫狂)代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

鬼姫山回峰行の第3回は竹寺です。

鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰の根本聖地である秩父鬼姫山の比定地とされる秩父山地の整備された登山道を踏破し、足腰を鍛え、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の験力を授かることを目的とする実践修行法です。

鬼姫山回峰行の3回目として、今まで一度も行ったことのなかった飯能市の山の中にあるお寺、竹寺に行ってきました。

鬼姫山回峰行の本義としては、実際に自分の足で山歩きをする登山なのですが、あいにく天気が悪く、いつ雨が降ってもおかしくなさそうな雲行きでしたので、自家用車で行ける場所にしようと思い、竹寺を選びました。

なので、山頂の踏破でもないので、番外編的な位置づけになります。

竹寺は、天台宗医王山薬寿院八王寺といい、牛頭天王を祀る神仏習合の古刹で、東国霊場としてゆうに1000年以上の歴史があるところだそうです。
境内の竹林と精進料理として提供される竹の子料理が有名で、そこから竹寺と呼ばれるのだとか。

県道名栗線から林道に入った奥の方にあるため、すれ違い出来ないような走りにくい細い道だと嫌だなと、長らく行かずにいました。

鬼姫山回峰行としては、どこか別の山に登ることを考えていましたが、天気のことを考えると山歩きはやめた方がいいので、午前中にささっと帰れることを重視し、竹寺へのドライブということに。

自家用車での山中運転も、それはそれで山歩きとは違う緊張感が要求されます。
安全に目的地に到達し、安全に家に帰るという点では同じなので、状況判断力が試されます。
そういう意味では、これもひとつの修行であり、鬼姫山回峰行に組み入れてもいいでしょう。

さて、山行きです。

自宅を自家用車で出発し、入間川を越えて広瀬からひたすらまっすぐ飯能方面に向かい、飯能河原から県道名栗線に入り、まっすぐ山の方に行きます。
途中、原市場の手前あたりで県道の分岐があり、「竹寺」という看板があるので、矢印に向かってまっすぐ分岐の県道を進みます。
途中、「竹寺」「子の権現」と書かれた林道の分岐があるので、「竹寺」の方に向かいます。
すれ違いが難しい細い道となるので、心細いですが、対向車が来ないように祈りつつ進むと、竹寺の入り口が見えてきます。

奥が駐車場になっているので、そこに車を停めました。

ちなみに、今回は一眼レフでの写真撮影です。
コンパクトカメラよりもきれいに撮れていると思います。

県道の途中までは路線バスが来ているようですが、そこから歩くだけでもかなりの距離になるので、ここは自家用車で行きたい場所ですね。

駐車場から進むと鳥居があります。
神仏習合ですね。

鳥居の先にお地蔵さんがあります。
神仏習合ですね。

境内案内図。
実物より絵の方が立派かも。

お堂。
中には色々生活用品的なものが突っ込まれていて、写真の画面外は見ないほうがいいです。

池にお地蔵さん。

大きな灯篭。

牛頭天王像。

観音堂。

本堂前の広場。

神木。

ちょっとしたお土産のようなものが売っています。

竹で組んだ鳥居があり、本殿への参道が続きます。

稲荷神社があります。
石段がきつくて滑って危ないので、ここからは登らず。

社殿手前の鳥居。
もはや、寺よりも神社の趣が強いですね。

社殿。
写真が左に寄っているのは、右に木の枝の剪定作業中の人がいたから。
狛犬の頭や足下に枝葉が散らばっています。
狛犬の頭に枝葉が乗っているのはわざとでしょうね。

由緒書き。

社殿の奥に、子の権現へ続く山道がありましたが、今回は子の権現にはいかないので進まず。
子の権現は小学校4年生の遠足で行きましたが、鬼姫山回峰行第4回あたりで国道299側から徒歩行をやろうと思います。

子の権現に向かう山道の高台から。

高台から先述の稲荷神社に抜ける道があり、途中に謎の祠が。

稲荷神社。

空を見上げると、いい感じにもやがかかっていました。
スピリチュアルですね。

周りは深い森なので、眺望は開けていません。
空気が澄んでいれば、都心のビルまで見えるそうです。

これも鬼姫山回峰行の一環なので、「南無御聖大鬼神童女 南無本地観世音菩薩 南無本地大勢至菩薩」と神名号復唱をし、「オンオニコロヤーハナヒラリンリンソワカ オンワンコロヤーキバキバソワカ オンカラコロヤートビトビソワカ」と真言復唱をしました。

竹寺参拝を終えて、駐車場に戻ります。
来た道を戻るのもつまらないので、裏の竹林を抜けて下りました。

竹寺という異名は納得です。

竹林の小道を抜けると、舗装道路に出ました。
駐車場に向かうと崖沿いに行けるところがあり、行ってみると謎の墓石群がありました。
歴代住職の墓でしょうね。

今回は自家用車での山行きなので、徒歩に比べたら楽勝かもしれません。
しかし、山の道路というのは、自動車用に舗装されていても、すれ違い困難な狭いところが多いので、それはそれで技量が問われます。

山道って狭いくせにガードレールのないところも多いので、舐めてかかれば車ごと落っこちて死にます。

改めて見てみると、ぞっとします。
結構とんでもないところに来たなという感じです。

ガードレール越しに崖っぷちの写真を撮った後、駐車場に戻り、帰路につきました。

帰り道、県道沿いでいい感じのところがあったので、停車して撮影。

県道と林道の分岐のところで、謎のお宮があったので、停車して撮影。

何神社かもわかりません。
こういう、由来のよくわからない神社こそが、国家神道化以前の古来からの地元の神様であるのかもしれません。
守り神かもしれないし、祟り神かもしれません。

追記、グーグルマップで出ました。
山神社だそうです。
https://goo.gl/maps/zmQZDnuYCHFB9rBh6

山の中だから、山に神社。
こうなると、いかにも土着神の雰囲気ですね。

お宮の脇の川沿いに、謎の板碑がありました。
埼玉県立歴史民俗博物館の説明によれば、埼玉県は、板碑大国だそうです。
かなり風化していて、なんと書かれているのかはよくわかりませんが、「〇〇講」という字があるので、竹寺及び子の権現参拝に関わる板碑でしょう。

川向こうの山林がいい感じ。
異界です。

お宮、板碑の周辺はちょっとした集落になっています。
里山の感じがいいので撮影。

こういう、山の中にポツンとある集落は、ドライブ途中で見かけると風情があって好きなのですが、「なぜこんな人里離れた山奥に小さな集落があるのか」と、いつも思います。
数軒の集落ならともかく、切り立った山肌にポツンと一軒家があるところとか。

忍者の子孫というならかっこいいですが。

停車して写真を撮っているうちに雨が降ってきたので、車に乗り込んで家に帰りました。

埼玉県って、ダサイタマと全国的に馬鹿にされがちで、何もない県のように言われていますけど、宗教学・民俗学・歴史学的な視点で見ると、興味深いものはたくさんあります。

そして、確かに実在する遺物であっても、実際のところなんだかよくわかっていないものも多いようです。

なので、長らく失伝し、まったく痕跡の残っていない武州鬼姫信仰が、もしかしたら本当にあったものなのかもしれない、と思わせるのです。

今は妖賊のいない平和な時代だから、お凜様も姿を現さないだけで。

この秩父山地のどこかに、鬼姫山はきっとあるのです。

【鬼姫山回峰行】第2回 日和田山

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部(通称・鬼姫狂)代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

鬼姫山回峰行の第2回は、日和田山です。

鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰の根本聖地である秩父鬼姫山の比定地とされる秩父山地の整備された登山道を踏破し、足腰を鍛え、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化し、神秘の験力を授かることを目的とする実践修行法です。

その鬼姫山回峰行として、6月23日に日高市の日和田山に登りました。

日和田山は、私が小学校三年生の遠足で登ったことのある山で、初心者でもそこまで難しくないところです。
登山経験の多くない私にとっては、ちょうどいい里山となります。

市販されている山歩きガイドでは、日和田山から縦走路を通って物見山を経由し、北向地蔵、五常の滝を見て武蔵横手駅に下りる3時間45分の行程が紹介されています。
しかし、午前中だけでささっと帰れるようにしたかったので、今回は見栄を張らず、日和田山の踏破だけに絞り込みました。

女子高生が山登りをする萌え漫画「ヤマノススメ」では、原作9巻において、主人公あおいとひなたが初詣で初日の出を見るために登る山として紹介されています。
近隣出身者としては、小学校の遠足で登る山が9巻で登場するというのに違和感がありますが(しかも、飯能で生まれ育ったあおいたちが日和田山を知らないっぽい演出。同じ巻では先に滋賀!の伊吹山と群馬の荒船山に行っている)、「ヤマノススメ」の聖地巡礼報告ではないので、これ以上のツッコミは野暮になるのでしません。

さて、日和田山ですが、小学校の遠足で登る山とはいえ、本来的には由緒正しい山岳信仰の場です。
日和田山の山中には金比羅神社があり、登山道はそのまま神社の参道になっています。
資料などを読み込んだことはないので、その由緒はわかりませんが、金比羅神社となっている以上、四国は香川県仲多度郡琴平町にある金刀比羅宮から勧請されたものであるのは確実でしょう。
ただ、金刀比羅神社となったのは後付けの可能性もあり、その祭神は、金刀比羅宮の大物主神ではない古来からの地元の神であることも考えられます。
(琴平町の金刀比羅宮自体、古来からの姿はとどめておらず、明治の国家神道化に合わせて大物主神と崇徳天皇が祀られたようです)
このような背景があるので、日和田山は、もともとは一般人が気楽に登れるような場所ではない、山伏だけが登ることのできる神聖な霊場であったことがうかがえます。
つまり、低山と舐めてかかれば、山の神に命を取られます。

では、山行きです。

自宅から自家用車で出発し、入間川を越えて智光山公園を過ぎ、高萩、女影を抜けて県道川越日高線に入り、日高陸橋を通って巾着田まで行くと、片道20分~30分くらいで日和田山の麓につきます。
麓の有料駐車場(1日300円)に車を停めて、山行きを始めました。

写真撮影のためにせっかく一眼レフを持って行ったのに、なんと充電を忘れるという失敗をやらかしたので、予備のコンパクトカメラで押し通しました。

日和田山登山口。
もう小学校の遠足の記憶はほとんどないので、ほぼ新鮮な気持ちでの踏破となります。

駐車場からちょっと行った公衆便所の前に謎の石仏。

この石仏から2分くらい歩いたところで、汗拭きタオルを忘れたことに気付き、一度駐車場に戻りました。
二度手間過ぎる。

勾配のきつめな土の道を10分くらい歩き続けると、金比羅神社の一の鳥居が見えました。
ここは神域です。
山に登るという行為は、本来は信仰のためのものです。
昨今は、レジャー登山、スポーツ登山の側面ばかりが取り上げられますが、歴史のある山は、大抵は霊場となっています。
山に対する宗教的な側面を忘れてはいけません。

一の鳥居の奥で、男坂と女坂に分かれます。
男坂は、近道だが急峻な岩場となります。
女坂は、遠回りだが緩やかな土の道となります。
山岳信仰の山道では、このような二択をあえて作っているところが多いそうです。

とりあえず、最初は男坂に向かってみました。

男坂の岩場の入り口に謎の祠と水場がありました。
おそらく、岩場登りの前に手を清め、祠に無事を祈願したものと考えられます。

写真だとわかりにくいですが、石段が急勾配で、足の置き場がかなり不安定で、しかも雨上がりで滑りやすくなっていました。
トレッキングシューズは履いていましたが、やはり恐怖感があり、この写真の石段が切れている先あたりで引き返しました。
この先はもっと険しい感じでした。

無理して先に進み、引き返すにも怖くて引き返せない、登るのも怖い、という立ち往生が一番救いようがないです。
なので、「俺は男だ!」なんて昭和の少年漫画のような見栄は張らず、引き返すのが正解でしょう。

わりと高齢の登山サークルのような方々が後から来たので道を譲り、私は撤退です。
彼らはスイスイと登っていきましたが、リュックからして本格的なものだったので、かなり慣れている「ガチ山勢」と思われます。
私は寺社巡り経験は長いですが、ガチな修験者ではないので、無用な岩場登りは避けたいです。

逃げではありません、戦略的撤退です。
危険回避能力を試されているのです。

女坂を進むと、こんな感じ。
それでも、雨上がりで滑りやすかったので、ちょっとした岩場などは何度もズルっといって怖かったです。
女坂でも、舐めたら滑落して死にます。

女坂を登り切ると、二の鳥居がありました。
二の鳥居の真下が男坂の岩場の出口となっています。

写真だとわかりにくいけど、これが男坂の出口です。
上からだと崖にしか見えません。
下を覗くとおしっこ出そうになりました。
女坂で正解です。

「ヤマノススメ」では、初日の出を見るために夜明け前にここまで登っており、初日の出を拝みに来た人でごった返している描写がありますが、実際にそれをやる地元民っているのでしょうか。
人がごった返すほど平坦な足場がないですし、周りは手すりもない急斜面です。
電設されてる様子もないし、女坂でも夜明け前ではめちゃくちゃ怖いと思います。
日高市民飯能市民ではないので、その辺はよくわかりません。

鳥居の先はすぐ岩場で、金比羅神社の社殿がありました。

この社殿の裏で、日和田山頂と物見山との分かれ道がありました。
今回は日和田山の踏破が目的なので、日和田山頂を目指します。

滑りやすい山道を何とか越えると、遂に山頂が見えました。

山頂には、ここが山岳信仰の場であることを物語る石塔がありました。

小学校3年生で登った山ですが、改めて単独で登ってみると、思っている以上にきつかったです。
汗だらだら、暑さと疲れで体はヒーヒー言ってます。

日和田山からの日高市街地の眺望。
これぞ、神の視点。

鬼姫山回峰行は、鬼姫山三神と心を一体化し、神秘の験力を授かることが目的です。

ひたすらに、「南無御聖大鬼神童女 南無本地観世音菩薩 南無本地大勢至菩薩」と神名号復唱をし、「オンオニコロヤーハナヒラリンリンソワカ オンワンコロヤーキバキバソワカ オンカラコロヤートビトビソワカ」と真言復唱をしました。

山に登った以上、下りなければなりません。

まっすぐ女坂を下りていき、駐車場に戻って帰宅しました。
無論、何度か滑りそうになって怖い場面があったのは言うまでもありません。

低山とはいえ、そこは神域です。
山は異界であり、本来はおいそれと人の入り込むところではありません。
安易な気持ちで山に入れば、死にます。
現在は観光解放されている山でも、元来は寺社領であり禁足地とされていたところは多いのです。

なので、山に登るとはどういうことなのか、どんな歴史的背景があるのかということを踏まえないまま、レジャーやスポーツの側面だけで山を語る風潮には疑問があります。

武州鬼姫信仰においても、秩父山地を足で踏破する「登拝」は、あくまでも非日常的な「修行」です。
日常的には、平地から秩父山地を眺めて想いをはせる「遥拝」が重視されます。

地元狭山市が飯能日高の山間部から離れているというのもありますが(車だと近いが、歩くとめちゃくちゃ遠い)、それだけに、山に登るというのは、非日常的な特別な行為なのです。

だからこそ、秩父山地に足を踏み入れるというのは、それ自体が神聖なものなのです。