内向型の自分に、臆せず他者を巻き込む力が欲しい

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

代表ったって、まだ独りぼっちなんですけどね……(自虐)

自分の内向的な気質、押し出しの弱さが、これほど悩ましい局面はないです。
会員制同人結社を軌道に乗せるためには、会員を勧誘して自軍に引き込む必要があるわけです。
けれども、自分はリア充でもなんでもなく、大学時代以降、人脈に恵まれない「ぼっち」だったので、本当にあてにできるコネクションがないのですよ。
なので、SNSや創作系個人サイトを徘徊して、何の面識もないところから赤の他人を仲間にしていくという、コミュ障にとっては非常にハードルの高いミッションをこなしていかなければなりません。
私の志に共鳴して仲間になってくれる方ならば、一生分以上の恩恵をお返しできるような仕組みを構築してはいるのですが、いかんせん、無名の駆け出しブランドなわけで、鬼姫狂徒として活動しても成功できる保証など一切ないのです。
どう考えてもかなりのハンデですよ。

でも、昔なじみの友達だからといって志まで同じくできるわけではないということは、映像学科時代に自主映画を頓挫しまくった経験で痛感しました。
遊び友達としては格闘ゲームなどで盛り上がるのですが、どこまでも遊び友達以上にはできなかったのです。
そして、みんな普通に働きに出て、今ではそれぞれの道に進んでバラバラになってます。
音信も途絶えたので、かつての親友とは本当に疎遠です。
そう考えると、学生時代まで群れてリア充を気取っていたところで、それが本当に生きた人脈につながっているかどうかは、意外と怪しいのではないかとも考えます。

だとすると、学生時代のリア充人脈をあてにしていてもダメということなのでしょう。

20代の頃、大学でぼっちだった反動からか、とかくリア充に対して劣等感を抱き続けていた自分がいました。
リア充でない、ずっと一人でいるぼっちな自分はダメ人間なんだと。
けれども、そういうリア充な人たちに限って、まず部屋に籠って一人で創作活動をするなどという地味なことはやらないし、できないのです。
なので、創作活動で成功するという観点においては、リア充だからぼっちよりも偉いという結論にはならないのではないでしょうか。

自分の狭い人生経験から思うに、創作活動をする人は、どこか世の中の「当たり前」とされる価値観に迎合できず、コミュニティの中から浮いてしまいがちな不器用な気質を持っている傾向にあるのではないかと思っています。
どこか現実世界に馴染めなさがあり、だからこそ自分の中に別の世界を作り出して、それを表現して生きるのが楽しいというか。
そういう、現実以外のどこかを表現するのが生きがいとなっている人の仲間は、実生活においては身近に都合よくいないため、共感者が見つからずに余計に孤独の道を歩まざるを得なくなるのです。
そう考えると、創作活動をする人はどこか心の中に孤独を抱え続けていると言っても良くて、自分に関心を持ってくれる仲間の存在に飢えているという側面はあるのではないでしょうか。
リアルでは仲間がいない、だからこそネットで作品を発表し、共感して支持してくれる人を求めるというような。

それで、創作やる人は内向型が多いとされるので、「なんとか見出してもらいたい」という待ちの姿勢になりがちなのですよ。
でも、待っても待っても、向こうから人はやってきてくれないのです。実体験……
ましてや、内向型の創作活動家同士だと、お互いに牽制し合って歩み寄れないまま膠着しているという、非生産的な状況が続くのではないかと思います。

今までは、名刺代わりの一本を完成させたり、鬼姫狂の基礎固めのためにビジネスモデルを考えたりなど、自分自身との対話、自分自身との戦いが中心でした。
誰にも手助けしてもらえないし、自分にしか理解できないものなので、本当に孤独です。
だからこそ、生みの苦しみも、孤独も理解できるのです。

同志が欲しいなら、自分から他者に接触を図らないと道は開かれないのだと、最近は考えるようになりました。
もちろん、ただの馴れ合いではなくて、鬼姫狂という仕組みを売り込むためなので、利害が一致しなければ断られるでしょう。
しかし、圧倒的大多数の創作活動家は無名だし、売れなくて悩んでいるのです。
出版社などは作家個人を都合のいい消耗品ぐらいにしか思っていないので、一部の売れっ子以外は簡単に使い捨てます。
ならば、たとえ目先のお金が保証されない成果主義であっても、半永久的に権益が保証されるのであれば、会費制であっても無名作家の受け皿として同盟を組むメリットを感じてくれる人も現れるのではないかと信じています。
ましてや、そこに日本文化の発展の礎を作るという、目先のお金以上の理念があれば、私益を越えた功績を将来に残せるのですから。

仕組みは私が全部作り上げましたので、あとは、そこに乗っかるだけです。

ただ、ひたすら勧誘する勇気を持つだけで、同志が得られるのです。
それなのに、その一歩踏み出す勇気を得るのに大きなエネルギーを必要とするのが、私のような内向型なのです。

ないものねだりかもしれませんが、些細なことにクヨクヨしないで、ガンガン押しの一手で攻めていけるようになりたいものです。

学生時代の挫折した自作ゲームのドット絵が出てきた

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

作業フォルダの奥底から、とても懐かしいものが出てきました。

東京工芸大学芸術学部映像学科時代に、ゲーム制作に興味を持って、スーパーマリオ風の2Dアクションゲーム「鬼っ子凜ちゃんの冒険」(仮)を作ろうとして挫折したときのドット絵の残骸です。

右向き・立ち絵

右向き・歩行絵

右向き・しゃがみ絵

右向き・跳躍絵

左向き・立ち絵

左向き・歩行絵

左向き・しゃがみ絵

左向き・跳躍絵

うーん、今の目で見ても、初期のスーファミ風のドット絵で、なかなかかわいいかもしれない。

 

小学校の時、スーパーファミコンの「マリオワールド」や「悪魔城ドラキュラ」を狂ったようにやり込んでいて、その影響からか、ゲームといえば横スクロールアクションという認識がありました。
そのため、「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」のようなRPGにはあまり馴染みがなく、64やプレステなどの3D化されたゲームでも、「007ゴールデンアイ」や「バイオハザード」、「キングスフィールド」、「メタルギアソリッド」などのアクション要素の高いゲームばかり好んでいました。
友達と集まって遊ぶ時も、基本的には一貫して「ストリートファイター」などの格闘ゲーム三昧でした。

それで、少年時代に狂ったようにアクションゲームをやり込んでいれば、自分でも作りたくなってくるものです。

ましてやキャラクター性を前面に押し出したシナリオを書けるようになることを目指して、シリーズものを専門的に研究していましたから、自分のキャラクターでゲームを開発したいという欲求は、当然の成り行きなのです。

RPGや対戦格闘ゲームなども憧れますが、一番構造が単純で作りやすそうに思えたのが、2D横スクロールアクションゲームだったのです。

しかし、実際に挑戦してみて、すぐに「無謀」の文字が脳裏に浮かびました。

なんせ、主人公のドット絵を一通り描き上げるだけでも血反吐を吐くような地味な苦行の連続で、それだけでも燃え尽きそうでした。
その上、敵キャラクターのドット絵を量産しなくてはならないのです。

挙句の果てには、未知の領域であるプログラミングの壁があるのです。

結局、大学3年の夏休み全部を費やしても基本操作すらまともにプログラムが組めなかったので、時間を浪費してる感しかなくてモチベーションが維持できず、途中で放棄して諦めました。

よく考えたら、「ゲームウォッチ」のような黎明期の原始的なゲームだって、当時の技術者が頭をこねくり回してやっと実現できたようなものなので、プログラミングのプの字もないようなド素人が、マリオ並みのゲームなんて作れるわけがないのです。

ゲームで遊ぶのとゲームを作るのとでは、大きな差があるということを身にしみて理解できた失敗経験です。

世間では、クソゲー、クソゲ―といって、出来の悪いゲームをくそみそに叩くことを平気でしますが、クソゲーの足元にも及ばない自分を知ると、そのクソゲーすらも偉大に思えてくるようになりました。

生みの苦しみを理解すると、好みの問題はあるにせよ、他人の作品も簡単に叩けなくなってくるんですよね。
寛容の精神を持てるというんですかね。

こうして、私の人生初めてのゲーム制作の計画は頓挫した訳ですが、今でも、「鬼神童女遊侠伝」シリーズのゲーム化の野心は持ち続けています。
創作師として加盟したゲームサークルさんが二次創作ゲームを作るのを推奨するのもそうですが、公式企画としてもいつかは成し遂げたいという気持ちはあります。
だから、そのいつかのために、独自のゲーム企画を何個か水面下で構想し続けています。

 

自分でゲーム制作に挫折して、どうして同人ゲーム界隈にサウンドノベルばかり多いのか理由がわかりました。
みんな、普通に学校生活をやっているだけではプログラミングなんてできないので、サウンドノベルくらいしかやれないんですよ。

プログラミングのいらないノベルゲーム制作専用のフリーソフトもあるので、それでノベルゲームが普及しているのでしょう。

私が映像学科時代からホームページ経由でつながっていた、同い年でかつ色々と同じ匂いのする鳥取の谷山龍氏(ルドルフ227氏)も、サウンドノベル「妖鬼海産都市ユメミナト」をほぼ一人で5年くらいかけて作り上げていますしね。
「NHKにようこそ」の主人公が友人とひきこもってエロゲ作りをしているという設定に感化されて、プログラミングができないから絵と話があればできるサウンドノベルなら……という、見切り発車な制作動機も、本人が公表していますし。

私が大学2年の頃には谷山氏がサウンドノベル制作を始めていたので、それに感化されてゲーム作りに興味を持ったという流れです。

ただ、私は、根っからのアクションゲーマーだったので、サウンドノベルというジャンル自体に興味がなかったので、好きじゃないことをやっても面白くならないから手を出さなかったのですが。

それで、ゲーム作りに頓挫したので、「秘密結社鷹の爪」に感化されてフラッシュアニメーションを作ろうとして投げ出してみたり、色々と試しては諦めてきて、最後に行き着いたのが映像紙芝居という発想でした。

映像作品の利点は、見ていれば所定の時間で必ず終わるという部分です。

谷山氏の「妖鬼海産都市ユメミナト」の内容自体を否定する意味ではないのですが、サウンドノベル自体の特性として、活字を追い続けるだけに、時間ばかりかかって進めるのがかったるいんですよ。
暇な人ならばいいのですが、大学でレポートやったり、資格試験の勉強をしたり、自分の作品に取り組んだり、将来のことで思い悩んだりしている中では、延々と続く文字の羅列が、正直な話、かなりしんどいのです。
どうしたって、自分の学業、自分の生活、自分の創作活動が優先になりますから、映画やアニメのような、30分、60分、90分、120分など、時間になれば終わる作品の方がお手軽でよかったのです。

谷山氏の「妖鬼海産都市ユメミナト」が完成したのが、私が再受験して明治学院に進んだ2010年であり、鬼姫狂総本部の創設のために、映像紙芝居「鬼神童女遊侠伝」シリーズの構想をサイト上で発表した年であります。
長編映像紙芝居「鬼神童女遊侠伝/生娘を狩る大狸」が完成して文化庁メディア芸術祭に出品したのが2016年なので、名刺代わりの長編を完成させるのに費やした期間はほぼ同じです。

しかし、「鬼神童女遊侠伝/生娘を狩る大狸」は、6年もの歳月を費やしながらも、完成尺にして約47分です。
ほぼ、大河ドラマ1話分です。
血反吐吐いて作っておきながら、見るだけなら何も考えずにパーッと見れちゃうものなのです。

これは、子供でも楽しめるものというテーマだからというだけでなく、生活の中で娯楽のために苦行させる必要はないという考えからです。

苦行するのは、作者だけでいいのです。

谷山氏の「妖鬼海産都市ユメミナト」も、実は冒頭で止まったまま積読状態なので、進めなきゃなとは思うのですが……。
その後に作った自主映画「現代妖怪伝」は気楽に見れるのでお気に入りなのですがね。
(「現代妖怪伝」のDVDがあれば買いますよ!)

まあ、谷山氏の「妖鬼海産都市ユメミナト」が、内容自体が妖怪バトル物で、「鬼神童女遊侠伝」と近い部分があって興味深いのですが、心理学科時代も色々なことに追われて手が止まり、ネットで交流がある人の作品なのに長らく積読になってしまったという実体験があったのです。

それで、日本で唯一の映像紙芝居作家を自称して、映像紙芝居の確立を目指すことにしたのです。

 

自作ゲームの残骸が発掘されたことから、学生時代の色々な葛藤を思い出していますが、映像紙芝居の発想には、すぐにはたどり着かなかったのです。
映像紙芝居は、ないない尽くしの中でどうやって名刺代わりの一本を作るかという模索の中で導いた、本当に苦肉の策でした。
19歳に生み出したキャラクターが主役の長編作品をやっと完成させたのが30歳という……。

20歳前後で夢が叶わなかったら諦めろというような、早咲きを煽る日本の風潮の中で、ですからね。

31歳になっても、夢を叶えるどころか芽すら出ていないのですが、だからこそ、20歳前後で夢を諦めろという風潮を打ち壊したいと思っていますし、そんなものは壊すべきなんですよ。
若者に覇気がない、冷めてると、上から目線で若者が批判されますが、こんな夢を潰す風潮しかなければ、誰だって諦めモードになって当然です。

生みの苦しみを心底理解しているからこそ、創作をしたいけれども何を作ればいいのかわからなくて悩む人のきっかけとして、シェアワールドコンテンツである空想時代劇「鬼神童女遊侠伝」シリーズを使ってもらいたいと思っています。

絵が下手でもいい、物語が下手でもいい、志があれば、キャラクターを好きになってくれれば、誰でも等しく同志として歓迎しますので。
キャラクターは神様なので、キャラクターの信者になった方には、一生分の以上のご利益を保障しますよ。
その代わり、会費制、独立採算制、完全成果主義ですけど。

 

谷山氏の「妖鬼海産都市ユメミナト」には5年ほど先を越されてしまっていますが、私の「鬼神童女遊侠伝」だって青少年向け映像紙芝居として面白いんだという確固たる思いがありますので、負けずに奮闘していきます。

「妖鬼海産都市ユメミナト」の書籍版を買って読もうかしら。
パソコンなしで読めるので、サウンドノベルよりもはかどりそう。

数年前に谷山氏が地元でアートスペースとしてお店を開いた(テナント料とかどうなってんだろ?)ので、一度直に行ってお会いしたいと思い続けているんですけど、なんせ鳥取の境港なので、飛行機必須で旅費が……。

なんにせよ、境港訪問までには、事前に「妖鬼海産都市ユメミナト」を読んでおきたいです。

というより、創作師として鳥取編をやってくれたら、リアルでも一生の付き合いにできそうなのですがね。

こればっかりは、学生時代から色々と交流をしていた私の勝手な願望なのですが。

 

「鬼神童女遊侠伝」は、ゲームという形でこそ完成させられませんでしたが、今回公開したドット絵は、色々な試行錯誤の産物という意味では、間違いなく大切な原点といえるでしょう。
ですので、捨てずに保存しておこうと思います。

創作活動と勧誘活動に力を入れていきます

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

しばらく手が止まっていた新作映像紙芝居「鬼神童女遊侠伝/わらべを喰らう猫女」(仮)の脚本執筆作業を再開し始めました。

たった一人でやっている活動なだけに、いかんせん作業を手伝ってくれるような奇特な人脈もないので、あらゆる雑多な作業を全部自分でこなさなければなりません。
サイトの記事編集作業やシステムのカスタマイズ、将来を見据えたビジネスモデルの構築など、先に処理してしまった方がよい課題をこなすことにいっぱいいっぱいになっていたので、どうしても作品そのものの作業に取りかかれないでいました。

ようやく雑多な作業が一段落つき、創作活動に集中できるくらいになってきたので、今後は創作活動を中心に進めていこうと思います。

ただ、この活動を軌道に乗せるためにも、売り上げという成果を出さなければならないので、作るだけでなく、売り込む方の努力もそろそろ本気にやっていこうと思います。

勧誘活動など本当に未経験の手探りになるので、正直なところ、不安だらけです。

しかし、たとえ紙芝居形式であっても、たった一人で長編映像作品をしっかりと完成させられる人は圧倒的に少数派という事実がありますので(何年も没頭しなければ完成しないので、企画を立てても勝手に脱落する人が多い)、映像紙芝居を単独で完成させた事実は、究極の参入障壁となりえる武器といえるでしょう。

何も成し得ていない状態でペラ一枚の企画書を持って会員集めをしても、誰にも信用してもらえないと思います。

けれども、ほとんどの人が挫折するような長編映像作品を無理矢理にでも完成させた上で会員集めをすれば、活躍の場を求めている無名の個人作家の呼応を得られるのではないかと思っています。

右も左もわからないまま「やりたい」という想いだけで孤軍奮闘し続けていますが、本当の戦いはここから始まるのです。

同志勧誘実績を積み重ねれば、客観的にも無視できない営業経験として評価の対象となっていくに違いありません。

根本聖地建設と総本部事務局建設の夢を実現するために、勇気を出して外に向かっていく三十代にしていきたいです。