実写映画の武器密造と役者募集を始めます

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部(通称・鬼姫狂)代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

本日、当結社の基幹作品である映像紙芝居「鬼神童女遊侠伝」シリーズをお求めやすい同梱価格にした「鬼神童女遊侠伝/狐熊DVDセット」と、教養路線「鬼神童女遊侠伝学習教材 お凜様の漢字問題集小学生編セット」を販売開始しました。

以前の試験販売的側面の強かった単品ダウンロードから価格を見直し、よりお買い得なものになっています。

これと、関連グッズの「鬼神童女遊侠伝/民富田智明描き下ろし下敷き・クリアファイル・A4ポスター・神号軸」が、積極的に売り出していくべき公式ラインナップとなります。

さて、実写映画「鬼神童女遊侠伝/まさかり担いだ熊男」(仮)の脚本第一稿が完成し、推敲の段階に入りました。

で、脚本の手直しに並行して、小道具衣装制作と役者募集に取りかかっていこうと思います。

とりあえず、小道具制作の材料はある程度買ってあるので、休みの日を使って、木製武器の密造を始めます。

いきなり刃渡り60センチから90センチあるような脇差や打刀を作って失敗したらもったいないので、お凜様が懐に忍ばせている30センチ以下の短刀から作ります。

刀身部分はホームセンターで買ったアルミテープを貼って表現できますが、柄は本物の柄巻用の紐を使ったほうがそれっぽくなるはずなので、柄巻を探してみて売っていれば、それを買って使おうと思います。

お凜様は赤柄、牙吉さんと飛丸さんは青柄、妖賊は紫柄と色分けしているので、具合のいい紐が見つかることを願います。

お凜様が使う朱色の薙刀と月の輪の斧太郎が使うまさかりについては、まだ材料を買っていませんが、長柄武器のために室内での取り回しが難しいので、ねじ式のジョイントを設けて接続分離が自由にできる組み立て式として作りたいです。具合のいいジョイントパーツが見つかるかどうかわかりませんが、とりあえず探してみます。

この、武器の密造の工程に、だいたい一ヶ月くらいかかるのかなと予測しています。

その武器密造の間に、役者募集のチラシをロケ地候補の地域に局地的にまいて、ご当地映画の撮影の公衆認知と、地元出身のヒロインとスーツアクターの発掘を試してみようと思います。

地元にも役者志望者くらいはいるものと信じてチラシをまいてみます。

チラシを見ずに捨てられる可能性の方が高いですが、地域密着の宣伝で一番古典的で個人向きなのがチラシなので、ネットの役者募集サイト以外は、ぶっちゃけた話これしか方法がないのです。

「お凜様大人役」を演じてくれる女の子に関しては、私的には交際相手候補の側面が強いので、勇気を出して「恋活婚活アプリ」で相手を探したほうが利害が一致するのかなとも考えています。

創作が好きで演技に興味のある文化系女子を探せば、一人くらいはお凜様に相応しい女の子がいるんじゃないかと。

そういうわけで、これから3月一杯くらいは、武器密造と役者募集に突っ走っていきますよ。

実写映画「鬼神童女遊侠伝/まさかり担いだ熊男」(仮)の初稿が完成しました

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部(通称・鬼姫狂) 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

昨年の8月に思い立ち、実写映画版「鬼神童女遊侠伝」シリーズの第1弾として「鬼神童女遊侠伝/まさかり担いだ熊男(仮)」の企画を立ち上げ、黙々と脚本の初稿を書き進めていまして、ついに書き終わりました。

現実的な諸事情から、事件当時者が家族から兄妹物果ては少女単独に変更され、一軒家も出てこない完全な野外ロケで、神饌共食も公園の東屋でのお弁当になりましたが、ノリはポスターのままです。

一応30分物を想定して30枚を目安にしていましたが、アクションシーンが膨らみに膨らみ、47枚になりました。

アクションシーンを細かく動作描写したことによる枚数超過なので、実質的な時間は30分弱くらいなのかなと推定しています。

前作の長編映像紙芝居「鬼神童女遊侠伝/生娘を狩る大狸」の完成脚本が60枚を想定して結局は超過して69枚くらいになり、実際に映像化してみれば完成尺がOPEDやロゴマークを合わせても47分でしたので、1枚=1分という、映像脚本の計算常識はあてにならないということでしょう。

脚本のコンクールに送るのならば厳密な枚数調整が必要でしょうけど、あくまでも実践で映像化するための脚本なので、枚数はあまり気にしなくて済みます。

厳密に30枚に収めようとアクションシーンを淡白に書いたところで、結局、絵コンテを描いたり、実際の振り付けを考えたりするときに、漠然としすぎて後で自分が困るだけなので、アクションに関しては動作描写を明確にした方がやりやすいと思っています。

これ、私の大好きな「VERSUS」の北村龍平氏が著書の中で日本の脚本の慣習に対する不満で言っていたことなのです。

「ちゃんと読めば、1ページ10秒の部分もあるし、1ページ5分の部分もある。なぜいつも1ページ1分で換算するのか。アクションシーンをわかりやすく詳細に書いたら、それだけで『これでは2時間を超えてしまいます。もっと削ってください』と言ってくる。だから、試しに枚数を削って淡白なものに書き換えたら、OKが出るものの、抽象的すぎて現場では使い物にならず、殺陣師に意図を伝えるのも難しいため、結局は詳細な動作描写を書き足さなければならない。二度手間過ぎる」と。

実際、60枚越えの脚本をもとに映像紙芝居を作ったら47分になったので、枚数から時間を計算するのは、アクションに関してはあてにならないという確信があるのです。

さて、今回の実写映画の中で、私が好きで好きで仕方がないアクションをこれでもかと追及したいと思い、アクション四大要素である「徒手空拳」「刀剣」「銃火器」「爆弾」をすべて突っ込みました。

お金がない、と妥協ばかりしていたら、つまらないアマチュア映画の域から抜け出せません。

世のアクションマニアの心をわしづかみにするためには、心意気だけは世界水準を目指さなければいけないのです。

ケイン・コスギ氏が、ジャッキー・チェンから言われた言葉で、「アクションに国境はない」というのがあるそうです。

民族、言葉、宗教、政治、風習の違いがあっても、体で表現するアクションだけは翻訳のいらない世界の共通言語です。

どの文化圏でも、英雄的な活躍を描いた勧善懲悪物語というものは古くから親しまれており、スーパーヒーローやスーパーヒロインを求めているのです。

だから、私は、「鬼神童女遊侠伝」シリーズを、日本語の分からない国の子供が見ても「かっこいい!」と思えるような、世界に通用する大活劇にしたいと、心の底から思っています。

「鬼神童女遊侠伝」シリーズは、土地の民を守る神様と土地の民を脅かす妖賊の対立抗争を描いています。

そこにはなんの政治思想もなく、特定の文化圏を否定するような主張はなく、敵対勢力は「女子供に危害を加えるような、どこからどう見ても悪い化け物」になっています。

神様と妖怪の対立なので、そこには、「天地万物すべてに霊魂が宿り、人間に対して禍福をもたらす」という日本の伝統的な神道の世界観がありますし、善悪の判断には仏教の思想があり、その意味で宗教色は強いです。

けれども、それは、唯一絶対の神の教えでもなんでもなく、異なる宗教を間違った教えとして排他的に否定することはないのです。

お凜様は、「ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒もみんな友達になれる」と信じていますので、日本の武州秩父の山奥に住みながらも、世界中の子供の暮らしも見守り続けているのです。

そして、(大学での習作は別として)一番大事なことは、お凜様は人を殺していないのです。

普通の人間ドラマだと、善玉悪玉に分かれていても、異民族同士の対立だったり、異教徒同士の対立だったりして、人が人を殺す場面を見世物化する以上、どこか後味の悪さが残るものです。

世界中の子供に見せられる物語にするならば、敵は「悪」そのものを象徴的に擬人化した寓話の方が純粋に楽しめます。

どれだけ激しい死闘が繰り返されても、「悪」を殺すのであって、人を殺すのではないからです。

だから、安心して戦うことができる内容なのです。

お凜様は、世界市場において、決して異端ではないと信じています。

私は、19歳から33歳になる今まで、ずっと、この「お凜様の言い伝え」に向き合い続けてきました。

「オナニー」で終わらされたくはないのです。

脚本の初稿は完成しました。

これから推敲をしつつ、小道具制作や衣装制作、役者集めに突き進んでいきます。

実写映画を通じて、埼玉県狭山市発祥の本物の民間伝承を国内外に広めていきますよ。


映画の小道具兼コンテンツ制作の備品として一眼レフを注文しました

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部(通称・鬼姫狂) 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

ついこの間年が明けたばかりなのに、あと何日かで2月になってしまいます。
小さい頃と違って、1年が早くなってきて嫌ですね。

さて、企画を進めている実写映画「鬼神童女遊侠伝/まさかり担いだ熊男」(仮)では、アイドルに憧れる小学生の女の子が事件の被害者役であり、サブヒロインとなります。

で、お話が、自主制作写真集の撮影の様子から始まるのですが、写真集の撮影をする以上、コンパクトデジカメではなく、それなりのデジカメを使っているはずなので、実用性の高い小道具として一眼レフを注文しました。

一眼レフはピンからキリまであるのですが、潤沢なお金もないし、私自身が一眼レフの初心者である上に、お話の設定上もプロの写真家ではないので、できるだけ格安の入門機を探して買いました。

Nikon デジタル一眼レフカメラ D3400 AF-P 18-55 VR レンズキット ブラック
16GBのSDカードをつけて、49,758円

私はもともと寺社巡りや城址巡り、景勝地巡りが好きで、一人旅に出るとなれば、コンパクトデジカメ片手に風景写真を撮りまくっています。

映像学科出身なので、写真を撮りまくるのは構図の勉強になるのです。

で、アマチュア向けのコンパクトデジカメで写真を撮りまくっていれば、もう少し凝った写真もやってみたくなるのは当然の成り行きです。
ただ、一眼レフは安くはない買い物なので、ずっと保留をしていたのです。

なので、この際映画の小道具に使うということを口実に、思い切って一眼レフ購入に踏み切ったのです。

一眼レフがあれば、実写映画「鬼神童女遊侠伝」の派生として、本当にヒロイン&スーツアクターの公式写真集の出版を目指せますので、作品ラインナップが増えて合理的です。

毎月の給料の3分の1くらいが先行投資に吹っ飛んでいますが、貯金しやすい実家暮らしの恩恵を受けられるうちに買うべきものは買ってしまったほうがいいと考えています。

あとは、小道具の刀剣制作の材料はほぼそろっているので、衣装の準備にお金がかかります。
衣装屋さんに外注しなければ生地代くらいですが、いくらくらいになるのでしょうかね。
人形劇団時代に人形制作の経験はあるので、そのノウハウを活かせば自分で作れると思います

それと、サブヒロインに着せる衣装をどうするかですね。
アイドル志望の小学生の女の子がサブヒロインなので、その筋のマニアの需要を満たすために衣装としてセーラー服を着せたいのですが、数千円で買える格安のコスプレ制服でいいのかなと思案しています。
脚本の設定が「アイドル志望の女の子によるコスプレ写真集の制作」なので、本物の学生服メーカーが仕立てた1万円以上する高級セーラー服は、趣旨と違う気がするのです。

まあ、そういうわけで、写真撮影中のセーラー服少女を、熊男がまさかりでガンガン追い立てますよ!

実写映画のロケハン行ってきた

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

今日の午前中、ウォーキングを兼ねて、脚本を進めている実写映画「鬼神童女遊侠伝/まさかり担いだ熊男」(仮)のロケハンをしてきました。

「鬼神童女遊侠伝」シリーズは、武州秩父鬼姫山に住むお凜様という勇猛可憐な童女姿の鬼神様と、そのお供の山狗・牙吉さんと山鴉・飛丸さん(合わせて通称鬼姫山三神)による妖賊退治の活躍を描いた、埼玉県狭山市発祥の新しい創作民間伝承です。

そのきっかけは、映像学科時代の孤独な一人暮らしの中で、当時運営していた個人サイトの看板娘としてお凜様が私の心の中に示し現れた(心中示現)ことにあります。

お凜様を創ったというよりは、お凜様が降りて託宣を得た(神示)のだと解釈しています。
現代日本人は宗教に偏見を持っている人が多いのですが、宗教学的観点でいえば、まさしくお凜様は私にとっての守護神であり、創唱宗教の起源に近い体験だと思います。
なので、お凜様が、本当に秩父の山の中に守り神として住んでいるということを信じるのが根本原理となります。

そこから、私は、お凜様と心の中での対話を繰り返すことにより、「武州鬼姫信仰」という民俗信仰の体系化を進めていき、習作時代の「鬼神童女」シリーズを経て、2011年5月5日(子供の日)に、正式に「鬼姫狂」を掲げて当結社を創始しました。

「鬼姫教」ではなく「鬼姫狂」なのは、「深遠な教義など何もない煩悩まみれのただの凡人がお凜様を好きすぎて狂ってるだけなんだ、だから、みんなも理屈抜きにお凜様を好きになって大いに狂いたまえ」という想いによります。

そして、短編映像紙芝居「鬼神童女遊侠伝/うどん屋にたかる大狐」を制作して文化庁メディア芸術祭に出品して落選し、
構想から6年を費やした長編映像紙芝居「鬼神童女遊侠伝/生娘を狩る大狸」を制作して文化庁メディア芸術祭に出品して落選し、
各種学習教材やキャラクターグッズを制作しては閑古鳥が鳴き続け、
たった一人で、なかなか芽が出ない潜伏期を暗中模索し続けています。

根本聖地としての「鬼姫神社」の建立が当結社の目指す最大の到達点ですが、それがかなうのがいつになるかはわかりませんし、かなったとしても、小さな邸内社程度の規模に落ち着く可能性が高いと思います。
また、「鬼姫神社」は、私の精神世界の拠り所としての欲求が強いため、それ自体を宗教団体化する気はまったくないです。
家内祭祀に近いです。

で、前置きが長くなりましたが、「鬼神童女遊侠伝」シリーズを民衆に伝え広めていくための新たな基幹作品として、今回の実写映画「鬼神童女遊侠伝/まさかり担いだ熊男」(仮)の企画を立ち上げたのです。

私はもともと映像学科時代は実写映画志望だったのですが、挫折を繰り返して一度は諦めたので、大学の課題作品のちょっとした短編以外は実写映画の経験がありません。

なので、一度もちゃんとした実写映画に挑戦しないままくすぶり続けるのは、絶対に年食った後に「若い時にやればよかった」と後悔を残すと思ったので、自己資金を使って納得のいく内容のものをやり遂げることを目指しています。

今回の実写映画にあたって、前提としている条件があります。

1、生まれ育った地元の風景を売り出す
2、地元から役者を発掘して人脈を形成する
3、できるだけお金をかけない
4、アクションだけは世界市場を狙う
5、人の少ないところで撮る

です。

この前提条件の下でロケハンしたところ、次のようなロケ地候補が導かれました。

狭山市遠景(柏原ニュータウン一帯)

奥に秩父山地を望み、手前に入間川が流れ、間に住宅地(ニュータウン)が広がっている、幼少時からの原風景です。

遥かなる秩父山地

このどこかに鬼姫山があるのです。

入間川河川敷

城山砦跡

実家の目と鼻の先にある史跡で、小さい頃の遊び場でした。
観光化されていない地味なところですが、この一帯は古戦場で、歴史的には関東管領上杉氏や足利氏、北条氏が絡むすごい場所だとか。
山内にお稲荷さんがありますが、もともとは戦没者供養の祠であり、後に近隣農家の五穀豊穣を願う稲荷神社になったものだと、私は想像しています。

歴史や宗教や民俗に強い興味を持つきっかけとなった場所だと思います。

水季野自治会館脇の公園

ドラマパートの神饌共食(一緒にお弁当)から熊男討伐の軍議への流れで使おうと思います。

今回は30分程度の短編映画なので、あまり多くの場面は描けません。
なので、徒歩圏内ですべてのお話が完結するような作品にしようと思い、狭山市内で最も思い入れの強い、私が生まれ育った柏原ニュータウンの近隣を舞台にするつもりです。

土地勘のある場所の方が、トイレやコンビニの位置も熟知しているので、やりやすいのです。

これで、ロケ地の候補は決まったのですが、公共物の撮影許可などをどうすればいいのかはまだ未経験なので、これから調べて具体化していこうと思います。

学生の自主映画だと基本的に許可なしのゲリラ撮影なんですけど、一応、国家権力によるお墨付きを得た正式な看板(商号権、商標権)を掲げる自主映画なので、取れる許可は取ってから撮影に臨むつもりです。

こういうロケ地探しや許可取りって、メジャー映画やテレビドラマの現場だと、助監督(AD)の役割だった気がします。

映像学科時代、映像業界が労働環境劣悪で暴力すらはびこってるという話を聞いて、気が弱い私は向いていないのではないかと思い、就活ではNHKなどの超大手以外の知らない制作会社は怖くて受けていませんでした。

しかし、クリエイターは作り始めれば誰でもクリエイターなので、自分のための映画制作のノウハウを自分で確立させてしまえば、それで個人映画会社の完成です。

今のネット時代、インディペンデント一筋のクリエイターは少なくないのです。

「鬼神童女遊侠伝」シリーズ実写映画第1弾として、最後まで諦めずに完成まで突き進んでいきます。

心理学の本を新しく買い込んできました

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

恐ろしいことに、今日で33歳になってしまいました。

厚生労働省のニートの定義に照らせば、あと2年で若者ではなくなってしまいます。

心は常に10代の少年なんですけどね。

さて、昨日、久しぶりに新宿の紀伊国屋に行って、心理学の関連書を買い込んできました。

心理学の本は大型書店に行かないと売っていないので、川越の紀伊国屋にはないのです。

本なんてネットなら何でも買えるじゃんという突っ込みもありますが、漫画ならともかく、専門書に関しては中身を確認してから買ったほうがハズレが少ないので、専門書に限っては実店舗の方が賢明です。

こういう時、都心の大型書店に行きやすい埼玉県民は有利ですね。

近所と違って、往復の交通費が余計にかかりますけど。

狭山市の駅前に専門書に強い大型書店作ってくれないかな。

元旦に今年は心理学強化年間にすると誓いを立てたので、さっそく有言実行です。

誰かに強制されているわけではないので、コツコツとやっていきます。

買ってきた本は、次の5冊。

「内向型を強みにする」マーティー・O・レイニー Pan Rolling

「青年の心理 ゆれ動く時代を生きる」遠藤由美 サイエンス社

「心理臨床に活かすアート表現 ―心の豊かさを育む―」神田久雄 樹村房

「感情心理学入門」大平秀樹 有斐閣アルマ

「アメリカ凶悪犯罪の専門家が明かす 無差別殺人犯の正体」阿部憲仁 学文社

心理学科にいた頃は、映像学科時代の失敗にとらわれて自分のことで精一杯すぎたし(今もですが)、日本の鬼の伝承文化の研究をやるために民俗学を専門にやれる大学に進めなかったという不本意もあり、どうしても心理学に身が入らず、あっという間に落ちこぼれてしまいました。

そのため、心理学の講義がとにかく苦痛で、興味のない分野のレポートや試験は散々たるものでした。

グループワークなんてやらされた日にゃ、ただでさえ人見知りなコミュ障なのに、周りの現役学生と小学校一回りくらい差があるわけですから、浮いてる感が半端なくて輪に入れないのです。

座学はともかくグループワーク系が本当に嫌いで、フェードアウトして行けなくなり単位を落としたこともありますし、必修ではないですがゼミも3回も行かずに逃亡して、挙句の果てには1度留年しました。

自費で行っていない以上、親のお金を無駄にできないので4年で退学も考えましたが、親にめちゃくちゃ怒られて「退学するくらいだったら留年してでもちゃんと卒業した方がいいに決まっている」と言われて、なんとか足りない単位を取って逃げるように卒業はしました。

でも、卒論すら書いていない、試験で白紙回答ばっかりの、完全に落ちこぼれの底辺学生だったので、お目こぼしでのお情けの卒業だと思います。

英語が壊滅的に苦手だった私が、ヘボン先生が開いた英学塾が前身の英語が難しい明治学院に、全学部日程試験(3教科から成績のいい2教科で採点。たぶん国語と日本史で採点)で入ったこと自体がかなりの奇跡であって、映像学科時代の単位認定がなかったら、必修の英語だけでも挫折していたかもしれません。

なので、学部最年長であったはずの私が、3教科受験で現役で入ってきたであろう大多数の学生に対して、一方的な劣等感を抱いていました。

就活から逃げた前科がありますし、学生を都合のいい使い捨ての駒くらいにしか思っていないブラックバイトを警戒してバイトすら怖くて未経験だったので、そのことでもバイト漬けの学生に負い目を感じていました。

大学での唯一の居場所であった人形劇団でも、やっぱり周りとの温度差に悩んで、何もかもが悔しくなって号泣しながらブチ切れたことがありますが、本当のところは理解されませんでした。

明治学院での孤独感を、北海道に住む映像学科時代の唯一の友人と飲んだ時に打ち明けたら「高校出たてでなんの失敗も挫折も経験していないその辺の学生には、秋元君の気持ちはわからない。わからないよ。俺も大学院でなぜか学部生からなめられてるし、周りのアート系の院生からもホラーが好きだってだけで精神病扱いされるし、教授からも嫌われてろくに論文指導してもらえないし、孤立してる」と。

私が、心理学科で一部の先生から大学院に行くことを勧められつつも大学院に抵抗があったのは、成績が悪すぎたというのと、ある先生のゼミから逃亡して卒論を書いていないというのがあったので、教授に嫌われてアカハラの対象になり、友人の二の舞になるかもしれないという恐れを感じたからです。

明治学院の心理学科を出たのに、胸を張って明学心理出身となかなか言えないのは、底辺すぎる黒歴史しかないからです。

でも、最近思っているのは、こういう「普通」とされるレールから脱線しまくって悩み抜いた経験こそが、実社会で弱い立場に置かれて悩んでいる人の支援に役立つんじゃないかということです。

とんとん拍子のエリートは上から目線になるから、弱い人の気持ちは他人ごとになってしまうのです。

心理学は人の心を探求する学問なわけで、ましてや明治学院は「Do for others」を掲げるキリスト教の大学で、その基幹科目の「心理支援論」は「自己理解を通じて他者を理解し、社会的弱者の支援に結びつける」ということを理念としているのです。

それなのに、実際に悩みまくっている当事者の生の発言が、心理学科のグループディスカッションで理解されないのです。

口で話すのが苦手な気持ち

中学でいじめられた気持ち

大学で一人暮らし始めてすぐに悪徳業者から法外な値段で浄水器を押し売りされた気持ち

志を共有できる仲間を見つけられなかった気持ち

周りがバイトばかりで日程を調整できなくて自主映画がやれなかった気持ち

目に見えた実績がなくて自信がなさ過ぎて就活から逃げた気持ち

親友との接点だったオタク趣味を偏見の目で社会的に否定される気持ち

自分のどうにもならない性的嗜好を偏見の目で社会的に否定される気持ち

夢を持ち続けることを社会的に否定される気持ち

男兄弟で女の子と接するのが苦手な気持ち

女の子との接点がない気持ち

支配的だったり、粗暴だったり、威圧的な人が怖い気持ち

何よりもブラック企業が怖い気持ち……。

これ、心理学研究で一番大事な、問題を抱えている当事者の生の気持ちなんですよ。

それを、「甘え」「怠けてる」「使えない」「気が利かない」「KY」「きもい」「ビョーキ」で済ますのが、成熟した人間なのかと、疑問に思うのです。

そういう人が、教育や福祉に携わるのかと。

そういう人が、経営者や管理者になるのかと。

そういう人が、政治家になるのかと。

そういう人が、人の親になるのかと。

だから、「この世はクソゲーだ(一切皆苦)」と、大昔の仏陀は悟りを得たのでしょう。

でも、私は、「あいつおかしい」で思考停止するレベルでは止まりたくないです。

世俗の凝り固まった偏見から解脱するために、苦手意識をぶっ壊して、コツコツと心理学を学んでいきます。