どうも、同人結社鬼姫狂 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。
鬼姫山回峰行として越生町の大高取山を踏破してきました。
鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰の根本聖地である秩父鬼姫山総本山がある秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山がある山岳地一帯を自らの足で踏破する山岳修行です。
鬼姫山を取り囲む秩父山地の山々と、各地方の鬼姫山支山がある山岳地一帯の整備された登山道を踏破し、鬼姫山への想いを馳せることによって、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指します。
大高取山は、越生の中央にあり、越生駅から間近に見える標高376mの山です。
地元の豪族の拠点でもあり、山中には高取城址があり、麓には豪族を祀る越生神社があります。
山の周囲には小規模な寺社が点在し、奥に進んで裏側に回れば景勝地として有名で修験場でもあった黒山三滝があります。
越生町の役場もこの山の麓にあるので、まさに越生の歴史と文化の象徴となる山といえるでしょう。
越生方面は大学時代に黒山三滝に行って以来の2度目の散策となります。
登山のために行ったのは初めてです。
中学高校時代は毛呂山町にある某私立学校に通っていたので6年間は東武東上線、越生線の利用者でした。
が、狭山市からだと西武線で一度川越に出て、東上線で坂戸まで行って越生線に乗り換えて越生まで行くという面倒臭い経路になります。
なので、どう考えても自家用車の方が楽なので、自家用車で行ってきました。
自家用車を中央公民館に置き、まずは麓の正法寺から散策を始めました。
深谷出身の渋沢栄一と縁のあるお寺のようで、門前に旗が立っていました。
山門の額は、山岡鉄舟によるものだとか。
幕末には疎いので、山岡鉄舟がどういう人だかはよくわかりません。
鶏が放し飼いになっていました。
本堂が開いているわけでもなかったので、すぐに駐車場まで戻り、山行きに入りました。
中央公民館の駐車場のすぐ脇が、大高取山の登山道の起点となっていました。
山頂まで2.6㎞です。
道標に、世界無名戦士之墓とありました。
無名戦士之墓は、第二次世界大戦の戦没者を国籍や階級を分け隔てなく祀った納骨堂です。
まったく思いがけずだったのですが、あの有名な心霊スポットがここにあったんですね。
昼間ですし、心霊スポットだからというのではなく、真面目な気持ちで立ち寄ることにしました。
登山というよりも公園の散策という雰囲気が続きます。
公園歩きですが、それでも結構な高さまで来ました。
さくらの山公園だそうです。
私、こういう中途半端にひらがなを使った表記法があまり好きじゃないです。
桜山公園でよくないですか?
ここから登山道らしくなってきます。
心臓破りの木段が続きます。
木段を上がりきったところ。
有害鳥獣捕獲実施中とのこと。
無名戦士之墓の由緒書き。
心霊スポット呼ばわりしていいのだろうか。
納骨堂への石段が続きます。
馬魂碑。
慰霊碑。
無名戦士之墓の建立を発起した人の顕彰碑。
納骨堂前。
納骨堂内部。
納骨堂の上は展望所になっています。
すぐ後ろの壁の中に3階建てで戦死者の遺骨が眠っていると考えると、展望所だからといって行楽気分ではしゃげるところではないですね。
納骨堂の裏手には三界萬霊と書かれた供養塔が。
供養塔から納骨堂の裏手を回っていくと、登山道があります。
ここから本番です。
木が生えているからあまり気にならないけれども、かなりの急斜面です。
ひたすらまっすぐ道が続きます。
ここで、虫除けスプレーを持ってこなかったことに気付きました。
虫刺されが心配です。
心臓破りの坂が始まります。
写真だとわかりにくいですが、木の根が這う急勾配の登り坂が延々と続きます。
かなり疲れます。
急勾配を登り切りました。
ぜーぜーいってます。
道標に従います。
尾根筋が続きます。
大高取山まで1.4㎞、大体半分来ました。
割と平坦な道が続きます。
心臓破りの急勾配が始まりました。
結構長いです。
まだまだ続きます。
急勾配を登り詰めたところに、むき出しの石灰岩がありました。
白石様といって、信仰の対象になっているようです。
古神道ですね。
さらに登りが続きます。
登ったと思ったら下り始めました。
下ったと思えば、また登り。
奥に山頂部らしい線が見えますが、それが遠い。
また急勾配。
山頂はまだまだ先です。
最期の急勾配が始まったようです。
きつい登りがこれでもかと。
終わりが見えているのに遠い。
きつい登りが終わりました。
右に進むと山頂です。
大高取山の山頂に到達。
標高376m。
ちょうど富士山の10分の1だそうです。
ベンチに座ってぜーぜーいいながら休憩し、しばらく下界を眺めました。
標高自体は、子ノ権現の半分くらいですが、疲れるものは疲れます。
疲労の中で、聖地秩父鬼姫山へと想いを巡らせました。
山に登った以上は下りなければいけません。
回復してから、下山を開始しました。
下山ルートは登山ルートと違うものを選び、虚空蔵尊というお寺を目指しました。
道標のちょうど真ん中あたりの奥に、虚空蔵尊へ続く道があります。
登りの道よりも利用者が少ないのか、細い獣道みたいになっています。
茂みが体に触れるので、ヘビやヒルが心配になってきます。
クネクネ何重にも折れ曲がった細い道を下りると、道標がありました。
虚空蔵尊の方へ進みます。
少し朽ちた感のある展望所。
展望所の先が、なんか不安になるくらい茂みに覆われていました。
利用が少な過ぎて廃道化されていたらどうしようと思いつつも、様子を見に行きます。
下は割りと開けていました。
不安を煽る茂みはあそこだけだったようです。
道標が風化していますが、要は下りたいので、下り道を進みます。
だんだん谷間の沢沿いにあるジャリジャリした小石の多い道になりました。
ロープがある岩場があり、転ばないように慎重に下りました。
下りなのでロープは使いませんでした。
延々と下りていきます。
坂がなだらかになり、開けてきました。
虚空蔵尊まであと1㎞。
来た道を振り返ると、延々と続く道にうへーとなりました。
あまりに人が利用しない道なのか、案内板が朽ちて倒れていました。
ここからは自動車のタイヤの跡が残る林道になっています。
歩きなら広い道なので、安心して進めます。
道沿いは結構な岩肌が迫っています。
虚空蔵尊まで700m。
林道から抜けました。
虚空蔵尊とは書いてありますが、お堂はどこなのやら。
何も見えません。
この公園として整備された斜面の上にあるかもしれないと思い、登ってみました。
結構きつい坂です。
白い建物が見えました。
奥に黒い瓦屋根が見えます。
あれでしょう。
まさに、これが虚空蔵尊でした。
もちろん、本尊は虚空蔵菩薩です。
合掌。
山行きの無事を報告しました。
虚空蔵尊の石段を下りたところ。
謎の石碑。
三満山虚空蔵尊とあります。
昔はここにちゃんと山門があったんでしょうね。
ここから中央公民館の駐車場に戻ります。
分かれ道に灯篭があり、大宮神社500mとあります。
ついでなので行ってみます。
背後には、自分が踏破してきた大高取山が見えます。
あそこから来たんですよね。
お地蔵さん。
謎の石碑。
あと300m。
あと100m。
奥の森の中でしょう。
ターミネーター2のオープニングのような、朽ちた公園。
大宮神社に到達。
埼玉県の新幹線駅があるあの大宮とは関係ないようです。
大宮神社をお参りした後、大高取山の位置を照らしてなんとか駐車場の方に向かいます。
見知らぬ住宅地を延々と進むと、お寺が見えました。
けれども、最初に行った正法寺とは違うお寺のようです。
法恩寺ということです。
正法寺と同じく、渋沢栄一の旗が立っていました。
本堂脇には、四国八十八霊場御砂場がありました。
これを踏むと、四国八十八箇所巡りをしたのと同じ功徳が得られるそうです。
昔は歩くしかなかったので、隣村に行くのだって大変な手間です。
ましてや遠い四国や伊勢や熊野や富士を詣でるのは、並大抵の苦労ではないでしょう。
なので、昔の人は、「実際には行っていないけど、行ったことにする」お手軽技を考案しました。
そもそも、お坊さん自体、修行や日々の勤行の中で「とても読み切れない膨大なお経を読んだことにする」作法をやっているわけですから、庶民向けにお手軽技がないはずがないです。
自分は、この砂場を踏んだので、四国八十八箇所巡礼をしたことになりました。
だけど、いつか本当にやってみたいですね。
何日かかるんだろう。
ま、秩父観音霊場巡りの方が先でしょうが。
法恩寺を出ると広い道に差し掛かり、山の中に無名戦士之墓が見えました。
だいぶ駐車場に近づきました。
道をまっすぐ進むと、越生神社がありました。
地元の豪族を祀るものだそうです。
標高170mくらいの山の上には奥宮があり、そこは豪族の居城の高取城址だそうです。
案内板がなかったので、高取城址には行っていません。
境内には、勧請された子ノ権現がありました。
2日前に行ったばかりなのに、なんという偶然。
お稲荷さんもありました。
越生神社の参拝をして、駐車場に向かいます。
なんとなく、多分あの山の上が奥宮のある高取城址なんじゃないかと推測しています。
駐車場を一度通りすぎて、公民館の裏手に沿って山に近づくと、そこに岡崎薬師がありました。
地元の豪族の越生氏の分家岡崎氏の居館跡で、守り本尊を祀ったものだとか。
裏にはお稲荷さんがあります。
山ですから、お狐様は当然いるでしょうね。
この時点で、17時30分を過ぎていました。
他にも散策したいところはありましたが、次の日が出勤で朝早いので、これで切り上げて帰宅しました。
これで、大高取山踏破は完了です。
疲れたので、以前から気になっていたゆうパークおごせで風呂に入ってから帰ろうとも思いましたが、お金もないし、夕食を考えると19時前には帰っていないとまずいので、立ち寄り湯はやめました。
ゆうパークおごせは、町営から民営化されてリニューアルし、なんと露天風呂もあるそうです。
次に越生方面を散策するときは、試しに行ってみようと思います。
次の鬼姫山回峰行は、高山不動尊と関八州見晴台にしようかと思っています。
登山でもなんでもそうですが、まず発起人が自分でやっていないと仲間集めの説得力がないので、手間暇かかっても、目に見える形で活動報告はブログにあげていきます。
まだ自分は登山初級者ですから、富士山も剣岳も槍ヶ岳も木曾御嶽も白山も立山も登ったことないです。
しかし、戸隠山も妙義山も八海山も榛名山も赤城山も、神社の拝殿だったり、自動車で入り込める散策路まではかなりの数をこなしているので、山頂踏破に限定しなければ、本当の初心者からすれば十分に山先達と自称してもいいんじゃないでしょうか。
富山県と北海道以外は、一度は一人旅で行っていますし。