自分が本当の地元民でないという事実と、ご当地時代劇への想い

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

今日の午前中、近所の写真館に行って、語学検定試験などに使う証明写真を作ってきました。
写真の出来上がりを待つ間、写真館で出版したという写真集を見せてもらいました。
写真集とは、写真館の先代の親父さんが撮りためた狭山市の風景ということで、戦時中などの貴重な記録写真でした。

この写真集を見ていて、自分がいかに生まれ育った地元のことを知らないのかという思いにかられました。

そう、私は、生粋の地元民の子供ではなく、東北出身者の父を持つ、あくまでもお上りさんの子供なのです。
地元に生まれ育って地元に住んでいますが、ご先祖様が地元にいたわけでもなく、地元のお祭りや言い伝えのこともまったくわかりません。
では、東北に自分のアイデンティティがあるのかといえばそんなことはなく、あくまでも自分は埼玉県民だと思っているのです。
東北なんて住んだことがないですから、方言もわからないですし、祖父母以上のルーツもまったくわかりません。
物心ついた頃には新興のニュータウンに住んでいましたから、「先祖代々の土地、先祖代々の生業」のようなものがありませんでした。
なので、「昔からの農家」「昔からの商家」というものに憧れがありました。

私が架空の民俗信仰「武州鬼姫信仰」を題材にした空想時代劇「鬼神童女遊侠伝」シリーズを立ち上げたのは、「子孫代々語り継げる何か」が欲しかったというのがあります。
よそ者の子とはいえ、埼玉に生まれ育った以上、私が見てきたものは埼玉の風景なのです。
山といえば秩父の山で、川といえば入間川で、荒野といえば広大な武蔵野なのです。
この埼玉にご先祖様はいないし、東北との縁もゆかりもなく、「よそ者としての心の故郷」が欲しかったのです。

埼玉県民は、日本一郷土愛が乏しいと言われています。
何故なら、そのほとんどが戦後に地方から移住してきた新参者であり、都内の会社に勤めるために住んでいるに過ぎないサラリーマン家庭が多いからです。
寝るためだけにベッドタウンで暮らしているので、地域との縁も何もなく、歴史も伝承もわからないのです。
何十年住んでも、本当の地元民とはかかわりのないよそ者であるという事実は否定できないのです。

私はよそ者です。
しかし、大多数の埼玉県民もよそ者です。
郷土の歴史、文化、習慣に無頓着であるということは、逆に言えば、古いしきたりにとらわれることなく、白紙の状態から新しい文化を生み出すことに強みがあります。

私は、「武州秩父の山岳信仰に結び付けた新しい昔話を作る」という目的のもと、「鬼姫山のお凜様」というご当地キャラクター(神様)を生み出しました。
これは、埼玉県入間地方から見える秩父のお山に、強く優しく美しい女の子の鬼が住んでいたら面白いかもしれないという素朴な気持ちから始まったものです。
入間地方から秩父山地までは実際にはだいぶ距離があり、狭山市民にとって山は登る対象ではなく、眺める対象なのです。
身近だけれども遠い存在としての秩父山地に、聖なるものとしての神秘性を感じざるを得なかったのです。
宗教や信仰というものを「胡散臭いもの、危険なもの」として軽んじる風潮のある現代に、新しい民俗信仰に基づく民間伝承を確立することを目指すのは、ひょっとするとその辺のカルトと同列に扱われるおそれもあります。
しかし、「先祖代々語り継がれた郷土の伝説、信仰」を持たないよそ者の子孫の寄せ集めである埼玉県民にとって、心の故郷となれる新しい民話を創造することは、文化的に意義のあることではないかと考えています。

埼玉県民はよそ者の集まりです。
転勤族も多いですし、一代限りで他県に引っ越すことも少なくありません。
そのような現状も踏まえて、「武州鬼姫信仰」は、秩父山地を神聖視し、入間地方を発祥地としつつ、日本全国に伝播することができる自由度があります。

お凜様は、北は北海道、南は沖縄、挙句の果てには異国の地まで、善良な子供たちの暮らしを守るために大活躍するのです。
秩父の山から、どこへでもひとっ飛びで駆けつけます。
その辺の適当なゆるキャラを駆逐するほどに、「メイド・イン・サイタマ」を前面に押して天下を目指すのが、武州総鎮守秩父鬼姫山三代目 花吹雪のお凜様の活躍を描く「鬼神童女遊侠伝」シリーズなのです。

よそ者の子だからこそ、埼玉県に、誰もが熱くなれる新しい伝説が欲しかったのです。

根本の世界観と原作は完成させました。
あとは、この共同幻想に乗ってくれる同志を探す努力を続けるだけです。

布教活動、これが一番大変で勇気のいる修行です。
親鸞といい、日蓮といい、歴史上、新しい何かを広める過程には無視や迫害がつきものです。
みんな、無名の一個人の熱狂から始まっているのです。

よそ者が始めた民間伝承を広めるのは、まさに体一つでぶつかっていく修行なのです。

私は生粋の地元民ではありません。
地元の歴史や風土は何もわかりません。
けれども、地元の文化を発展させたいという郷土愛だけは誰にも負けていないという確信があります。
あとは、私の志を世間様が認めるかどうかということだけなのです。

6月早々、ウイルス性胃腸炎にかかりました

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

ツイッターのつぶやきでも言及しましたが、6月早々、病に臥せりました。
ウイルス性胃腸炎だそうです。
世を忍ぶ仮の本業に従事中、昼頃からどうも体にだるさを感じ、夜に頭痛と寒気が襲ってきて、カバンに常備している体温計で熱を測ったところ、なんと38度を超えていました。
仕事中なので、常備薬を飲んでしのいだのですが、まったく熱が下がらず、体が震えるわ、ふらふらするわで、最悪な気分で帰りました。
不特定多数の人と密室に居合わせる職業なので、てっきり誰かから風邪をもらったのかと思っていたのですが、咳もなく、鼻水も鼻詰まりも喉の痛みもなく、むしろ、帰宅後にピーピーの水下痢が止まらなくなりました。
結果的に、風邪ではなく、ウイルス性胃腸炎が原因と分かりました。
食中毒ですよ、食中毒。
仕事柄、外食が多い生活なので、どこで食中毒をもらってきても不思議ではありません。
どこでもらってきたのかは判明しないので、泣き寝入りで安静にするしかないのですが、さすがに38度以上の高熱はきついです。
とにかく寝込むしかないです。
3日経ち、点滴と飲み薬で熱は治まりましたが、下痢はまだまだゆるゆるです。
人間は食べなければ生きていけないのに、食べたことで病気になるという、なんという理不尽な世の中なのでしょう。
ここ数日、流動食で、おかゆと具なし野菜スープしか食べていません。
肉や魚を食べたいという欲求が湧き出てきますが、下痢が治まるまでは我慢です。
しかし、どうせなら、このまま粗食を続けて余計なぜい肉を消化し、ダイエットしたいところです。

参考資料用にホラー映画のDVDをまとめ買いしました

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

ものすごく久しぶり(数年ぶり)に、参考資料用に映画のDVDをまとめ買いしました。

単純に映画を見るだけであれば、しばらく節約のためにレンタルDVDで済ませていたのですが、どうしても手元に置きたい映画もあるので、奮発しました。

「鬼神童女遊侠伝」シリーズの残酷描写に活かしたいと思ったので、今回はスプラッタホラー映画を中心にまとめ買いです。

「13日の金曜日」シリーズのPART3~PART8(ジェイソンはホラーの原点。中学時代に全部見た。1,2は高校時代に買ってもう持っている。9は配給会社が違い、廉価版がないので保留)

「エルム街の悪夢」シリーズのPART1~PART7(実はまだ見ていない)

ウェス・クレイヴンの「サランドラ」

「ローズマリー」

「血のバレンタイン」

「地獄のモーテル」

「悪魔の凶暴パニック」

「ゾンビ ディレクターズ・カット版」(中学時代にレンタルで見たのみ)

「悪魔のいけにえ」(中学時代にレンタルで見たのみ)

スプラッターの始祖 ハーシェル・ゴードン・ルイスの「血の祝祭日」(長らく絶版だった)

スピルバーグのカーチェイスホラー「激突!」

 

生産終了のために新品で手に入らない映画も多いので、中古をうまく使って価格を安く抑えつつ、映画史的に重要な名作映画とカルト映画をかき集めました。

「サランドラ」「ローズマリー」「血のバレンタイン」「地獄のモーテル」「悪魔の凶暴パニック」あたり、いつの間にDVD化されていたのでしょうか。
高校時代からの愛読書「新映画宝庫 スプラッターカーニバル 悪夢映画流血編」で記事を読んで以来、ずっと手元に欲しくて仕方がなかったのですよ。

星の数ほど映画がある中で、手元に置ける作品には限度があるので、目利きは重要です。

 

安い買い物ではないので、買った映画を何度も見て研究し、自分の作品に活かしていきます。

「鬼神童女遊侠伝」は、この手の血の気の多い映画ばかりむさぼってきた奴が描くおとぎ話なので、間違っても夏休みの推薦課題図書のような優等生的世界にはなり得ませんよ。

完全にB級映画のノリです。

原作絵本「鬼神童女遊侠伝/わらべを喰らう猫女」(仮)の構想がようやく決定したので、これから本分執筆段階に入ります。
絵本とはいえ、アクションシーンやグロシーンでやや文章量を多くしたいので、絵物語に近い体裁になると思います。

 

ブログの収益化を真剣に模索しています

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

最近、ブログ集客とブログ収益化を真剣に模索しています。
ただの個人的な日記や活動報告だけでは、訪問者に対して有益な情報を提供できませんので、なかなか成果には結びつきません。
なので、もう少し情報媒体として価値を向上させる必要があります。

とはいえ、何も下地のない分野について情報提供などできませんので、少しでも強みを持っている分野でやっていくことになります。

私が下地にできるのは、映画、漫画、創作論と創作技法、宗教、民俗、歴史、心理、語学の基礎、法律の基礎、ホームページ運営、旅行(神社仏閣、城、温泉)あたりでしょうか。

いずれも、その筋では一定の需要がある分野なので、ここで有益な情報提供を試していくのが妥当かもしれません。

とりあえず、今は「落ちこぼれから始める外国語」シリーズを始めましたので、そこから英検教材などの広告収入を得られればと淡い期待をしています。

アフィリエイトで不労所得が入るようになれれば、鬼姫狂総本部の資金源として助けになりますし、心に余裕が持てるようになります。

Mixi日記時代から日記を書く習慣はありますので、文章作成にはまったく苦もありません。
というよりも、内向型ゆえに物書きの癖がついているので、これを収益化のためには武器にするしかありません。

文章力の向上と、情報発信力の向上のためにも、これから、ブログアフィリエイトを真面目に試していきます。

ブログアフィリエイトだけで生活できている人、本当にいるそうですから。

マキャベリとマルクスに手を出してみる

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

本屋でマキャベリの「君主論」(岩波文庫)とマルクスの「賃労働と資本」(岩波文庫)を買ってきました。

高校倫理でセンター試験を受験したときからマキャベリとマルクスの名前は既知なのですが、実は全然原著を読んだことがありませんでした。
難しいし、分厚いしで。

芸術学部出身で、教養としては宗教学や民俗学を中心に掘り下げてきたので、哲学や経済学、社会学はほとんど未知の領域です。
まあ、学部生の基礎講義のレポート程度のレベルで止まっているので、本質的な部分で統治や市場について追及されると、穴だらけでしかありません。
なので、一番の根本に触れようと思い、食わず嫌いせずに読んでみようと思いました。
マルクスの「資本論」は分厚い複数巻構成なので、私には早いと思い、まだお預けです。

鈴木大拙の「日本的霊性」やルドルフ・シュタイナーの「神智学」で挫折しまくった経験があるので、どうしても読みやすい万人向けの新書に手が出てしまう癖がついています。

未だにデカルトもカントもヘーゲルも読んでいないので、これはまずいなと、ちまちまと読んでいきます。

学問ってのは、大学の講義だと眠いだけでくそつまらないのに、自分で本を読み漁るとやたらと面白くなる。
心理学だって、在籍中は難しすぎて眠くてつまらなくてダメだったのに、卒業して単位目的の義務でなくなった瞬間、かえって興味が出てきました。
この現象はなんなんでしょうね。

 

まあ、だからといって、また心理学で大学院に進みたいかといえば、そうでもないという。
心理学は学部レベルは本当に入り口でしかなく、研究も実践も難しいので、単純についていけなさそうなので。
しかも、臨床心理士の試験に合格したからといって職が保証されるわけでもないですし、「心」の時代と言われてカウンセラーになりたがる人も増えたので、限られたパイの奪い合いの過当競争になるでしょう。

難関資格で一発逆転! という大卒ニートは多いですが、資格商売はもう食えないと言われています。
弁護士、司法書士、行政書士、会計士、税理士、医者、歯医者、みんな高学歴なのに食えないという。
「将来は医者か弁護士か」などと言われ、無理してでも医学部や法学部に進んでみたら、開業したところで、同業者ばかりで客の取り合いだそうです。
町中を見渡すと、本当に病院と法律事務所ばかりですからね。
医者、歯医者なんて、ボランティア同然の無給仕事も多いそうです。(実話)

心理学科時代に行政書士の勉強を二年していましたが、二回とも落ちたし、資格を取っても割に合わなそうなのでやめました。
知的財産権絡みで弁理士の勉強も手を出しましたが、短答試験の受験レベルにすらいかないので二年でやめました。

公務員試験崩れ、文系大学院崩れのニートも多いですが、努力したのに報われないというこの世の皮肉ですね。

学問を修めても道は保証されていませんし、資格を取っても道は保証されていません。

だからと言って勉強しなくて良いのかといえば、それは違うわけで。
学ぶ意思がなければ、開ける道も開けないわけで。

直接お金につながらなくても、やはり興味を持った本を読んで学ぶ習慣は大切なのではないかと思っています。

一本筋の通った哲学を持てる人でないと、これからの時代はやっぱり駄目だな、と。

まだまだ、私はぶれぶれですけど。