鬼姫山回峰行 第11回 仙元山

どうも、同人結社鬼姫狂団 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。

鬼姫山回峰行として、埼玉県小川町の仙元山(299m)を踏破してきました。

鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。

仙元山は、道の駅小川町のちょうど真正面にある山で、中腹は見晴らしの丘公園として整備されています。
計画では、同じく小川町にある官ノ倉山と金勝山に行くつもりでしたが、道の駅すぐ真正面にある山の方が車を置きやすいという都合があり、その場のノリで変更しました。
官ノ倉山や金勝山とともに、位置的に小川町の中心部を囲うようにそびえる山なので、古来から神聖視されてきた山であると想像しています。
ちなみに、仙元山は、古くは浅間山と書き、富士山をご神体とする浅間神社があったことがその名の由来であるという説もあるようです。(山の上に神社はなかったですが)

道の駅に車を置いて、昼食として地場の小麦粉で作った手打ちうどんを食べてから、山行きを始めました。

道の駅のすぐ先が仙元山です。
写真だと小さい山に見えますが、肉眼だともっと大きく見えました。

川沿いに出て、見晴らしの丘公園に向けて歩きます。

橋を渡って、

突き当りにお寺がありました。
もしかすると、昔は山全体が境内だったのかも。

お寺をお参りして塀沿いに右に進むと、登山道が見えてきました。

舗装路はあっという間に終わり、木段になりました。
ここから本番です。

細い道をまっすぐ進んで、

小石でざらついた登り坂が始まりました。

ここから急登です。
結構勾配がきついです。
しかも土が滑りやすかったです。
転倒の心配はありますが、斜面はゆるく、道の脇は盛り上がっているので、滑落の危険はありません。

これでもかと木段が続きます。

滑りやすい土の道を登って、

また延々と木段を登ります。
木段の先に開けた感じがあります。

見晴らしの丘公園に着きました。
なにげに、この木段がきつかったです。

巨大ローラー滑り台が売りとのこと。

仙元山山頂、青山城(割谷城)跡という道標があるので、それに従って歩きます。

砂利道を進み、

案内はないけど、上に行く登山道のようなところがあるので、そこに入ります。

東屋がありました。
圧倒的、山の景観。

東屋から道が続いているので進んでいくと、山頂と書かれた案内があるので、ひたすら進みます。

左側は斜面ですが、道はしっかりしているので、ちゃんと歩いていれば滑落の心配はありません。
ただ、土が滑りやすく、転倒の心配はありました。
あと、蜘蛛の巣が顔に何度もかかって、それがちょっと不快でした。

延々と同じような道が続きます。

山頂への分かれ道があるので、山頂方面に進みます。

なにげに、ここは急勾配です。

急勾配を抜けると、道標があるので、山頂方面に行きます。

延々と進みます。

急に、一部だけ木がまったく生えていない丸裸の斜面がありました。
事故防止のためかロープで通せんぼしていましたが、なんのためでしょうかね。
眺望は最高ですが、ダムの洪水吐のように結構きつい斜面なので近づくと怖そうです。

また延々と進みます。

急登が始まりました。

急勾配を登り切って、

山頂を示す道標があり、突き進みます。

仙元山山頂に着きました。
眺望はあまり良くありません。

こんな感じです。

一休みした後、青山(割谷)城跡に向かいました。

しばらく、延々と同じような道が続きます。

分かれ道に、「町指定史跡 青山(割谷)城跡」とあるので、そちらに進みます。

ここから城の領域です。

入口は信じられない急坂です。
敷石の残骸らしい痕跡がありました。
両脇は急斜面で、突き落とされたら死にます。
上から弓矢などで狙われたら逃げようがないです。

急坂を登り詰めると、その先は人工的に切り開いた崖である堀切になっていました。

切り開いた痕跡。

両側が急斜面で怖いので、堀切の全体像は撮れませんでした。

堀切の上は曲輪になっていて、曲輪の先はさらに堀切がありました。

堀切の両脇は斜面に落ち込んでいるのですが、よく見ると、一段低いところに平たい地形がありまして、防御陣地のための足場が作られていたのだと考えられます。

堀切を登ると、広々とした本曲輪がありました。

説明書き。

土塁。

空堀。

土塁。

土塁。

土塁。

土塁。

土塁や空堀の痕跡がはっきりとわかります。

土塁の上に散らばった石。
敷石の痕跡だそう。

よく見えないけど竪堀。

よく見えないけど竪堀。

竪堀の先に、曲輪がありました。

堀切跡だそう……。

木が生え放題で、何が何だかわからんです。

二の郭から木段を下りて、

二の郭の下は空堀になっています。

二の郭の先は細い尾根筋になっていました。
両脇が急斜面なので、曲輪から狙われたら逃げ場がありません。
これぞ、山城。


この先どこに行くかわからないので引き返しました。

城跡を実地調査して楽しんだ後、一休みして、下山を始めました。

帰りは、見晴らしの丘公園(巻道)というのがあったので、そちらを行きました。

延々と進むと竹林になり、道が細くなりました。
急斜面上で結構怖さがありましたが、慎重に進んで突破しました。

延々と進んで、

見晴らしの丘公園に出ました。
ここまでくれば安心です。

公園に展望台があったので、下界を眺めました。
小川町の中心地があり、右奥が金勝山、金勝山の左手前にちょっと見えているのが、たぶん官ノ倉山です。
一番奥にあるのは、秩父の山です。

登山マニアの方々は、おそらく、日本アルプスにあるような、2000m、3000m級の山に行きたがるのかもしれません。

けれども、本来、町や村に近い身近な里山にこそ、私たちの暮らしを見守っている身近な神様が住んでいるんだと思います。
地図を見ても名前すらわからない山に、由来の分からない謎の小さな神社があったりします。
そういうところに興味を向けるのが、山のありかたを知る上で大事なのかもしれません。
守り神だけでなく、祟り神が祀られている可能性もありますが。

守り神、祟り神といえば、武州鬼姫信仰の世界観においては、災いをなす祟り神のことを神とは呼ばず、神になれない日陰の存在として「妖賊」と呼んで区別しやすくしています。
古神道的な感覚において、神と妖の区別は曖昧というか、性質的にはほとんど同じものといってもいいかもしれません。
なので、武州鬼姫信仰では、「神族」と「妖賊」で善悪・明暗・表裏を区別し、災いを及ぼす妖の側を「徒党を組んで悪事を働く者」という意味を強めるために、妖族ではなく「妖賊」としています。

鬼姫狂団が提唱する新しい鬼ごっこ「鬼姫合戦」では、鬼姫軍の側に「土地神」の枠があります。
武州鬼姫信仰は、基本的には古神道的な感覚の上で成り立っているので、たくさんの土地の神様が特別出演枠で登場することが前提にあります。(東映任侠映画「兄弟仁義」でいえば、鶴田浩二や村田英雄あたりの立ち位置。大体途中で殺される)
犬だったり、猫だったり、狐だったり、狸だったり、お凜様のような鬼神様だったり、色んな神様が出てくる可能性があります。
村ひとつ仕切る神様だったり、お凜様のように、国ひとつ仕切る神様だったり、色々と。

神道(かんながらのみち)というのを、義理と人情の股旅物の世界に結び付けて打ち出したのが「鬼神童女遊侠伝」の基本路線なのです。
まだ大風呂敷を広げるまでの段階には到達できていませんが。

ちなみに、古神道的な世界+任侠という発想では、2008年~2012年にジャンプで連載されてアニメ化もした「ぬらりひょんの孫」という漫画があるのですが、「鬼神童女遊侠伝」の前身となる映像学科時代の習作課題脚本「鬼神童女」シリーズの方が歴史的には古いです。
(「ぬら孫」の方が後から創作されて有名になり、先にアニメ化されて先に打ち切りされて、気がつけば終了してた。アニメ版を少し見たけど、任侠っぽさも民俗っぽさもないただのバトル学園漫画だったし、何故か主題歌が和風な雰囲気が微塵もない変なラップだった。「ぬら孫」アニメ化の際は、自分は再受験浪人中で、「やられた」と思ったけど、思ってた世界観とだいぶ違っていた。自分は、再受験浪人しながら、江戸時代のやくざ文化や民間信仰について専門書を読み込んでいた)

民俗学の世界というのは、基本的に文書化されていない口承や実地調査の分野なので、過去を掘り下げることについては限界が来ているともいわれています。
だからこそ、これからは過去ではなく、現代の民俗を生み出すべきなのかもしれません。

ありがちなジャンプ漫画をなぞった学園バトル漫画ではなく、正統派の民話の世界として。

この峠、谷、滝、沢には、なんとなく人知を超えた存在が住んでいるかもしれない。
そういう感覚を抱きながら鬼姫山回峰行をやると、山道を踏破するのが面白くなってくるはずです。