養老渓谷を踏破してきた

どうも、同人結社鬼姫狂 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

館山城址踏破に引き続き、千葉県養老渓谷の踏破記録です。

千葉県南房総市白浜温泉にて一泊した後、鴨川市を経由して海沿いから内陸の山岳部に入り、大多喜町にある養老渓谷に向かいました。

養老渓谷に向かった理由は、ずばり「養老の滝」を生で見るためです。
「養老乃瀧」という居酒屋チェーンがありますね。
おそらく、そのお店の店名の由来でしょう。

大多喜町という地名は、おそらく「大滝」からきていると思われますが、自治体の公式サイトにも由来は載っていないので、確証は取れていません。

なんと、本多忠勝のゆかりの地だそう。
武将マニアには無知を笑われそうですが、調べて初めて知りました。
教科書を超えた歴史の知識は、知らないほうが当たり前なので、恥ずかしいとも思っていません。

私は歴史愛好家ですが、歴史学者でもないし、戦国シミュレーション「信長の野望」もやったことないですし、特別に武将マニアでもないので、公教育の教科書にも載らないような武将の細かいことはあまりわかりません。
なので、歴史について知ったかぶることもしません。
旅行の目的はほとんど神社仏閣城址巡りなのですが、「史実中心主義」ではなく、むしろ史実を捻じ曲げてでも娯楽性を優先する「創作時代劇中心主義」です。
だから、創作時代劇について過度に史実であることを要求し非難する「史実厨」と呼ばれる類の層が苦手だったりします。

一方で、創作時代劇を志す立場として、地理的歴史的感性を磨くのは大事なので、歴史学書を興味の赴くままに読むのは当然として、机上の読書だけでなく、実際に生の「景観」や「史跡」や「民具資料」を見に行くことにお金と時間を使います。
でも、細かい「知識」は、やっぱり忘れてしまうことの方が多いです。

小さい頃から歴史は好きなのですが、「知識詰め込みの受験歴史」は嫌いでしたし、歴史界隈には「知識量」でマウントを取ってくる層も多いので、「好きだけど詳しくない」と前置きすることにしています。

「受験歴史」と通ぶった人の「知識自慢」で歴史に抵抗を持つ人は少なくないと思っています。

「薩摩と長州の国賊が~、イギリスがフランスが~、大和朝廷と坂上田村麻呂の東北侵略が~」と、頼んでもいないのに長々と東北史観を聞かされたり、政治論を聞かされたりとか、うんざりして夕食がまずくなります。(実話)

私の根っからの政治史嫌いはこれが原因としか思えません……。

さて、ホテルから海沿いに出ると、太平洋が広がっていました。
埼玉には海がないので、港の風景は新鮮な気持ちになります。

ホテルから1時間ほど走った鴨川市内の道の駅。
似たような風景が続いて、さっそく飽きてきました。

道の駅の反対側。
里山と集落。
山側の風景の方が落ち着く気がするのは、やはり内陸部の民だからでしょう。

写真はないですが、道の駅を出て、鴨川駅近くの漁協直送の水産店がある大型の土産店に寄りました。
親から伊勢海老買ってきてくれと言われていましたし、海に来たからには海産物を買って帰りたかったので。
水族館感覚で、いけすにゴロゴロ魚や海老や貝がいるのを楽しみにしていましたが、いけすは小さく、伊勢海老もいなかったので、親の頼みは断念しました。
ないなら仕方がないです。

海沿いの道を進むと、山岳部に入る「清澄養老ライン」という県道に分かれるので、そちらに進みました。

写真はないのですが、途中、岩肌と崖に挟まれた離合困難な険道部分があり、観光道路でもあるからか、後続車は詰まるわ、対向車は来るわで、結構緊張しました。
山梨の身延山の近くにある西山温泉に向かう山道の方がよっぽど走りやすいレベルでした。

険道区間を越えて山道を進むと、開けた集落部に出ます。
養老渓谷温泉郷です。
温泉が目当てではないので、時間の都合で省略し、滝に向かいました。
すると、GOTOの影響なのか、平日でありながら、こんな山間部で駐車場がほぼ満車でした。
空いてる駐車場にねじ込んで、渓谷散策を始めました。

一番の見所、養老の滝。
あまり落差はない滝ですが、千葉県最大の滝だそう。
滝行には向いていなさそうですね。

滝つぼから、川に沿って散策路が整備されていました。
紅葉の時期に来るのが一番かもしれません。

二つ目の滝がありました。
こう、迫力のある感じの滝ではないですね。

なだらかな渓流が続きます。
なにげに、緊急退避路がいくつもあるので、大雨の時は怖いかもしれません。

思わず圧倒される断崖。
映画だと、こういうところから平気で飛び降りたりするんですよ……。

大規模な崩落現場。
落石が怖すぎます。
対岸の散策路の方まで巨石が転がっていました。

何もなかったように、静かな渓流が続きます。

特徴的な石を発見。
なんか、神様が座ってそうです。
古神道の「磐座」の概念は、こういう素朴な感覚から生まれたのでしょう。

三つ目の滝。
ほとんど枯れていました。

風情のある石橋。
渓流の散策路の終点です。
階段を上ると農家の脇に出まして、車道を10分以上歩いて駐車場まで戻りました。

途中、展望所のようなところがありまして、養老の滝が見えました。

駐車場に戻ると、大体午後2時半くらいでした。
あまり遅くはなりたくなかったので、5時には帰るつもりで出発しました。

帰宅途中、アクアラインの「うみほたる」に立ち寄り、軽食を取って土産を物色しました。
海ほたるは初めてですが、房総方面には滅多に行く機会がないので、二度目があるかはわかりません。

アクション映画のロケに使いたくなるような、海上施設。
ここがアメリカだったら、真っ先に使っているところでしょう。
日本だと、アクションっぽいことをやろうとすると、ロケNGばかりで場所探しが難航するそうです。

みんなハリウッドのアクション映画が大好きなのに、日本でアクション映画を撮ろうとするとロケNGばかりで、結局、人の少ない森くらいしか使えないので、撮れる内容も限定される……。
結果的に日本映画の衰退を招き、香港や韓国どころか、東南アジアにすら取り残されていくという悪循環……。
それで、「日本映画はつまらない」と日本人に言われ続け、ハリウッド映画ばかり見て、国産映画が見向きされなくなる……。

フィルムコミッションが中心となって、心意気だけはハリウッドレベルの面白い映画を作って日本の映画文化を盛り返そうという気風が出てくれると、志ある映像作家が育ちやすいと思うんですけどね。

「鬼姫山城砦村」と称して、アクション映画向けの山林原野型の撮影所を作りたいという夢があるのも、「日本活劇映画を発展させたい」という結構切実な想いからなんですよね。

時代劇の大規模な合戦や攻城戦もそうですけど、

現代劇であっても、
廃車寸前の車を乗り回してボコボコにしながら廃屋に突っ込んで爆発炎上する場面とか、
携帯式榴弾砲をドラム缶に撃ち込んで爆発炎上する場面とか、
お金のない学生やインディーズ映画であっても誰にも迷惑かけずに撮れる場所が欲しいじゃないですか。

そうなると、日本だと原野山林を私有地化するしかないですので。

旅行していい感じの場所に出くわすと、ついつい頭の中でアクションシーンが構築されてしまいます。

ここで妖賊と戦って、斬り合った末に崖から飛び降りたらかっこいいとか。

そんなことばかり考えています。

リアリティのあるアクション映画を描くには、ただ映画を見まくっているだけではだめで、自分の足で見聞を広げるというのは最重要だと思います。

現状、見聞旅行にかなりお金を費やしているので、マンガもゲームもあまり買わなくなりました。

どちらかといえば、アウトドア系の趣味に興味が移っています。

脚本上、ちょっとした小ネタとしてアウトドア系の趣味は重宝しますし、「週末にキャンプ」だけでも経験がないと書きにくいので、生の経験にお金を使ったほうが創作の肥やしになると思っています。

本やテレビやネットの受け売りで「知ってる」というのと、「実際に行ったことある、やったことある」というのは全然違うので、私は、学生時代の習作は除いて、基本的に「知らない世界」を「知ったように描く」ということは避けています。
墓穴掘るので。

「鬼神童女遊侠伝」で、家族の「生業」を明かしつつ「生業」を中心に描かないで子供中心にしているのは「職業物」が創作では高難易度だからですね。
子供中心の世界であれば、親の職業は知っていても、具体的に何をやっているかはわからないし、本筋として重要ではないので、それでいいわけです。

「とある場所に一軒の家があり、とある家族が住んでいて、妖賊が現れて窮地に陥ったけれども、鬼姫山三神の活躍によって救われました」

あとは、時代背景や、場所や、家族構成や、生業や、妖賊のモデルや、物語展開のバリエーション作りです。

「鬼神童女遊侠伝」の世界を掘り下げるためだけに生きてます。

他作品を買って参考にするのも大事ですが、生の経験が現状で一番役に立つと確信しています。

鬼姫神社建立の財源確保のために、鬼姫狂徒向けの永代供養権の販売を試します

どうも、同人結社鬼姫狂 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

公式サイトの「鬼姫神社」の項目に、「冠婚葬祭」と「永代供養」のページを新設し、鬼姫神社を建立するための信者獲得の動機として、「鬼姫神社御魂勧請永代供養権販売」というクラウドファンディングを立ち上げました。

鬼姫狂は、武州鬼姫信仰に基づく会員制の創作活動団体なのですが、単に創作活動の題材として消費するのではなく、本物の神社を建立して、大真面目に子孫代々語り継げる正統派の創唱神道団体として確立するのを大志としています。

神仏習合思想に基づき、鬼姫山三神を主祭神としつつ、その本地仏として阿弥陀如来、観世音菩薩、大勢至菩薩を本尊とする、阿弥陀堂を併設する神社を建てるのです。

「鬼神童女遊侠伝」は、神様の活躍を描いた神話であって、その信仰が本物志向であれば、本物の宗教団体として現実に存在することに違和感がないどころか、むしろ存在しないことに違和感があるといえます。

なので、鬼姫神社を現実に運営するために、信者を集め、宗教儀式を確立し、実行する必要があります。

私は、このような表現活動をしていることからもわかるように、霊的な世界を真面目に信じています。
見たことはなくても、信じています。

なので、死んだら極楽往生したいですし、霊魂を鬼姫山三神と同化させて護国の神霊となりたいと思いますし、そうありたいと信じています。

鬼姫神社こそが魂の収まり場所と本心から思っているからこそ、鬼姫神社の建立が鬼姫狂の目標なのです。

「鬼神童女遊侠伝」は神話なので、単に娯楽のひとつとして消費するのではなく、生き様として鬼姫狂徒になってくれる人を迎えたいところです。

宗教団体として成立するには、「その世界を信じる人」が絶対的に必要なので、死ぬまでも、死んでからも鬼姫狂徒、という人を集めることこそ大事なのです。

で、鬼姫神社を正式な宗教団体にするために、冠婚葬祭の儀式と永代供養は、教団運営の上で必須となるものです。

ここまでの仕組みを整備して初めて、武州鬼姫信仰が宗教学的民俗学的に正統派であると証明できるでしょう。

歴史上、新しい寺院や教会を建てるために、信者を集めて会費を徴収して財源を確保するというのは、当たり前にやってきたことです。

武州鬼姫信仰という信仰体系を心から好きだと言ってくれる人を集めて教団を組織するというのは、まっとうな社会活動です。
武州鬼姫信仰を好きじゃないという人に押し付ける気はないですし。

鬼姫神社の本尊を阿弥陀三尊にしたのは私自身が浄土教に興味が強いからですが、母親の父方の家系が浄土宗のお寺だったという事実があり、隔世遺伝なのではないかと考えています。
しかし、母親の父方の家系が浄土宗のお寺だったとはいえ、現在はまったく関係はないわけで、家系のつてで浄土宗に入るということはできません。
再受験の時に浄土真宗系の龍谷大学を受験したのもあり、「仏門に入りたいな」と思う時もありますが、そもそも師僧がいないと大学で講義の単位を取っても本山の修行課程の履修が認められず僧籍が取れないようなので、つてがないと難しそうです。

鬼姫神社は神社であって、基本は神道であり、阿弥陀堂は併設施設です。
だから、私自身が浄土宗の僧侶になる必要はなく、あくまでも在家信者という立場で浄土宗式の仏教を実践するというやりかたでいきます。
鬼姫神社として本格的な葬儀や年忌法要を行う際は、浄土宗のお坊さんと提携して依頼する形でやれば、浄土宗との筋も通るはずです。

一方、鬼姫神社は神道なわけですが、神道はもともと古代に自然発生したアニミズム的な神祇祭祀なので、明確な教義、宗派というものがありません。
一応、神社本庁という組織が包括的な神道団体ということになっていますが、国家神道の名残であって、神社本庁に属していない単立神社も多いです。
そもそも、岩ひとつ、木ひとつで「そこに神様がいる」と思えば神社の成立であり神道なので、神様を祀るのに本来誰の許可もいらないし、資格もいらないわけです。
そのため、鬼姫神社が神社本庁所属になる必要性はあまりないと考えます。

神社には本来社殿そのものがなかったので、インターネット上の仮想的な神社風の画像であっても、原理的には依代として、十分に公開性のある礼拝施設となります。

宗教法人法的に、インターネット神社が礼拝施設として認められるかは難しいので、不動産としての神社を建てるというのが当面の課題です。

国家神道の時代ならともかく、現在は神社の宮司になるのに国家資格も何もないので、神社を所有すれば誰でもそこでは宮司です。
だから、神社を建立するための財源を確保するため、御魂の永代供養権の販売という手段を使って、鬼姫狂徒の募集活動を展開していきます。

どう考えても胡散臭い宗教団体ですら軌道に乗るのですから、まともな宗教活動が軌道に乗らないはずがないと信じてやれば、なんとかなるはずです。

館山城址を踏破してきた

どうも、同人結社鬼姫狂 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

前回の鋸山踏破記録に引き続き、館山城址の踏破記録を公開します。

鋸山踏破を終え、漁協併設の食堂で昼食を取り、日暮れまでまだ時間に余裕があったので、千葉県館山市にある館山城址に向かいました。

食堂から館山城址まで、1時間かからないくらいでした。

館山城は、戦国時代に南総一帯を支配した里見氏の居城で、「南総里見八犬伝」の八犬士のモデルになったとされる忠臣の墓所があるお城だそうです。
現在は天守閣風の博物館が建てられていますが、実際には江戸時代1614年に里見氏が改易されて廃城になっており、1781年に稲葉氏が館山藩主になってからも再建されることはなく、当時の天守の構造については不明なんだとか。

駐車場から本丸の天守閣(風の博物館)が見えます。

さっそく城攻めを始めました。

敵の侵入を阻む、急斜面。

何の変哲もない舗装路が続くので、一気に本丸まで進みます。

本丸に浅間神社があり、裏に浄化水槽がありました。
浄化水槽の設置場所が最適とは思えません。
浅間神社は富士山をご神体とする神社ですが、向きは富士山側ではありませんでした。

天守閣。
あくまでも模擬天守なので、中身は普通の博物館です。
時間の都合で入館はしていません。
入口で、館山市を舞台にしている架空戦記物の萌えアニメのPRをやっていました。
あまり私の琴線に触れない(実写映画化したら違和感ありそうな)不自然な服装をしているようなヒロインだったので、詳細は割愛します。

本丸から裏手の斜面に下りると、八犬士のモデルとされる忠臣の墓所がありました。

小奇麗に整備されている本丸と違い、こちらこそが廃城となった館山城としての真の姿でしょう。

本丸に戻ります。
敵の侵入を阻む急斜面。
これぞ山城。

両脇と背後は急斜面で、正面は上り坂の高台になっています。
正面から弓矢や鉄砲で攻撃されたら逃げ場がありません。
上り詰めた広場には防御用の櫓があったものと考えられます。

上り詰めた広場から本丸を見るときれいな庭園になっています。
しかし、おそらく当時は防御壁と櫓が立ち、下から攻める敵の侵入を阻んでいたと思われます。

広場から本丸に向かうには、また急斜面に作った狭い道を通ることになります。

乱戦になったら、侵入する敵に斬り込みつつ両脇の急斜面に突き落とす戦略でしょう。

やはり、正面は上り坂で高台になっています。
弓矢や鉄砲で攻撃されたら終わりです。

高台からの遠望。
山間の集落、こういう景観が好きです。
人形劇団時代、千葉県出身の団員が何人かいましたが、私がいつか鋸山に行きたいと言いまわっていると、「千葉県に山なんてあるの?」と真顔で言っていました。
その団員は千葉県の船橋市、印西市、松戸市の在住でした。
埼玉県民からすると、房総半島の奥まで行ってこそ、初めて千葉に行ったという印象です。
実際に行ってみると、房総半島は伊豆半島並みに山だらけでした。
埼玉県の東側に住んでいる人が「埼玉に山なんてあるの?」と真顔で言う現象と同じなんだろうと思います。

本丸から東京湾の方を遠望。
こっちの方が、三方を海で囲まれた千葉の印象なのかもしれません。

天守閣わきの斜面から駐車場に戻ります。

やはり、急斜面に作った草ぼうぼうの狭い道です。

斜面の道を下りきったところ。
上から狙われたら終わりです。

舗装路に合流。
攻めにくい急斜面。

急斜面をよく見ると、段々状になっています。
盛り土によって足場を設け、斜面を防御陣地化しているのがわかります。

段々状の盛り土を縫うような、ジグザグの通路っぽい地形が見えます。
上は本丸で天守閣がちょっと見えますが、実際には防御壁と櫓がそびえていたと考えられます。
狙い撃ちされたら隠れる場所はないです。

館山城を一通り回ると日が暮れかけていたので、宿泊先の白浜温泉に向かいました。

館山城から1時間ほど南下すると、宿泊先のホテルが見つかりました。
ものすごく年期の入ったホテルでした。

ホテルで一泊して、2日目は養老渓谷に向かいました。

とりあえず、養老渓谷については後日に改めて書きます。

ちなみに、館山城天守閣でPRしていた萌えアニメは、「戦翼のシグルドリーヴァ」という題名だそうです。

別に好きな人を否定する気はないですが、やっぱり絵では成立しても、実写だと違和感ありそうなヒロインたち。

あと、この手のやたらアップテンポで抑揚のないアニソンも、私の好む主題歌ではないです。
唱歌とか演歌とか、きっちりとした七五調だったり、抑揚のある歌が好きなので。
クラシック音楽が専門の私の母親も、この手のアップテンポな歌が苦手だそうです。
母親は現在声楽の市民サークルに参加しているのですが、指導役の声楽が専門の先生も、「巷で流行っている歌は、音楽理論的にはめちゃくちゃで聴けたもんじゃない。若い人に売れてはいるんだろうけど、正統派の音楽も知ってほしい」と言っているそうです。

この手のジャンルを否定する気はないですけど、クラシック畑の親のもとで育っているので、私もやっぱり苦手です。
アップテンポ系の主題歌は、そもそも耳に残らないので、何度聞いても覚えられないのです。
主題歌として成立しているのかという正直な疑問があるのは否めません。

アニメとして面白いかどうかは最後は物語で決まるとはいっても、主題歌とキャラデザという一番目立つ部分で先入観を持ってしまうと、視聴覚作品としては敷居が高くなります。

食わず嫌いしないようにとはいえ、娯楽には好みがありますからね。

実写映画化して生身の役者が演じてもあまり違和感のない萌え系ラノベ、マンガ、アニメを志向する人って、作る側にも見る側にも少ないのでしょうか……。

ヒロインはどうしても顔出しする宿命があるので、私だったら、生身の役者が演じても変じゃない髪型、服装を設定したいです。
ラノベ、マンガ、アニメの実写化があれだけ「ひどいからやめろ」と叩かれ続けているわけですから、映画で育った私の観点は、的外れではないと信じています。

このアニメは、たぶんワンクールで終わってしまうと思うので、1話くらいは試しに見てみようと思います。
架空戦記物自体は好きなジャンルなので。