鬼姫山回峰行 第5回 子ノ権現

どうも、同人結社鬼姫狂 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。

本日、鬼姫山回峰行として、飯能の古刹・子の権現に行ってきました。

子の権現は、正式には天台宗大鱗山雲洞院天龍寺といい、標高640mの山の上にある、武蔵野三十三観音霊場32番札所に指定されている神仏習合のお寺です。
縁起によると、911年、子ノ聖というお坊さんが初めてここに十一面観音を祀って天龍寺と称して開き、弟子の恵聖上人が子ノ聖を大権現と崇めて子ノ聖大権現社を建立した、というのが始まりのようです。
子の権現の名称の由来である子ノ聖は、生誕が子年子月子日子刻であったため人々に子ノ日丸と呼ばれていたそうで、それが子ノ聖という通称となったそう。
子の権現は、子ノ聖が最期に「我、化縁につきぬれば寂光の本土に帰るべし。然れども、この山に跡を垂れて永く衆生を守らん。我登山の折、魔火のため腰と足を傷め悩めることあり。故に腰より下を病める者、一心に祈らば、その験を得せしめん。」と誓いを立てたことから、足腰守護の神仏として信仰されています。
足腰守護の神仏ということから、境内には巨大な草鞋があり、このお寺の名物となっています。

さて、この子の権現参拝は、鬼姫山回峰行の一環としての参拝です。

鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山に思いをはせるために秩父山地の山々を自らの足で踏破することを通じて、己と向き合い、足腰を鍛え、信仰対象である鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を感得することを目指す鬼姫狂団の実践山岳修行です。

子の権現は足腰の神仏であり、また観音霊場でもあるので、観音菩薩と勢至菩薩を本地仏とする神仏習合の武州鬼姫信仰にとっては相応しい行場であると言えるでしょう。

ところで、子の権現は、小学4年生の遠足で一度登っています。
なので、およそ25年ぶりの訪問ということになります。
小学生の頃はとにかく運動嫌いだったので、遠足の登山がとにかく辛かったという思いしかなく、どんな道だったのかは全然覚えていません。
そんな自分が、寺社巡りの延長で山登りに興味を持つようになるとは、人生わからないものです。
ま、今でも山登りが楽勝と思うことはないですが。
物理的にきついものはきついです。
でも、今回は「自分の意志でやる修行」なので、いい意味でのきつさです。

子の権現への入山口は、国道299号線の吾野駅から少し秩父寄りにある東郷公園秩父御嶽神社の境内地の脇にあります。
秩父御嶽神社もいい感じの神社ですが、ここは大学時代に訪問済みですので、今回は省きました。
自家用車を秩父御嶽神社の駐車場に置いて、山行きを始めました。

懐かしい。

なんかピンボケしていますが、ここから子の権現に向かう関東ふれあいの道が始まります。
子の権現3.8㎞と書いてあります。
前回登った龍崖山が1.2㎞なので、3倍以上ですね。
往復7.6㎞です。

関東ふれあいの道の案内板がありました。
一都六県の共同で整備されているようです。

渓流に沿って道が続きます。
この先の先の先に子の権現があります。
クマやヘビやハチが出ないことを祈りつつ、進んでいきます。
一応、熊除け鈴をリュックにつけ、黒い服は避け、肌の露出する部分には虫除けスプレーをしています。
もう暖かい季節なので、普通にクマやヘビやハチが活動しています。
山は野生動物の縄張りなので、人間の方こそ部外者です。
最低限の自衛策はやって当たり前なので、そこは舐めずにやります。

江戸時代末期の古民家を利用した茶店の看板がありました。
昭和7年創業ということは、当時はまったく舗装されていなくて、江戸時代の峠道の雰囲気そのままだったんじゃないでしょうか。

謎の石碑。
お坊さんの姿が描かれていて、講の字があるので、子の権現参拝の記念碑的なものでしょう。

お地蔵さんを発見。

謎の石碑というか墓石を発見。
陸軍兵長勲八等功七級~とあるので、明治期以降の兵隊さんのものですね。
周辺の民家は空き家も目立つ感じなので、供養されているのかどうか……。

滝が見えてきました。
打たれてみたくなるいい感じの規模です。

滝のすぐ先にお堂がありました。

不動尊とあります。

不動明王を祀るお堂の脇にある滝なので、間違いなく修験者による滝行が行われていたはずです。

お堂の脇には風化した石仏群が。

先程看板があった茶店の先に道標があり、子の権現1.8㎞とあります。
この時点で踏破率52%。
そこまできつくないなだらかな舗装路を歩き続けて2㎞は稼いでいました。

あの茶店で(すれ違い困難な)車道は終わり、いよいよ道が狭くなってきました。

謎の石碑。

茂みの奥に巨石があり、そこに小さな祠がありました。
古神道の面影があります。

渓流に橋が渡してあり、舗装路が終わります。

子ノ権現天龍寺と刻まれています。

降魔橋と書かれた石碑があります。

子ノ聖は、山行きの途中で魔物に襲われたと伝わっているそうで、ここがその場所なのでしょう。
で、橋の先が寺の領域ということは、この川が聖邪の境界ということでしょうか。

ここからが本番です。
険しい石段が始まります。
ここから約45分と書いてありました。

石段を登り切った脇に祠がありました。

祠の先は、めまいがするような登り坂です。
石段を登った時点でもう足にきていたので、「なぜこんなところに来てしまったのか、今すぐ引き返そうか」と弱気な自分が出てきて、雑念に支配され始めました。

祠まで寄り道する気力もなく、その場から遥拝して、先に進みました。

どこまでも延々と続く心臓破りの坂。
ところどころ木の根が張り出していて、天然の罠になっていました。
写真を撮る余裕もなくなってきました。
何度も石に座って小休止して、水分補給して、一歩ずつ進みました。

実は、山行きを始めたのが11時30分ころで、お昼を挟んでいました。
しかし、出かけるときに軽食を買い忘れてしまったので、栄養補給ができませんでした。
水分はペットボトル500mlのお茶を2本持って来ていたので問題ないですが、栄養分が足りなくなる心配がありました。

登山は想像以上にエネルギーを必要とする高負荷な運動なので、水分だけでなく栄養分の補充も欠かしてはならないとされます。

軽食を忘れたことがあだになり、バテやすい状態になっています。
自分のミスとはいえ、想像以上にきつい登り坂で燃料不足です。

だんだん開けてきたのか、光が差していました。

杉の木の向こうから後光が差しています。
神仏が呼んでいます。

遠くに白いガードレールが見えました。
車道です。
だが、まだまだ先はあります。

あと少し。

ついに車道に辿り着きました。

昔、遠足で子の権現に来た時の、散々山道を歩かされた末に車道に出て「初めからバスで来ればよかったじゃん」とがっかりした記憶だけが残っています。
その、思い出の車道との交差部分です。

子ノ権現400mとありました。
まだ先はあります。

教育地蔵というお地蔵さんが立っていました。
そこから最後の登り坂が続きます。

この時点で限界に来ていたので、お地蔵さんの前にある謎の板を思い切りひじ掛けにして、回復を待ちました。
行儀悪いけれども、ここまで頑張ったのだから、お地蔵さんは許してくれるはずです。

最後の登り坂を進み、建物が見えてきました。

遂に、子ノ権現の門前に出ました。
小学生の遠足で来たことあるのに、ここまできつい道とは……。

由緒書と一緒に巨大な御神木があります。

鳥居が見えます。
門前に茶店がありますが、緊急事態宣言中だからか、平日だからか、営業はしていませんでした。
うどん、そば、アイスクリームという言葉に食欲を喚起されます。
何か食べたい。

鳥居をくぐって、灯篭の先に山門が。

山門の先に、ちょっと等身の低い仁王像が。

詳細な由緒書きが。

手水舎で清めて、

本堂でお線香を買って参拝し、一応ゴールです。

名物の巨大草鞋。

胸ちらしたえっちい女身の観音菩薩像。
観音様って、元々は男身だったのに、だんだん女性化していって、民間信仰のレベルでは慈母観音というように圧倒的に女身の方が多いです。
しかも、服をはだけていたりして、結構エロかったりします。
神聖な存在なのにエロい、というのがいいんでしょうね。
観音様はインドの土着の神様が仏教に取り入れられた説もあるようですが、インド神話の女神もトップレスだったりしますし、手塚治虫の「ブッダ」に登場する女性がそろってトップレスでしたから、古代インドの服飾文化がそのまま反映されているのでしょう。

武州鬼姫信仰の主祭神であるお凜様は観音菩薩と勢至菩薩の化身なのですが、観音菩薩そのものが女性化されてしかもエロかったりするので、勢至菩薩も観音菩薩の普門示現のような変身能力があって女性化してエロくなれると仮説を立てて、お凜様が女神でありながらエロいことに寛容だったりする根拠にしています。

小さな祠に恵比寿様。

本堂の奥に閻魔堂が。

閻魔堂の脇から奥の院に続きます。

閻魔堂の奥に登ったところに地蔵堂が。
一説によると、地獄の閻魔様は、お地蔵さんの化身であるとのこと。
ウィキペディアに書いてありましたが、根拠となる経典はわかりません。
ただ、こうして閻魔堂と地蔵堂がセットになっているところを見ると、そうなのでしょう。

地獄というのは極楽と表裏一体なので、地獄を仕切る閻魔大王が地蔵菩薩の化身だとすれば、地獄の極卒である鬼たちも「罪を犯したものを懲らしめて改心させるために、あえて恐ろしい鬼の姿となっている菩薩」だと考えてもおかしくありません。

そのため、極楽を仕切る阿弥陀如来の側近中の側近である観音菩薩と勢至菩薩が地獄の極卒の頭領であり、娑婆での武力行使の権限を握って、娑婆に拠点を設けて罪を犯すものを直接的に地獄に叩き落す役目を担っている、それが鬼姫山のお凜様である、と、鬼姫狂では考えています。

奥の院に登ると、まず鐘楼が見えました。

多くの供養塔が立っています。

ほとんど風化していますが、これは法華一千部供養塔と書いてあります。
つまり、法華経を1000部写して納めた記念ということでしょう。
途方もない労力ですね。

奥の院には釈迦堂があったのですが、うっかりして釈迦堂そのものの撮影を忘れました。
格子戸の隙間から、中の仏像だけ撮りました。
南無釈迦牟尼仏。

奥の院からの眺望はよく、どうやらスカイツリーが見えるようです。

さすが、640mの山の上だけあって、絶景です。

雄大な秩父山地の山々を眺めつつ、聖地鬼姫山への想いを強めました。

これで、子ノ権現参拝は終わりです。

山に登った以上は下りなければいけません。

下山ルートは同じ道の逆戻りなのですが、あれだけきつかった道が、下山だと楽勝も楽勝で、あっという間に駐車場まで戻ってしまいました。
まあ、一昨日の雨のせいでまだ道が濡れていたので、何度かずるっといって怖かった場面もありましたが。

駐車場に戻った頃には、15時30分くらいでした。
お金がないので日帰り温泉に寄ることもなく、まっすぐ帰宅しました。

次の鬼姫山回峰行は、同じく吾野あたりにある真言宗の古刹・高山不動尊と関八州見晴台にしようかなと思っています。

ちょっとずつ歩行距離を長くしていきます。