鬼姫山回峰行 第11回 仙元山

どうも、同人結社鬼姫狂団 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。

鬼姫山回峰行として、埼玉県小川町の仙元山(299m)を踏破してきました。

鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。

仙元山は、道の駅小川町のちょうど真正面にある山で、中腹は見晴らしの丘公園として整備されています。
計画では、同じく小川町にある官ノ倉山と金勝山に行くつもりでしたが、道の駅すぐ真正面にある山の方が車を置きやすいという都合があり、その場のノリで変更しました。
官ノ倉山や金勝山とともに、位置的に小川町の中心部を囲うようにそびえる山なので、古来から神聖視されてきた山であると想像しています。
ちなみに、仙元山は、古くは浅間山と書き、富士山をご神体とする浅間神社があったことがその名の由来であるという説もあるようです。(山の上に神社はなかったですが)

道の駅に車を置いて、昼食として地場の小麦粉で作った手打ちうどんを食べてから、山行きを始めました。

道の駅のすぐ先が仙元山です。
写真だと小さい山に見えますが、肉眼だともっと大きく見えました。

川沿いに出て、見晴らしの丘公園に向けて歩きます。

橋を渡って、

突き当りにお寺がありました。
もしかすると、昔は山全体が境内だったのかも。

お寺をお参りして塀沿いに右に進むと、登山道が見えてきました。

舗装路はあっという間に終わり、木段になりました。
ここから本番です。

細い道をまっすぐ進んで、

小石でざらついた登り坂が始まりました。

ここから急登です。
結構勾配がきついです。
しかも土が滑りやすかったです。
転倒の心配はありますが、斜面はゆるく、道の脇は盛り上がっているので、滑落の危険はありません。

これでもかと木段が続きます。

滑りやすい土の道を登って、

また延々と木段を登ります。
木段の先に開けた感じがあります。

見晴らしの丘公園に着きました。
なにげに、この木段がきつかったです。

巨大ローラー滑り台が売りとのこと。

仙元山山頂、青山城(割谷城)跡という道標があるので、それに従って歩きます。

砂利道を進み、

案内はないけど、上に行く登山道のようなところがあるので、そこに入ります。

東屋がありました。
圧倒的、山の景観。

東屋から道が続いているので進んでいくと、山頂と書かれた案内があるので、ひたすら進みます。

左側は斜面ですが、道はしっかりしているので、ちゃんと歩いていれば滑落の心配はありません。
ただ、土が滑りやすく、転倒の心配はありました。
あと、蜘蛛の巣が顔に何度もかかって、それがちょっと不快でした。

延々と同じような道が続きます。

山頂への分かれ道があるので、山頂方面に進みます。

なにげに、ここは急勾配です。

急勾配を抜けると、道標があるので、山頂方面に行きます。

延々と進みます。

急に、一部だけ木がまったく生えていない丸裸の斜面がありました。
事故防止のためかロープで通せんぼしていましたが、なんのためでしょうかね。
眺望は最高ですが、ダムの洪水吐のように結構きつい斜面なので近づくと怖そうです。

また延々と進みます。

急登が始まりました。

急勾配を登り切って、

山頂を示す道標があり、突き進みます。

仙元山山頂に着きました。
眺望はあまり良くありません。

こんな感じです。

一休みした後、青山(割谷)城跡に向かいました。

しばらく、延々と同じような道が続きます。

分かれ道に、「町指定史跡 青山(割谷)城跡」とあるので、そちらに進みます。

ここから城の領域です。

入口は信じられない急坂です。
敷石の残骸らしい痕跡がありました。
両脇は急斜面で、突き落とされたら死にます。
上から弓矢などで狙われたら逃げようがないです。

急坂を登り詰めると、その先は人工的に切り開いた崖である堀切になっていました。

切り開いた痕跡。

両側が急斜面で怖いので、堀切の全体像は撮れませんでした。

堀切の上は曲輪になっていて、曲輪の先はさらに堀切がありました。

堀切の両脇は斜面に落ち込んでいるのですが、よく見ると、一段低いところに平たい地形がありまして、防御陣地のための足場が作られていたのだと考えられます。

堀切を登ると、広々とした本曲輪がありました。

説明書き。

土塁。

空堀。

土塁。

土塁。

土塁。

土塁。

土塁や空堀の痕跡がはっきりとわかります。

土塁の上に散らばった石。
敷石の痕跡だそう。

よく見えないけど竪堀。

よく見えないけど竪堀。

竪堀の先に、曲輪がありました。

堀切跡だそう……。

木が生え放題で、何が何だかわからんです。

二の郭から木段を下りて、

二の郭の下は空堀になっています。

二の郭の先は細い尾根筋になっていました。
両脇が急斜面なので、曲輪から狙われたら逃げ場がありません。
これぞ、山城。


この先どこに行くかわからないので引き返しました。

城跡を実地調査して楽しんだ後、一休みして、下山を始めました。

帰りは、見晴らしの丘公園(巻道)というのがあったので、そちらを行きました。

延々と進むと竹林になり、道が細くなりました。
急斜面上で結構怖さがありましたが、慎重に進んで突破しました。

延々と進んで、

見晴らしの丘公園に出ました。
ここまでくれば安心です。

公園に展望台があったので、下界を眺めました。
小川町の中心地があり、右奥が金勝山、金勝山の左手前にちょっと見えているのが、たぶん官ノ倉山です。
一番奥にあるのは、秩父の山です。

登山マニアの方々は、おそらく、日本アルプスにあるような、2000m、3000m級の山に行きたがるのかもしれません。

けれども、本来、町や村に近い身近な里山にこそ、私たちの暮らしを見守っている身近な神様が住んでいるんだと思います。
地図を見ても名前すらわからない山に、由来の分からない謎の小さな神社があったりします。
そういうところに興味を向けるのが、山のありかたを知る上で大事なのかもしれません。
守り神だけでなく、祟り神が祀られている可能性もありますが。

守り神、祟り神といえば、武州鬼姫信仰の世界観においては、災いをなす祟り神のことを神とは呼ばず、神になれない日陰の存在として「妖賊」と呼んで区別しやすくしています。
古神道的な感覚において、神と妖の区別は曖昧というか、性質的にはほとんど同じものといってもいいかもしれません。
なので、武州鬼姫信仰では、「神族」と「妖賊」で善悪・明暗・表裏を区別し、災いを及ぼす妖の側を「徒党を組んで悪事を働く者」という意味を強めるために、妖族ではなく「妖賊」としています。

鬼姫狂団が提唱する新しい鬼ごっこ「鬼姫合戦」では、鬼姫軍の側に「土地神」の枠があります。
武州鬼姫信仰は、基本的には古神道的な感覚の上で成り立っているので、たくさんの土地の神様が特別出演枠で登場することが前提にあります。(東映任侠映画「兄弟仁義」でいえば、鶴田浩二や村田英雄あたりの立ち位置。大体途中で殺される)
犬だったり、猫だったり、狐だったり、狸だったり、お凜様のような鬼神様だったり、色んな神様が出てくる可能性があります。
村ひとつ仕切る神様だったり、お凜様のように、国ひとつ仕切る神様だったり、色々と。

神道(かんながらのみち)というのを、義理と人情の股旅物の世界に結び付けて打ち出したのが「鬼神童女遊侠伝」の基本路線なのです。
まだ大風呂敷を広げるまでの段階には到達できていませんが。

ちなみに、古神道的な世界+任侠という発想では、2008年~2012年にジャンプで連載されてアニメ化もした「ぬらりひょんの孫」という漫画があるのですが、「鬼神童女遊侠伝」の前身となる映像学科時代の習作課題脚本「鬼神童女」シリーズの方が歴史的には古いです。
(「ぬら孫」の方が後から創作されて有名になり、先にアニメ化されて先に打ち切りされて、気がつけば終了してた。アニメ版を少し見たけど、任侠っぽさも民俗っぽさもないただのバトル学園漫画だったし、何故か主題歌が和風な雰囲気が微塵もない変なラップだった。「ぬら孫」アニメ化の際は、自分は再受験浪人中で、「やられた」と思ったけど、思ってた世界観とだいぶ違っていた。自分は、再受験浪人しながら、江戸時代のやくざ文化や民間信仰について専門書を読み込んでいた)

民俗学の世界というのは、基本的に文書化されていない口承や実地調査の分野なので、過去を掘り下げることについては限界が来ているともいわれています。
だからこそ、これからは過去ではなく、現代の民俗を生み出すべきなのかもしれません。

ありがちなジャンプ漫画をなぞった学園バトル漫画ではなく、正統派の民話の世界として。

この峠、谷、滝、沢には、なんとなく人知を超えた存在が住んでいるかもしれない。
そういう感覚を抱きながら鬼姫山回峰行をやると、山道を踏破するのが面白くなってくるはずです。

鬼姫山回峰行 第10回 丸山(埼玉県民の森)・日向山

どうも、同人結社鬼姫狂団 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。

鬼姫山回峰行として、埼玉県横瀬町芦ヶ久保にある丸山(標高960m)と日向山(標高633m)を踏破してきました。

鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。

丸山と日向山は、国道299号の芦ヶ久保の道の駅の目の前にそびえる大きな山で、中腹あたりまでは果樹農園が広がっています。
丸山については、山頂が埼玉県民の森の敷地内にあるため、県民の森まで車で行って登る人も多いかと思います。
日向山は、県民の森に向かう途中の車道沿いに山頂があり、公園化されていて駐車場も整備されているので、やはり車で行くこともできます。
しかし、現在、県民の森に向かう林道が台風の影響で通行止めになっていたり、コロナ感染拡大予防のために県民の森の駐車場が封鎖されていたりなどするので、山の上まで車で行くのが難しい状況になっているようです。
そのため、今回は道の駅に車を置いて、麓から自分の足で踏破することにしました。

芦ヶ久保の道の駅。
今回登る山がドンとそびえています。

山道の入口に神社があったので、登山の無事を祈願しました。

山道を進みます。
かなり急勾配です。

県民の森の駐車場は閉鎖中です。

延々と車道を登ります。

分かれ道に突き当たりました。
県民の森ハイキングコースは右のようでした。

国道を挟んで向こう側に、二子山や武甲山が見えます。
まだ10分も歩いていない感じですが、ここでも結構な高度です。

丸山林道近道という看板があり、登山道が延びています。
しかし、不安になるような荒れ具合です。
ここは通りません。

道標や案内地図を見ながら、延々と進みます。

突き当りに登山道という表記があるので、右に進みます。

この鋭角に曲がった登り坂が進路です。

高度が上がってきました。

道標の通りに進みます。

突き当りに登山道の入口がありました。
靴紐のゆるみを確認して水分補給をした後、突入しました。

延々と登ります。

駅から2㎞来ました。
丸山・県民の森まで2.1㎞とあります。
ちょうど中間ですね。

延々と似たような風景の道を進んでいきます。
転落の危険はあまりないです。

登り詰めて尾根筋に出ました。

丸山まで1.5㎞。

広い尾根筋を歩き続けます。
勾配もなく、危険度も低く、回復ポイントのような感じです。

謎の石仏。
大日如来とあります。

写真だとわかりにくいですが、信じられないほどのきつい勾配の坂が始まりました。
転倒に気をつけながら進みます。

すさまじく折れた木。

急坂を上から見たら、帰りが心配になりました。
写真だとわかりにくいですが。

平坦な道がしばらく続き、

また急坂が続きます。

道標が読めません。

延々と急坂を登ります。

急坂を登り詰めて、林道に出ました。

こんなところまで西武鉄道が土地を持っているんですね。

丸山まで0.9㎞。

遊歩道風の木柵が見えました。
県民の森に突入です。

丸山山頂への登山道を進みます。

小さい頃、母親に連れられてよく行ったなあ。
どんな場所だったか、ほとんど覚えていないけど。

展望広場(丸山)に向かいます。

きつい木段が続きます。

延々ときつい登りが続いて、

遂に丸山山頂(標高960m)に到着です。

展望台に登って景色を眺めました。

武甲山がかすんで見えます。

横瀬、秩父の市街地。

秩父方面とは逆側。
鉄塔の立つ山が見えます。(何山だかはわかりません)
あんなところに鉄塔を立てるんですよね。
高圧送電線って、どうやってかけるんだろう。

丸山山頂のベンチは先客で占領されていたので、展望台の上のベンチでおにぎりを食べました。

すると、武甲山方面からゴロゴロと雷のような音が聞こえてきたので、長居しないほうがいいのではないかと考え、そそくさと下山を開始しました。

県民の森の舗装路を進み、

芝生で整備された斜面の広場に出ました。
小さい頃に母親に連れられてよく遊んだ広場です。
凄く懐かしい。
もう35歳になっちゃいましたよ。

登山道をひたすら下ります。

登りで苦しめられた急坂を慎重に下り続けます。
今にもズルっといきそうで緊張します。

急坂を下りた先に、日向山への分かれ道があります。
そこを進んでいきます。

延々と下ります。

謎の巨石があって、

巨石を下りたところに祠がありました。
古神道ですね。

その先に道標があるので、日向山に向かいます。
大昔の道標もあります。
重要な峠道だったのでしょうね。

林道に出ました。

現在地を確認し、左に進みます。

山上集落があり、

その脇から登山道が延びているので進みます。

整備された公園になっています。

公園とはいえ、急勾配。

公園から登山道に入ります。

またかよという、信じられない木段。

延々と登ります。

開けてきました。

日向山山頂(標高633m)に到着です。

展望台に立って景色を眺めました。
小休止後、下山を続けます。

延々と進んでいって、

芦ヶ久保駅方面に。

急な木段の下りが延々と続きます。

神社脇に出ました。
ここまでの無事を報告し、さらに下ります。

車道に出ました。

山上集落が美しい。

ここからまっすぐハイキングコースを下りていくと麓に出られるようです。

延々と進みます。

農村公園と芦ヶ久保駅の分かれ道があります。
駅前に出たいので、まっすぐ進みました。
この時、農村公園方面に向かっていれば……。(後述)

尾根筋を延々と進んで、

草ぼうぼうの道を進んで、

もはや獣道のような道を進みます。
草が生え放題のため、斜面との境がわかりません。
水の音が聞こえるので、どうも下は沢のようです。

しばらく行くと、道標があるので、従って左に進みます。

この先、写真を撮り忘れましたが、右側が断崖絶壁で、下に岩ゴツゴツの沢が流れる、狭路となっていました。
おまけに、整備が行き届いていないのか、足場が水平ではなく、谷側に傾いていたりしました。
落ち葉も積もり放題、崩れかけた石も散らばっていました。
つかまれるものもありません。
落ちたら即死級の高さでした。

図説するとこんな状況なのですが、おばさんが先行して歩いていたので、慎重に行けば通過できるはずだと信じ、進みました。
とはいえ、めちゃくちゃ怖いです。
あろうことか、途中で段差もあり、しかも傾いていて崩れかけているという酷さ。
足を滑らせれば即死です。
なぜ、おばさんは平然と通過できたのか。
細心の注意をもって段差を乗り越え、少しずつ前に進みました。
だんだん高度が下がってきて恐怖感も薄れ、無事に狭路を通過しました。
まあ、無事に通過したから、こうして暢気にブログ書けるんですけど。

こんな石橋を設置することができるなら、なぜもっと沢沿いの道を広く削らないのか。

今思えば、あんなに頑張らなくても、引き返して農村公園に出ておけばよかったです。(そちらにも罠があったかもしれんが)

通過した道を振り返りました。
写真だとわかりにくいですが、狭路でかつ傾いているのが見えると思います。
奥はもっと高度があり、崖が切り立っていました。

安全な道を登り、

仏像の裏に出ました。
芦ヶ久保の道の駅から見える、高台の仏像です。

仏像に生きて踏破できたことを報告し、感謝しました。

最後の最後に、あんな恐怖があるとは……。
なぜあれが、一丁前に観光客向けのハイキングコースに設定されているのだろうか。
せめて、転落防止柵はつけてほしかった。
フェンス沿いを歩いてきたわけだし。

集落の車道に出て、道の駅に向かいます。

無事に道の駅に到着しました。

くそ疲れていたので小休止し、帰宅しました。

今回で、遂に標高960mの山に登りました。
丸山までの道は、中腹までは車道だったので、そこまでは割りと安全でした。
登山道に入ってからも、そこまで危険度は高くなかったです。
とはいえ、下山中の沢沿いの狭路で危険を感じる場面はありましたので、「観光客向けのハイキングコースだから安全」というわけではないと再認識しました。

登山なんだから何が何でも登山道を使う、という変な先入観は捨てて、安全な車道が並行しているのならばそれを使うようにしていきます。

どれだけ体を鍛えても、急斜面から落ちたらどうにもなりません。
安全が一番大事です。

鬼姫山回峰行はまだまだ続きます。

鬼姫山回峰行 第9回 日和田山・物見山・北向地蔵縦走

どうも、同人結社鬼姫狂団 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。

鬼姫山回峰行として、埼玉県日高市と飯能市をまたいで、日和田山・物見山・北向地蔵の縦走をしてきました。

鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。

ここ数日天気が崩れがちなので、雲行きが不安でしたが、なんとか決行はできました。

とはいえ、当初の山行きの計画とは大幅にずれています。
最初、西武線の東吾野駅に車を置いて吾野駅まで電車に乗り、そこから大高山と天覚山に登るつもりでした。
しかし、東吾野駅に行ったら駐車場がうまっており、吾野駅に行ってみたらどうも駐車場がなさそうでした。
それで、芦ヶ久保の道の駅まで移動し、日向山か丸山に登ろうと思ったら、正丸トンネルを越えたら集中豪雨に降られてしまいました。
芦ヶ久保から引き返して正丸トンネルを越えると、雨が降っていませんでした。
正丸峠を境に天気が違うようで、正丸駅に車を置いて伊豆ヶ岳に登ろうかとも思いましたが、登山中に雨に降られると怖いので、やめました。
芦ヶ久保までの往復で無駄にガソリンを食ったため、諦めて帰宅しようと思いもしましたが、飯能市街に向けて走っているとだんだん雲が晴れてきたので、そのまま日高市に向かって日和田山に登ることにしました。

日和田山は一度女坂で登っているので、今度は急峻な男坂に挑み、物見山、北向地蔵に縦走して、五常の滝に下りていく、という経路にしました。
山の縦走で、車を置いたところからはだいぶ離れてしまいますので、下山先の最寄の武蔵横手駅から高麗駅まで電車に乗り、日和田山に戻るつもりでした。

日和田山駐車場に着いたのは、12時過ぎ。
もともとは大高山天覚山に行くつもりだったので、国道299の吾野近辺のコンビニで昼食は購入済みです。
お昼を回っていたけど、どうせなら山頂で食べたいので、体操してからそのまま出発です。

日和田山は以前に踏破報告をしているので、男坂までは省略します。

男坂に挑みます。
急峻な岩場ですが、距離は250mとのこと。
雨上がりなので、足滑りだけは気をつけないといけません。
慎重に進みます。

祠にお参りして、岩場を進みます。

道というより、岩。

傾斜もきつく、木の根も張り出しています。

一歩でも踏み外せば大怪我。

先が見えてきました。
どこに足を置くかで難易度が全然違います。

もう少し。

二の鳥居が見えました。
登ってみるとあっという間ですが、間違えれば滑落なので、緊張感が半端ないです。

ここに元旦の夜明け前に登って、初日の出を見ようなんて地元民はいないと思います。
暗闇の中で雑踏がごった返したら、危険すぎます。
女子高生が山登りする漫画「ヤマノススメ」って、意外と結構嘘ついてるのでは?
インドアオタクがアウトドアに目覚めるきっかけになった作品としての功績は大きいですが、ゆるふわな割にガチ山が多くて、聖地巡礼がきつくて死にそうになった運動不足オタクが続出したとか……。
最初歩の天覧山だって、何度登っても疲れることは疲れますから。
作中では、初日の出に間に合わないからって、深夜に男坂を駆け登っていますが。
実感として、昼でも危険すぎて駆け登れないと思います。

神社にお参りして、

日和田山の山頂で一休み。

日和田山山頂から、物見山に向かいます。

斜面沿いの道を進みます。
一部、細くなっていたり、滑りやすい岩の段差があったりして緊張します。

広い尾根筋に出ました。
雨上がりで滑りやすい部分もありますが、道は広いので滑落の心配はありません。

物見山方面に進みます。

延々と進みます。

結構勾配があります。

岩を削った滑りやすい道になりました。

尾根筋から斜面沿いになりました。

車道に合流します。

車道をしばらく進みます。

すれ違い困難そう。
車ではあまり来たくないですね。

山上集落に出ました。
公衆便所があったので、用を足します。

車道から再び登山道に入ります。

きつめの勾配です。

しばらく進むと、祠がありました。
ここが物見山の山頂かと思い、登りました。

物見山の山頂でもなんでもなく、山中の祠でした。
お参りして進みます。

まだまだ延々と登ります。

分かれ道になっているので、物見山山頂方面に進みます。

物見山山頂に到着。

標高375m。
ここで、買っておいたおにぎりを食べて休憩しました。

森で下界がふさがれているので、眺望は良くないです。

北向地蔵へ進みます。

尾根筋を延々と進んでいきます。

切り通しの先に車道が見えました。
サイクリングしている人が走り去っていきました。
こんな山の中までよく自転車で来る気になりますね……。

車道に出たと思ったら、また荒っぽい道に進みます。

お地蔵さんを見に行くだけなのに、どこまで行くんだというくらい登ります。

道の先に、山頂のようなところがありました。
あそこにお地蔵さんがあるのかも。

フェイントかけられて、登り詰めたら何もなかったです。
ベンチすらないです。

下を見ると車道沿いにお堂がありました。

これが北向地蔵でした。

由緒書。
大昔、浅間山大噴火の影響で飢饉と疫病が流行し、その災いを防ぐために、村人たちが栃木県栃木市の岩船地蔵尊から分身を譲り受け、岩船不動尊と向かい合うように祀って守護神としたとのこと。
現在では、男女の逢瀬を取り持つ縁起地蔵として親しまれているそう。

私も、若くて可愛いお嫁さんと出会いたいので、真剣にお参りしました。

ここで、ぽつぽつと雨が降り出したので、下山に不安を覚えました。
多少の雨が降っても平気なように、とりあえず夏用の薄いジャンパーは持って来ていたので、着込みました。
折り畳み傘も持っていますが、山道で傘差しは難しいです。

ここから下山になります。
五常の滝、武蔵横手駅方面に進みます。
近道と近道じゃないので真逆の方向ですが、近道は封鎖されていました。(崩落してたり、急峻だったりするのかも)

割と細めの道が続きます。
急斜面ではないので、恐怖感はあまりありません。

ユガテという山上集落との分かれ道がありますが、五常の滝方面に進みます。
ユガテってどういう意味なのか分かりませんが、近いうちに踏破したいですね。

建物が見えました。
安心感がすごい。

建物は民家ではなく、作業用の物置みたいでした。
その物置のような建物の奥に、祠がありました。
お参りして進みます。

車道に出ました。
進路はどちらなのか。

謎の石仏。

ガードレールに、こんなちっちゃな案内がありました。
右は行き止まりとのことで。左に進みます。

ガードレールの切れ目にまたちっちゃな案内が。

不安を煽る入口です。

アロエのような草がぼうぼうに生えた細い道を進んでいきます。

この先で車道にぶつかりますが、下山のための道に何故か通せんぼが。

路面損壊のため車両の通行はご遠慮くださいとのこと。
歩行者は関係なさそう。
というより、車道はどちらの方面も登り道の様子なので、ここ通らなかったら下山できません。

たぶん大丈夫だと信じて、通せんぼを突破しました。
沢沿いの砂利道が続きます。

沢は倒木で荒れています。

道も結構荒れています。
というより、ここは車両の通行を考えた道なのでしょうか。
路面損壊どころじゃないくらい、ぼっこぼこに陥没しています。

状態の悪い砂利道を抜けると、本当の車道に出ました。
五常の滝方面に進みます。
舗装路ですが、すれ違いは困難そう。

延々と歩きます。

切り通しを抜けると、

下の方にいくつもの祠と朱色の橋が見えました。
これが五常の滝かもしれません。
ただの滝かと思っていましたが、修行場の趣が強いです。

由緒書。
古神道の色が強い宗教法人かと思ったら、一般財団法人とのこと。

入場門がふさがれていて、受付がありました。
有料で、滝を見るのに200円かかるそうです。
35歳ですが、今までこんなところに有料の観光滝があるなんて知らなかったです。
しかも、まだ14時30分くらいなのに、「本日の拝観は終了しました」とありました。
ここまで頑張って山道を踏破してきたのに、最後の見物がおあずけで終わりました。

滝を見れなかったので、後は帰るだけです。
まだまだ延々と道を進みます。

沢沿いに謎の祠。

麓の集落に出ました。
この解放感。

西武線の線路が見えました。
国道299に合流です。

武蔵横手駅前一等地。
ちょうど、特急がいました。

圧倒的、山の風景。
隣町に来ただけなのに、思い切り旅行気分です。
ええ、大阪城とか姫路城のような市街地型の観光地でもない限り、こんな山のあるところ田舎ばかり旅行してます。

関ヶ原は最高ですよ。
何もなくて。

さて、駅で時刻表を見ると、次の飯能方面の電車は15時19分、このとき15時くらいだったので、20分近く待つことになります。
車を置いてある日和田山の最寄は武蔵横手駅から一駅の高麗駅なので、待ち時間の間に国道299を歩いてどこまで行けるのかという興味がわいてきました。

そのため、電車には乗らず、歩いて行くことにしました。

国道299を一駅分も歩く奴なんて、少数派でしょう。
そう思ってたら、走って追い抜いていく人がいました。

いつも素通りするお寺。
武蔵野観音霊場札所だそう。
お参りしましたが、観光色は強くないところでした。

延々と歩きます。

飯能市街と日高市街?の分かれ道に差し掛かりました。
車だと、ここからあっという間なのですが、歩きだと、ここからまた長いこと長いこと。

汗だらだらなので、川で水行したい……。

謎のお地蔵さん。

さすがに歩くのがうんざりしてきました。

巾着田前の交差点に差し掛かりました。
左に行けば日和田山入口です。

あと少し。

無事、日和田山駐車場に到着しました。
くそ疲れた。

すぐに車を出し、帰路につきました。
帰り道、突然集中豪雨に遭い、強制洗車されて土ほこりが落ち、ピカピカになっていました。
集中豪雨が1時間でもずれていたら、ずぶ濡れになっていました。
山の中で集中豪雨に遭っていたら、ぞっとしますね。

今回は、計画変更で日和田山からの縦走をやりましたが、単一の山を登るのとは違う面白さがありました。
次は、予定していた大高山と天覚山の踏破か、ユガテ顔振峠の踏破をやろうと思っています。

山歩きを習慣化させてから、目に見えて体力が上がってきた実感があります。
お腹の脂肪を減らして全身の筋肉を増やして、体格を良くしたいですね。

鬼姫山回峰行だけじゃなく、漫画版「鬼神童女遊侠伝」の絵コンテ制作も進めないと……。

鬼姫山回峰行 第8回 妙法ヶ岳(途中撤退)

どうも、同人結社鬼姫狂 代表 秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。

鬼姫山回峰行として、奥秩父にある三峰神社の奥宮・妙法ヶ岳(標高1329m)に行ってきました。

鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。

三峰神社は、秩父神社、宝登山神社と合わせて秩父三山と称される山狗信仰が有名な秩父地方の代表的な古社で、妙法ヶ岳、雲取山、白岩山の三つの山を崇めることから三峰神社と名付けられたそうです。
修験道が盛んだった江戸時代くらいまではお寺であり、もっと大規模に栄えていたとか。

さて、三峰神社といえば、埼玉県西部地区に育って車の運転ができる人ならば、運転免許取得後に真っ先に目的地とするドライブスポットなのではないでしょうか。
国道299で秩父に入り、市街地から国道140を甲府方面にまっすぐ進んで、二瀬ダムをまたいで山道を登り詰めれば、三峰神社駐車場に到着します。
特別に迷いやすい道順でもないため、運転経験を積むには最適なところでしょう。
実際、私も三峰神社が初めての日帰りロングドライブでした。

三峰神社は、学生時代に二度参拝に来ています。
そのため、今回は神社そのものの見学ではなく、神社から登山道を登り詰めた先にある奥宮への踏破が目的でした。
土曜日だからか参拝客も多く境内は混んでいたので、ささっと遠くから社殿を遥拝して、奥宮へ向かいました。

本当は人の入り込んでいない写真を撮りたいけど、観光地だし、混んでいたので、そのまま撮影。

観光写真に写り込んだ一般人について肖像権うんぬんで問題視されたこともありますが、「観光地では不特定多数の観光客がいて、それぞれが観光写真を撮影しているのが当然のものであって、個別に肖像権の許諾を得ることは難しい。そのため、意図的に特定人物を撮るものでない限り、偶然入り込んでしまった不特定の人物については背景の一部とみなされ、受忍すべきものであり、肖像権は及ばない」という判例があったはず。

お互いに、写真撮るのでどいてくださいなんて言えないですしね。

逆光ですが、まずは奥宮遥拝所から妙法ヶ岳を拝みます。

たぶん、山の真ん中あたりのちょこんと出っ張った部分が山頂です。
ここからでも、下を見るとめちゃくちゃ怖いです。

奥宮へ向かいます。
神社は人がたくさんいましたが、登山道はほとんど人が寄り付かない様子。
いるのは、見るからに登山マニア風の人々のみ。
つまり、奥宮は、大多数の人はそもそも行こうともしない場所のようです。

ここから、東京都最高峰である雲取山に縦走できるようです。
雲取山は日帰りできないので、もうちょっと経験が必要ですね。

妙法ヶ岳まで2.5㎞。

古民家。
古くから神社領に住んでいた人々のものだとか。

登山道が始まります。
まだまだ散歩道という雰囲気。

坂道になってきたけど、そこまできつくない。

鳥居がありました。
ここからが奥宮の参道です。
登山届のポストがあり、「この先は大変危険な登山道であり、登山装備が必要です。サンダル履きなど軽装での入山はお控え下さい」警察による注意書きが立ってます。

たぶん、実際に滑落事故が起きているんでしょうね。
登山届を出したところで、超高度急斜面から落ちたら、救助するまでもなく大抵死んでるでしょうけど。
入山届の記入台が置かれているレベルの山道は初めてなので、緊張しました。

舐めずにちゃんと登山届は投函し、本当に危険を感じたら引き返すつもりで挑戦です。

鳥居をくぐったら、急にこんなゴツゴツ道です。
木の根が張り出して、天然の罠になっています。
斜面は歩き回れるくらいにゆるいので、危険度は低いです。

尾根筋に出ました。
左側は即死級の急斜面ですが、右側は斜面だけど高くないので、右側に寄って歩きます。
道幅は広いので怖さはないです。

ゴツゴツの道。

木の根が張った尾根筋。
緊張はするけど、道は広いので平気。

ただし、左側に転んだら即死級です。

延々と木の根が張る道が続きます。

道が広いので、崖側を歩かなければ安全だけど、つまずいて転んだらひどい目に遭います。

道標があり、

道が二手に分かれています。
まっすぐ行くと雲取山縦走路です。

左に折れると鳥居があります。
妙法ヶ岳はここを進みます。
ここまでは楽勝。

妙法ヶ岳まで1.4㎞。
入口から約1㎞来ました。

登りがきつくなってきました。

積み石。

ここから先、木の根だらけの斜面を進みます。
道というよりも、斜面を勝手に登る感じです。
広々としているので、危険はないです。

急斜面沿いの道を進んで、

妙法ヶ岳まで1.2㎞。
鳥居からまだ200mしか進んでいません。

休憩所があったので、ちょっと休みました。

割となだらかな斜面を進みます。
どこでも勝手に歩けという感じです。

一度平坦なところに出て、

ここからつづら折れの急登です。

謎の巨石を発見。

道というより、木の根っこが天然の階段になっています。

ゴツゴツ岩を過ぎて、

平坦な場所に到達。
ここで一息入れます。

一休みした後、先に進もうとしました。

しかし、ここから先は、超高度急斜面に沿った、人一人通れるかどうかという心細い狭路でした。
「路肩注意」という張り紙がありますが、木の隙間から下界が丸見えです。
転落防止柵もなく、つかまるためのロープなどもありません。
一歩踏み間違えると、奈落の底に真っ逆さまです。
その先が、どこまで続くのかもわかりません。
途中で下山者とすれ違ったとしたら、どちらかが崖側に避けることになります。
しかし、登山中なのでお互いにリュックも背負っていますから、すれ違うには体格以上の幅が必要です。
もし、すれ違いに失敗して、リュックで体が押されてしまえば、ズルっと滑落する危険があります。

写真を撮れていないので、状況の図説です。

恐る恐る道を進みましたが、あまりに急斜面が丸見えで怖く、足がすくみそうで危険を感じたので、数メートル進んだ地点で引き返しました。
引き返すときの体感距離が長いこと長いこと。
狭路の先が見えていれば、「ここだけの辛抱」にも思えるのですが、曲がって先が隠れていてわからないのが怖いのです。

平地に戻ったときには、心臓バクバクでした。
他の道はないかと探しましたが、やはりあの一本道しかないようでした。

転落の恐怖に耐えて突き進むといえば勇者のように聞こえますが、それで本当に転落してしまえばただの愚者です。

身の丈に合わない危険度の高い山頂に固執するよりも、自分の足で行けるところまで行って、無事に家に帰ることの方が大事です。

そもそも、三峰神社の大多数の参拝者はここに来ません。
つまり、ここまで来たという時点で十分に挑戦者です。

この場で山の神様に「ここで降参します」と宣言し、下山しました。

片道で1㎞以上山行きをしているので、それでも十分に運動になっています。
山歩きは、大自然の中で行われる運動ですので、ガイドブックにも説明がないような想定外の状況もあり、行ってみないとわからないことは多いです。
なので、「ここまで来たのだから」と無理せず、危険だと判断したならば「引き返す判断」は大事だそうです。

ただ、赤矢印で示したように、もう少し登って尾根沿いを進んでいけば安全に踏破できるのではないかと思ってもいます。
実際、ここまで尾根沿いを進んだりもしてきたので、そちらに登るもんだと思っていました。

帰ってから調べたら、超高度急斜面の狭路は、この先200m続くそうです。
転落の危険が高い狭路なので、200mとはいえ、長いです。

その先は両側急斜面の即死級の尾根沿いを600m進み、崩壊しかけた即死級の木段と岩場を越えて、20mの鎖場をよじ登って奥宮に到着、だそうです。
奥宮も10人も入れないような狭いところで、やはり転落の危険がある即死級の断崖絶壁だそうです。

私の感覚からすれば、引き返した狭路ですら超怖かったわけですが、登山マニアの感覚では「初級者向けの普通の登山道」らしく、5段階評価でレベル1~2になっていました。

でも、ここに来る人はそもそも少ないので、こんな場所にあえて来たがる人の「普通」は、たぶん「普通」じゃないと思っています。

今後、奥宮に再挑戦するかどうかはわかりません。
その前に、麓から表参道で神社に登るのに挑戦しようかと思っています。
山頂に行かなくても、1000m級の神社に歩いて踏破できれば、それだけでも達成感は十分にありますし。
たぶん、今時、麓から歩いて三峰神社に参拝する人も少数派だと思いますけど。

山歩きは、別に命までかける必要もないですし、長距離の踏破であれば山頂まで行かなくても十分に体力はつくので、「鬼姫山回峰行」では山頂に立つことに固執しないようにします。
(日本では登山というと一直線に山頂を目指すことと同義ですが、諸外国ではそうでもなく、むしろ山の外周を景観を眺めながら歩くのが主流なんだとか)

無事に下山し、帰路につきました。

帰りに二瀬ダムに立ち寄り、しばし見学。

小さい頃に、母親に連れられて、ダム沿いのトンネルを抜けた先にある斜面につけられた階段のようなものを登り、先にはテニスコートしかなくてがっかりしたという記憶があります。
母親が何を目指していたのかはわかりませんが、思っていたのと違って何もなく、しょんぼりとベンチでお弁当を食べて下りていったことだけは覚えています。
そして、ダム沿いの急斜面につけられた階段なので、ものすごく怖くて壁に張り付きながら泣いて登ったことを覚えています。
その時、「二瀬ダム」と言っていた気がしていて、とにかくそのダムに吸い込まれそうな恐怖が記憶が鮮烈でした。
で、母親はまったく覚えていないため、この記憶がどのダムなのかわかりませんでした。

小さい頃によく秩父の方に連れていかれたし、小さいからまだ他県までは行っていません。
なので、秩父のダムなはずでした。
調べると、秩父にある浦山ダム、滝沢ダム、合角ダムは歴史が浅く、小さい頃に現存していたのは1961年完成の二瀬ダムだけです。
で、記憶のテニスコートを実地調査しました。

そしたら、やっぱりありました。

トンネルがあり、

階段ではないけど、スロープがあり、

ダム湖を下に見ながら登り、

荒れ放題の朽ちたテニスコートがありました。

たぶん、何もなくて母親としょんぼりお弁当を食べた場所です。
何をしに来たのかはわかりません。
母親は中学時代に軟式テニス部でしたし、小さい頃は家族で旅行したときにホテルでよくテニスをしていたので、もしかしたら単純に遊びでテニスをしに来たのかもしれません。
しかし、行ってみたら荒れ果てていたので、がっかりしながらお弁当だけ食べて帰ったのかも。

確かにダム沿いの高いところですが、記憶ほど怖い場所ではありません。
高所からダムの底が丸見えだった記憶があるのです。
ダム湖が干上がっていたのかも。

転落自殺や事故が多いことで有名な立ち入り禁止の吊り橋が見えました。

スロープの途中で、謎の動物の腕が落ちていました。
別の動物に食い散らされた痕跡でしょうけど、手首だけ残っていて、生々しいです。
なんの動物でしょうかね。
片腕だけ落ちていて驚きましたが、人間のじゃなくてよかったです。

野生動物ではなく、怪物に食われた痕跡かもしれないと想像すると、限りなくホラーになりますね。
こんな山奥、何が棲んでいるかわかりません。
もしかすると、残忍な妖賊の仕業かも……。

今回は、妙法ヶ岳の途中撤退という結果になりましたが、「鬼姫山回峰行」はまだまだ続きます。