脚本論2 物語の目的

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

脚本論の第2回は、物語の目的です。

物語は、何を目的として描かれるのでしょうか。
人は、物語に何を期待してそれに触れるのでしょうか。

漫画でも小説でも映画でも、今まで受け取り手としては、特に深く考えることもなく物語に接してきたはずです。
しかし、物語を生み出す側に回るならば、物語の目的を理解する必要があります。

今回は、物語の目的について述べます。

 

【物語の目的は、問題の解決と変化にある】

物語の目的は、問題の解決にあります。

物語は、必ず何かしらの問題が提示されています。
そして、主人公が何かしらの行動を起こすことによって、その問題が解決されることになっています。

提示された問題が解決されたことによって、主人公とその周囲の状況に何かしらの変化が生じます。

その変化こそが、物語に欠かせない根本的な要素となります。

【問題とは、望ましくない状況である】

物語に提示された問題とは、主人公にとって望ましくない状況のことです。

たとえば、ある学校に通う少年が、同級生の少女に密かな想いを寄せていたとします。
少年は勉強がからっきしな典型的な劣等生で、一方、意中の少女は優等生だったとします。
ある日、少年は、勇気を振り絞って少女に想いを告白しますが、受け入れてもらえませんでした。
少女は、教養のある知的な人が好きだったので、少年のことはそのとき眼中になかったのです。

ここで、主人公の少年の望ましくない状況とは、「好きな人に振り向いてもらえない」ということです。

物語の目的は問題の解決と変化にあるのですから、この場合、「好きな人に振り向いてもらう」ということが目的となります。

【問題の解決には、強烈な動機が必要】

「好きな人に振り向いてもらえない」という問題の解決には、「好きな人に振り向いてもらいたい」という強烈な動機が必要になります。

人間の行動には、必ず何かしらの動機があります。
その動機が強ければ強いほど、行動力が強くなります。

行動原理がぶれぶれの人物には、何の魅力もありません。
物語の主人公には、一貫した行動原理があるのです。

【強烈な動機によって、課せられた困難の克服を描く】

物語では、問題を解決するために、待ち構えている困難の克服をしなければなりません。

「好きな人に振り向いてもらう」という目的を達成するには、好きな人にとって望ましい自分に変化する必要があります。

意中の少女が優等生で、教養のある知的な人が好きなのであれば、劣等生の少年にとっての困難の克服とは、「劣等生からの脱出」です。

少年は、「好きな人に振り向いてもらいたい」という強烈な動機によって、「劣等生からの脱出」を決意し、勉強を始めます。

【困難の程度は高いほうが熱い!】

困難の程度は高いほうが、物語の展開が熱くなります。
主人公は、何度も壁にぶち当たります。

劣等生の少年は、勉強の習慣すらついていなかったので、何度も挫折を味わいます。
しかし、「好きな人に振り向いてもらいたい」という強烈な動機が支えになり、努力し続けます。

優等生の少女は、劣等生で遊んでばかりだったはずの少年が図書館にこもってまじめに勉強している姿を密かに見ていました。
このとき、水面下で、少女に心境の変化が起き始めていました。

少年は、次の定期試験で好成績を取り、その実績をもって再び意中の少女に想いを伝えようと考えました。

しかし、結果は惨敗でした。

【敗北からの逆転】

物語では、主人公を一度どん底に突き落とすと面白くなります。

世の中、とんとん拍子でうまく行くほど楽ではありません。
劣等生がすぐに優等生になれることはないのです。
意気消沈する少年。

少年が図書館でうなだれていると、ふと、意中の少女が現れます。

少女は、少年が熱心に勉強して姿を見ていたことを告げます。

そして、「よかったら、教えてあげようか」と。

少年は、「自分でやらなきゃ意味がない」と、少女の申し出を断り、独学を貫きます。

必死の独学の果てに、少年はついに定期試験で好成績を獲得します。

少年が意中の少女に試験結果を伝えると、少女は少年の努力をほめたたえます。
少女は、「結果そのものよりも、ここまで努力し続けた姿勢を尊敬します」と、少年に好意を伝えます。

少年は、少女と相思相愛になり、仲良く一緒に勉強するようになりました。

これで、「試験の惨敗」というどん底の状況から、少年自身の努力により、「好きな人に振り向いてもらう」という目的を達成したことになります。

「敗北からの逆転」こそ、物語の最高のカタルシスとなります。

「好きな人に振り向いてもらう」という目的の達成により、「好きな人に振り向いてもらえない」という望ましくない状況が消滅します。
さらに、劣等生の少年が、意中の少女への想いの強さのみによって、勉強家に変身します。

望ましい状況への変化こそ、物語の感動なのです。

【物語は、報われる努力を描く】

感動する物語は、主人公の報われる努力を描きます。

どれだけの困難があっても最後は勝利の女神が微笑むのが、物語の王道です。

ある意味では究極の出来レースであり、八百長プロレスです。

「鬼神童女遊侠伝」シリーズも、必ず最後はお凜様が「必殺剣技・花吹雪」を繰り出して勝つと決まっています。

結果が分かっているのに、人は物語に没入するのです。

 

ここから言えることは、物語は「結果」よりも「過程」のほうが大事であり、選択肢が多い分、描くのが難しいということです。

 

脚本論1 脚本の構成要素

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

今回から、不定期ではありますが、脚本の書き方について持論を述べようと思います。

民富田智明は、芸術系大学の映像学科に所属していた頃、映画理論と脚本を専門に学んでいました。
テレビ制作などの技術系に進まなかった理由は、映像機器や照明機器を使いこなすことよりも、物語を創造することに興味が強かったからです。
映像作品には様々なジャンルがありますが、民富田智明にとっての映像とは、お芝居を写した劇映画のことでした。
物語を書くという点においては、撮影技術よりも、映画理論や脚本を習得したほうが応用が利きます。
脚本を書けるようになれば、そのまま脚本家になるという道もありますし、練習次第で小説家の道もあります。
絵コンテを描けるようになれば、アニメ演出もできますし、漫画も描けますし、紙芝居や絵本にも対応できます。
撮影技術を習得すれば、プロの技術屋として就職はしやすいのかもしれませんが、プロの設計士になれるかどうかは別の話です。
物語性のあるすべての創作物は、脚本という設計図から生み出されています。
つまり、設計図である脚本を習得すれば、娯楽産業に生きる表現者として、幅広く活動できるようになるのです。
映画理論と脚本を学ぶことで、その気になれば何でも芝居を作れるという、本当の基礎力が養われたと思っています。

それでは、脚本の書き方に入ります。

なお、今回の講座は、超初心者向けの入り口にすぎません。
民富田智明自身、まだまだ修行中の身ですし、お話作りの勉強は一生続きます。
脚本の専門書は多く出版されていますが、それを読んだからといって成功は保証されていません。
始める前からグダグダ言っても何も身に着きませんので、まずは書いてみる、ということが重要です。

どんな大作家も、みんな無名の素人から始まっているのです。

【脚本の構成要素】

脚本は、柱、ト書き、台詞の三要素から成り立っています。

柱は、場面の開始を表す記号で、場面の場所と時間帯を指定します。
柱の頭には、必ず〇を書きます。
完成台本では番号が振られますが、場面が入れ替わることもあるので、初稿の段階では単に丸を書くのです。
場所の指定は、カメラの設置やスタジオのセットの準備に関係するものなので、できるだけ簡潔かつ具体的に書きます。
時間帯の指定は、ロケの手配やライトの設置に関係するもので、早朝、昼、夕方、夜など、大まかに指定します。

ト書きは、登場人物の動作や、舞台の情景、配置された大道具小道具を説明するための文章です。
台詞と混同しないように、必ず3マス下げて書くのが作法です。
何故「ト書き」なのかというと、諸説ありますが、日本の古典芸能である能の台本に、「(台詞)~と、~する」と書かれていたからというのが有力とされています。
ト書きは小説の地の文に相当しますが、ト書きの場合、具体的に目で見ることができる事象のみを書くので、登場人物の心理描写は書いてはいけないことになっています。
登場人物の心理描写をする場合は、目に見える具体的な動作や表情を指定することになります。

台詞は、言わずと知れた、場面内で登場人物が発言する内容を指定する文章です。
台詞を書くときは、どの人物の発言なのかを指定するために、必ずカギかっこの上に役名を書くことになっています。
なお、台詞の発話中に特定の動作や表情をする場合、台詞文の中にかっこ書きで動作や表情を指定することもできます。

柱、ト書き、台詞を踏まえて脚本の書式で場面を書いてみます。


題名「密談」 作・民富田智明

人物

悪代官(50)痩せ型
悪徳商人(45)小太り型

〇悪代官の屋敷・部屋(夜)

薄明りを灯す中で、悪代官と悪徳商人が向かい合って座り、酒食の膳を交わしている。

悪代官「して、越前屋、今宵は何用で参ったのか」
悪徳商人「お代官様、実はたってのお願いがございまして」

悪徳商人が、横に置いてあった風呂敷の包みを取り、すっと前に差し出す。

悪代官「なんだその包みは」
悪徳商人「つまらぬ菓子折りでございます」
悪代官「その方はいつもつまらぬ菓子折りばかり持ってくるではないか」

悪代官が包みを手に取り、風呂敷を解く。

悪徳商人「お代官様こそ、そのつまらぬ菓子折りをお受け取り下さるではないですか」
悪代官「フフフ、こういうつまらぬ菓子であれば、毎日でも嫌な気はせんぞ」

悪代官が菓子折りを開けると、小判が詰まっている。

悪代官「ほほう、まことにつまらぬ菓子だ。用件を聞こう」
悪徳商人「近頃町に住みついている野良犬がいまして。その野良犬が、何やらうちの裏の稼ぎについて こそこそと嗅ぎまわっているようでして、目障りなことこの上ないのでございます」
悪代官「その野良犬とはなんだ」
悪徳商人「名は知れませんが、めっぽう強い浪人でございます」
悪代官「浪人ごとき、わしの力をもってすれば、消すことなど容易い。任せておけ」
悪徳商人「何卒、宜しくお願い致します」

悪徳商人が深々と頭を下げる。

悪代官「しかし、おぬしも悪よのう」
悪徳商人「お代官様にはかないませぬ」
悪代官「まあ、うまくやっていこうではないか」

悪代官と悪徳商人の笑い声が響く。


以上が、脚本の基本的な構成要素です。

これだけです。

ちょっとした寸劇ならば、すぐに書けます。

しかし、これが多くの場面から構成される長編の脚本となると、その構成は悩みの種となります。
長編が簡単に書けたら、みんな大作家になれます。
誰も挫折しません。

脚本の書き方で大事なのは、その形式を覚えることではありません。
脚本という形式を使って、何を物語るのかが、一番難しい部分なのです。

民富田智明は、「鬼神童女遊侠伝」シリーズという世界を物語ることにすべてを捧げています。
しかし、まだまだ完成していませんし、一生完成しないかもしれません。
常に発展途上、それが創作活動というものです。

脚本の形式が分かったら、次は、何を物語るかという永遠のテーマに突入します。