無名の零細活動家の悩みは、どうやって宣伝していくかにある

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

立ち上げてからずっと、当結社の活動において深刻な悩みがあります。
それは、無名すぎて閑古鳥が鳴き続けているということです。

私は動物好きですが、できれば閑古鳥さんには巣立っていただきたい。

一応、集客戦略として、独自アフィリエイトの「伝道師制度」や、宣伝弱者からお金を集めて間接的に大規模広告を実現する格安バナー広告「栄久広告貼出所」という媒体を考案しましたが、そもそも人が来てくれないので、勝手に申し込まれていくような都合のいい展開はありません。

当結社に来るのは、どうでもいいスパムメールのみです。

とにかく、集客しないことにはどうにもならないので、月に約6000円という、お給料から捻出したなけなしの広告宣伝費で、グーグルアドワーズを配信し続けています。
でも、ほとんどグーグルにお金を吸い上げられているだけで、広告経由のアクセスがあっても、何の反響もないのが悲しいところ。
「アドワーズ効果なし論」が世間ではありますが、私もただ6000円をどぶに捨てているような気になっています。
「1クリックにつき課金される成果報酬なので、費用対効果が高く、広告予算を抑えることができます!」と言われていますが、訪問しただけで帰ってしまったら一銭にもならないので、訪問を成果扱いされても、歯痒さしかないです。
申し込みを保証しないのであれば、それは成果報酬とは言わないのではないでしょうか。
まあ、私もアドセンス広告で地味に数円ずついただいているので(累積230円ほど……)、アドワーズ批判もほどほどにしますが。

お金だけ持ってかれてほとんど役に立たないのは、ツイッター広告も同じですね。
一時的にアクセスは増えても、全然申し込みにはつながりません。

アナログな折込チラシやポスティング、ダイレクトメールも、1万枚に1件当たればいいほうらしいので、宣伝費のない弱小同人結社としては、公衆認知と集客は永遠の悩みです。

存在を知ってもらわないと、そもそも誰もサイトに来てくれないので。

 

ちなみに、アクセス解析すると、当結社の公式サイトの1日の訪問数は10程度です。

「たった10程度かよ、弱小ダセえww」とバカにする人もいるとは思いますが、星の数ほどあるウェブサイト、営利企業の運営する商用サイトも含めて、圧倒的大多数のアクセスは1日10以下だそうです。

ブロガー界隈だと、1万PVとか当たり前のように語られていますけど、そんなのは本当に一握りの特異な現象なのです。
たぶん、そういうブロガーの正体は、ネットマーケティングの専門家なのではないかと推測しています。
実際、ブロガーで有名なイケダハヤト氏も、マーケティング畑出身ですし。

だから、当結社のような弱小サイトは、零細中の零細ですから、あの手の特異な成功例と比較してはいけないのです。
有名サイトのほうが目立つので、あれが普通と思われてしまうのですが。

 

今、当結社もやっと外に向かっていく布教活動の段階に入ったのですが、実績がないという致命的な弱点があるので、それが深刻な悩みです。

半年くらい前にも創作検索サイトを使って勧誘回りをしたのですが、ことごとく無視されて意気消沈しました。
丁重なお断りメールがあるなら納得できようものですが、無視ですからね、これはこたえますよ。
迷惑メールと判断されたのでしょう。
私は真剣に相手のサイトを見て作風に興味を持って問い合わせしたのですが、反応は無視でした。
こちらは、フォーマルなビジネスマナーにのっとって署名付きで独自ドメインでメールを出すのですが、創作サイトをやっているクリエイターさんは、えてして素性を伏せた変名で住所も開示せず宛先もフリーメールなので、差し出すこちらのほうが警戒心を抱きます。
それで無視されると、「迷惑メール扱い? こっちが悪いのか?」となります。
「知らない人からの勧誘が不安」という気持ちもわからないでもないですが、素性を伏せた相手に問い合わせするこちらも勇気がいるし、不安だらけですよ。
「お仕事ください」といってフリーランスクリエイターを名乗るなら、確かな素性を開示する責任はある気がするのですが……。
私は実績では信用されないので、お金をかけて独自ドメインを取り、信用の担保に素性をさらしています。
それでも、匿名の相手に無視されてしまうという。
無名ブランド運営者の悲しいところ。

 

とにかく、どうにかして当結社の活動を知ってもらわなければなりません。
ネット広告だけだと反響が見込めないし、お金ばかり吹っ飛ぶので、こうなったら体を張ったアナログ宣伝もやってみます。

同志集めの最も古典的な方法は、「公衆の面前で旗を掲げる」ことです。
あのISだって、中東で旗を掲げて同志集めをしているのです。
旗を掲げるというのが、古来から思想信条を発信する方法として定着しています。

親鸞も、日蓮も、無視や迫害にさらされながらも辻立ちを続けました。
その地道な布教活動によって、後についてくる弟子が現れ、信者が集まり、一大宗派を確立しました。

駅前で市民活動しているおばさんは、ほとんど無視されていますが、己の信条のために辻立ちを続けます。
その根性は見習わなければなりません。

たった一人で始めた新しい挑戦には、無視も迫害もあるでしょう。

しかし、私は、確固たる理念を持つ同人結社創作信仰鬼姫狂総本部の創始者であり、空想時代劇「鬼神童女遊侠伝」シリーズの生みの親です。
先駆者自身が、辻立ちという体を張った地味な宣伝活動をしないわけにはいきません。

なので、ネットでの会員勧誘活動と並行して、定期的に街頭宣伝活動に挑戦してみようと思います。

とりあえず、まずはやらざるを得ない状況に追い込むために、街頭宣伝用ののぼり旗と行動服の法被をオーダーメイドで作ります。

普段着だと「変な旗を持ってる変な人」に見えると思うので、宣伝活動専用の法被を羽織ったほうが、「よくわからないけど何かの団体の人」くらいの格好はつくと思います。

反政府ゲリラだって共通のユニフォームがあったりしますから、鬼姫狂総本部も外で辻立ちするときは紋章を背負った法被を着ることにします。

ティッシュ配りのお兄さんだって、安っぽいユニフォーム一枚で立派な「野外宣伝員」という職種を担っているわけですから、行動服があるかないかで、世間の見方も変わるのではないでしょうか。

何事も、先駆者は独りぼっちですから、自分で方法を考えて切り開いていくしかないのです。

地元に創作イベントなんて都合のいいものはないですからね、地元に同志を増やすのは、ゲリラ活動しか方法がないです。

私は根っからの恥ずかしがり屋ですけど、もっと図太くならないといけません。

活動を知ってもらうためには、同志を増やすためには、お財布と相談しつつ、どんな手段も試していきます。

映像紙芝居化を白紙に戻し、原作絵本の制作に特化します

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

最新作「鬼神童女遊侠伝/わらべを喰らう猫女」について、色々と企画を練り直しまして、映像紙芝居化を白紙に戻しました。

現在、原作絵本の完成に向けて作業に勤しんでいますが、絵本作りですらも結構骨の折れるものでして、絵本だけでも精一杯という心境です。

長編映像紙芝居を完成させて発表にこぎつけるとしたら、実体験から5~6年は要します。
しかも、それは学生時代の試行錯誤と没頭ありきでできたことです。
今、たった一人で同じことができるかといえば、正直、根気が続かないのではないかと思います。
「お金で解決」という方法が使えれば、予算1000万円くらいあればスタッフを抱えて作画を丸投げできるかもしれません。(30分枠のテレビアニメの予算は1話1000万円くらいだそうです)
しかし、そんな他人を抱えるお金などないので、自分の膨大な時間を犠牲にするという選択肢しかないのです。

そうなると、たった1本の物語の映像化に6年をかけるよりも、半年に1本の絵本を描いて6年で12本の物語を発表したほうが、「お話を描きたい」という自分の願望に忠実になれる気がしました。

短編映像紙芝居を連作するという方法もありますが、「ショバ代をたかりに来た狐をやっつける」ような、一場面完結の一発ネタしかやれないので、お話の幅を広げられないのです。

映画で育ったので、映像に対する執着が強いのですが、映像は商品化へのハードルが高すぎます。

なので、ここは割り切って、映画の興奮を注入した絵本を生み出すことを新たな志として、突き詰めてやっていこうと思います。

 

無論、根本的な原作としての映像紙芝居は制作実績として残り続けますので、創作師制度の著作権契約の源泉はこの映像紙芝居です。
私の20代の血と汗と涙が詰まった映像紙芝居を元手に、映像紙芝居制作の資金、根本聖地建設(私の居城)の資金を獲得していきます。

原作絵本の原画の下絵が3枚終了

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

最新作「鬼神童女遊侠伝/わらべを喰らう猫女」(仮)の原作絵本の原画制作が進んでいます。
現在のところ、表紙のペン入れと本編3枚の下描きが終わりました。

有料販売する作品なので、全部は公開できませんが、一応、こんな作風なんだということをお伝えするために、体験版として下絵を公開します。

表紙(紋章と題名と名義は仮入力です。完成版は総天然色となります)

導入(ある日、森の中、百姓の少年が猫女に出会う)

事件(少年が猫女に色々な辱めを受け、濡れ股で精力を吸われて殺されそうになる)

鬼神童女参上(鬼姫山のお凜様がお供を連れて参上し、正義の剣を抜いて猫女と対峙。手下の猫男たちがわらわらと現れる)

これを見ればわかると思いますが、絵本といっても、純粋な一枚絵ではありません。
映画の絵コンテから派生した絵本なので、文章に頼らなくても芝居の流れが分かるような演出になっています。

ショタ好きなお姉さま、お兄さまが食いつきそうな「いけない場面」もあるのですが、「生娘を狩る大狸」同様、性犯罪が題材なので、こればかりは避けられないです。
性表現が一定数以下(20ページ未満又は全体ページ総数の5分の1未満)であれば、青少年健全育成条例にも違反しないので、18禁にはならないですよ。

ちなみに、お凜様と少年とのいけない描写はまったくありません。
お凜様は永遠の清純派アイドルですから(レズビアンでもありますが)、男の子みんなの憧れの対象でなければならないのです。

民富田智明も健康な男子ですから、ヒロインのえっちい表現は好きなのですが、一方で貞操観念を大事にする立場です。
なので、安易なエロで釣るやり方が好きではありません。
ぶっちゃけ、ヒロインに恋愛要素すら邪魔とすら思っています。

少女漫画の絵柄に魅かれつつも内容には魅かれにくいのは、恋愛一辺倒で、スキンシップやキスばかりしたがって、遠回しな性交渉への願望しか描かれないからです。
今時の女子がませているのは、少女漫画の異性交遊を煽る恋愛礼賛主義が原因と思います。

「鬼神童女遊侠伝」シリーズでは、少年がお凜様と手をつないでドキドキする、というくらいのプラトニックな恋心しか描かれません。

当たり前にエログロ描写がある本作ですが、これでも9~10歳前後の異性に興味を持ち始めた子に向けて作っているので、なんでも過激にすればいいという浅はかなものでもないです。

男の子なのに女児向けのヒロインである「プリキュア」に興味を持つ子を心配する親や教員もいるようですが、「プリキュア」ではぬるい、ひらひらフリフリの衣装が少女趣味過ぎて好きになれない、という場合は、ぜひとも男の子のためのストイックなヒロインであるお凜様を好きにならせてあげてください。

新作絵本の原画制作を始めました

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

最新作「鬼神童女遊侠伝/わらべを喰らう猫女」(仮)の原作絵本の作画に取り掛かりました。

まずは、すべてのイメージの基本となる表紙の下描きから始めました。

今回は銃撃戦が中心なので、ちゃんと拳銃を持たせています。
江戸時代だと、史実では火縄銃くらいしかないのですが、それだと銃撃戦が派手にできないので、考証無視で架空の連発銃を採用しています。
絵本の本編では、拳銃も小銃も登場しますよ。
表紙下描きの左側が空いているので、小銃を構えた猫男を描き足すつもりです。

構図を考えるところから描き込むところまで、ざっと6~7時間くらい費やしています。

絵を描くのは楽しいですけど、ものすごく手間暇がかかります。
私、元来は漫画家に憧れていたのですけど、漫画って読み捨てされる文化なので、一瞬で読み終わってしまうのに、コマ割りを考えたり、コマごとに絵を描いたりと、作業量が割に合わないと感じています。

絵そのものよりも物語が大事なので、物語が伝えられれば、表現の手法に固執する理由はありません。
なので、原作は絵本形式が最適だと思っています。

原作絵本の本文が24枚全部終了

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

最新作「鬼神童女遊侠伝/わらべを喰らう猫女」(仮)の原作絵本の本文執筆の第一稿が終了しました。

一応、ブログで宣言した予定の通りに、4月中に作業が終わりました。

まだ、パワーポイントを使って1枚ずつ原稿を書いただけなので、これから完成原稿のための絵を合わせた体裁を整える作業が始まります。

絵の下描きとペン入れとの同時並行で、5月はやっていきます。
絵の色塗りと仕上げまで、6月中には持っていければと思います。

映画のような絵本というのは、現状で本屋さんに置いてある絵本という枠の中では意外とありそうでない発想だったので、可能性のある手法だと考えています。

単に映画のような絵本というだけだと、手法自体は、すぐに誰かが真似するでしょう。
しかし、「鬼神童女遊侠伝」シリーズという、「架空の民俗信仰を題材にした、腕っ節は強いが心優しい女の子の鬼が活躍する勧善懲悪物語」という本質的な部分は、鬼姫狂総本部と民富田智明による独壇場です。
ステレオタイプの鬼ではないので、真似をした時点でパクリです。

売れるかどうかというのは別の話とはいえ、「戦闘美少女&美女が悪の軍団を壊滅させる」というプロットは、もてない少年のハートをつかむこと必須と思っています。
女アクションというのは、エクスプロイテーション作品の基本中の基本なので、金はないが野心だけはある自主制作では一番手堅いとすら思っています。

なのに、先行研究をしても、女の子の鬼が大活躍する作品って、見当たらないのですよ。
「桃太郎」「一寸法師」の鬼なんて子供に負けますし、節分の鬼のお面だってかっこよさはないですし、1000年以上の歴史がある異形の存在の割には、主役級というよりどこか噛ませ犬のような扱いを受けています。
世間的には、鬼=かっこ悪いやられ役というイメージが定着しすぎたんでしょうね。
若い人ほど学園ものに囚われますし、ファンタジーだって、ゲームの影響からか中世ヨーロッパ風異世界にしたがります。
日本の作品だと、異世界に行ってまで学校に通いたがりますし。

だからこそ、「鬼神童女遊侠伝」シリーズは、日本文化史に新しい鬼のイメージを打ち出すことを目的にしています。
それが、民富田智明の試行錯誤の新規性です。

新しい試みというのは、要は社会的少数派ということです。
真剣にファンタジー時代劇をやろうとする人は、あまりいません。
時代劇、時代小説はたくさんありますが、どれも江戸もの、剣豪ものです。
10代の子が興味を持つような、萌えや、ファンタジー要素は皆無です。
子供向けの昔話と大人向けの時代劇との間で橋渡しをするような分野がないので、私はそこに可能性を見出しています。

なかなか注目されないので悩み続ける毎日ですが、文化的価値のある挑戦をしているんだという自覚はあるので、一歩ずつ前に進んでいきます。