絶対に見るべき映画13「用心棒」

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

 

絶対に見るべき映画第13弾は、「用心棒」(1961年)です。

 

今更私ごときが語るべくもない、巨匠黒澤明監督、三船敏郎主演の傑作時代劇です。

とにかく、三船敏郎と、悪役の仲代達也が、ひたすらかっこよすぎます。

 

内容は、空っ風吹き荒れる上州の宿場町にふらりとやってきた凄腕の浪人が、勢力争いをしている二つのやくざ一家に対して用心棒として売り込みつつ見限るのを繰り返して渡り歩き、巧妙に共倒れをさせていくというものです。

 

この「用心棒」は、私が初めて見た黒沢映画で、一番繰り返し見ている殿堂入り映画です。

いわば、私にとっての時代劇の教科書です。

 

最初に「用心棒」を見たのは、映像学科3年生の「シナリオ演習」の講義でした。

たぶん、私の世代やさらに若い世代なら同じだと思いますが、昔の白黒映画には「古い」というだけで抵抗があり、普段の生活では見ることがなかなかないでしょう。

ましてや、黒澤明という巨匠の映画なので、「巨匠」というだけで変な先入観があり、小難しい退屈な映画なのではないかと思い込んでしまいやすいのではないでしょうか。

私はそうでした。
完全に食わず嫌いでした。

 

大学の授業の中で「用心棒」がプロジェクターを通して大映しされてみると、今までの認識がいかに無知なものであったのかと、その衝撃に打ちのめされました。

 

まず、冒頭からしてかっこいい。

山を背景に歩いていく三船敏郎の後ろ姿がどアップで映り、そこに画面の横幅一杯にドーンと「用心棒」の題字が出て、主題曲が流れだし、タイトルロールが始まります。

単に歩いているだけなのに、それだけですでに映画の世界に引き込まれている自分がいます。

 

そして、舞台となる宿場町が、まるで西部劇の町のように広々としていて、とても日本の街道筋の宿場町には見えません。

大画面で見るために設計されたスケール感のあるオープンセットに圧巻です。

 

水を飲みに立ち寄った農家のオヤジ、町の状況を聞き出した飯屋のオヤジ、棺桶屋のオヤジ、お調子者の十手持ちと、話に絡んでくる面々がいちいちキャラ立ちしていて、会話場面がまったく飽きません。

状況説明役の飯屋のオヤジ(東野英治郎「平成水戸黄門」)がしゃべっているのを見ているだけで楽しい映画なんて、そうそうないです。

 

なんといっても、危なさ満点のならず者の面々の強烈な印象です。

怪力の巨人がいるは、頭が弱い暴れん坊の太っちょがいるは、ふんどし一丁のひげ面がいるはで、見ているだけで「斬りたくなる」人々ばかりです。

 

そうこうしているうちに、浪人の凄腕の剣が、ならず者をバッタバッタとなぎ倒します。

かっこいい!

 

そこに、スカーフを巻いてリボルバー拳銃を持った横浜帰りの仲代達也が現れます。

時代劇なのにリボルバー拳銃です。

考証無視で、かっこよさ重視です。

横浜帰りということにしておけば、舶来の銃を持っていても説明がつきます。

 

三船敏郎の剣術と仲代達也の拳銃の対決が、宿場町のど真ん中で展開されます。

 

そう、この「用心棒」は、日本の時代劇という体裁をとっていますが、ジョン・フォードなどのアメリカの西部劇を相当に参考にしているのです。
だから、リボルバー拳銃との対決がクライマックスなのですね。

 

「荒野の用心棒」など、「用心棒」の公開後、黒沢映画を参考にして(パクって)作られた外国の西部劇が賛否を巻き起こしますが、「用心棒」そのものが西部劇を下敷きにしたものであって、もともと時代劇は西部劇と相性が良かったのです。

 

私は、この映画をきっかけに昔の日本映画の魅力に取り憑かれ、素浪人映画と任侠映画を中心にむさぼるように日本映画を見るようになりました。

 

この、昔の日本を描いているように見えて、実は日本風の無国籍な架空の町での戦いを描くという「用心棒」の手法は、私の「鬼神童女遊侠伝」シリーズの世界観に多大な影響を与えています。

 

心理学科時代、所属していた人形劇団の後輩で、役者志望で養成所に通っていたのがいたのですが、役者志望でありながら名作映画の観賞経験があまりにも乏しくて、映画史に残るスター俳優をまったく知らなくて、ちょっと不安に思っていました。
後輩には「子連れ狼」や「眠狂四郎」の題名が通じなかったので、たぶん「用心棒」も通じなかったと思います。

 

後輩いわく、「アッキーさんはレベルが高すぎるんですよ」だそうです。
脚本創作や映像制作を志した者が古今東西の先行研究するのは当たり前すぎるんですけどね。
映画は小さい頃から好きで見ているだけなのですが。

 

「用心棒」は、悪党の巣食う町に強いよそ者がやってきて壊滅させる物語のお手本です。

「現れて、去っていく英雄」のお話を描きたいならば、今すぐにでも見ることをおすすめします。

【予告編】

【DVD・Blu-ray】

絶対に見るべき映画12 「嵐を呼ぶドラゴン」

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

絶対に見るべき映画シリーズ第12弾は、「嵐を呼ぶドラゴン」(1974年)です。

「嵐を呼ぶドラゴン」は、かつてアジア最大の映画会社となった香港のショウブラザーズが送り出したカンフー映画の傑作です。

監督は、ジョン・ウーの師匠といわれている70年代の巨匠チャン・チェ。
主演は、チェン・クァンタイとアレクサンダー・フー・シェン。

内容は、少林寺焼き討ちにまつわる少林寺の志士たちによる反清復明運動を背景にした、典型的な清朝討伐ものです。

現在の中国を支配している漢民族から見て、満州女真族系の清朝は侵略者であり、辮髪の強制など、冷遇と屈辱を受けた憎き敵でした。

そのため、カンフー映画では、清は無条件に悪役であることが多く、反清復明を掲げて清朝の悪徳役人から民衆を救う漢民族の英雄を描いたものが数多く作られることになりました。

ハリウッド映画におけるナチスドイツ、韓国映画における日本軍のようなものですね。

この映画は、第一次浪人時代に、予備校帰りに池袋西武のCD・DVDショップ「WAVE」で初めて買ったショウブラザーズ映画で、思い出深い殿堂入り映画のひとつです。

この映画のことを初めて知ったのは、高校時代に買った「別冊映画秘宝 ブルース・リーと101匹ドラゴン大行進」というカンフー・マーシャルアーツ映画特集本での記事を見たことがきっかけです。

当時、カンフー映画に熱中し始めていまして、この本をきっかけに、ジャッキー・チェンやブルース・リーよりも前に活躍していたジミー・ウォングなどのクラシックカンフースターに興味がわき、ショウブラザーズ映画を見たくて見たくて仕方がありませんでした。

しかし、ショウブラザーズ映画は日本に入ってきていなかったので、レンタルビデオ屋にまったく置いていなかったのです。

そんなある日、ハリウッドのオタク監督クエンティン・タランティーノの「キル・ビル」が公開された影響で、タランティーノが愛してやまない70年代カンフー映画がキングレコードから怒涛のようにリリースされ始めまして、遂に念願のショウブラザーズ映画が解禁されたのです。

そこで、真っ先に発売されたのが、この「嵐を呼ぶドラゴン」でして、予備校帰りに見つけ次第、即購入したのです。

結果、大満足の殿堂入りです。

冒頭の演武シーンから、最後の大乱闘まで、すべてがかっこいい。

テーマ曲が10年以上たった今でも頭に鳴り響きます。
あまりにテーマ曲が好きだったので、予告編から吸い出して、映像学科時代の課題作品のBGMに流用してしまいました。

日本でもっとも有名なジャッキー・チェンのアクションと違い、「嵐を呼ぶドラゴン」をはじめとするショウブラザーズ映画のアクションは意外と地味で、回し蹴りなどの派手な足技が少なく、手技の攻防が中心であって、コメディタッチもないシリアス路線でもあり、最初に見たときは同じ香港映画とは思えないくらいの新鮮さを感じました。

香港のカンフー映画というと、「なんだ、ジャッチェンか」と父親から馬鹿にされるくらい、世間的には子供だましのコメディアクションという印象が強かったので、ショウブラザーズ映画のシリアス路線には衝撃を受けました。

今では、完全にショウブラザーズ映画に感化されまして、シリアスカンフーの方がむしろ正統派なのだと考えています。

で、この映画の主人公の方世玉(ファン・シーユイ)と洪熙官(ホン・シークァン)は、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」シリーズで有名な実在の武術家黄飛鴻(ウォン・フェイフォン)と並んで、何度も映画化されている伝説の英雄扱いなのですが、実際は架空の人物なのだそうです。

西洋でいうアーサー王、日本でいう猿飛佐助のようなものでしょうか。

私は、学生時代を通してうんざりするほどこの映画の格闘シーンを繰り返し見ていまして、「鬼神童女遊侠伝」シリーズの格闘演出の目指すべき境地としています。

ブルース・リーよりも何よりも、私にとっての教科書映画は「嵐を呼ぶドラゴン」なのです。

ラストの迫力の大乱闘シーンに匹敵するアクションを自らの手で成し遂げるのが、カンフーマニアとしての夢です。

【予告編】

【DVD・blu-ray】


絶対に見るべき映画11「緋牡丹博徒」

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

絶対に見るべき映画シリーズ第11弾は「緋牡丹博徒」(1968年)です。

 

「緋牡丹博徒」は、東映任侠路線全盛期に公開された、任侠映画の最高峰とも聞こえ高い、藤純子主演の女侠客ものの代表シリーズです。

一作目の内容は、かつて辻斬りに遭って父を殺害された九州熊本矢野一家の一人娘矢野竜子が、緋牡丹の刺青を入れて「矢野一家二代目緋牡丹お竜」を名乗り、仇を求めて賭場を渡り歩き、大阪のとある一家の対立抗争の相手が仇だと確信し、ついに復讐を果たす、というお話です。

 

任侠映画といえば、高倉健の「昭和残侠伝」、「日本侠客伝」、「網走番外地」、鶴田浩二の「博奕打ち」、北島三郎の「兄弟仁義」、菅原文太の「関東テキヤ一家」などのシリーズが有名ですが、任侠映画の頂点は藤純子の「緋牡丹博徒」とされています。

 

いかにも武骨で強そう(怒らせたら怖そう)なおっさんたちによる任侠映画は、どれだけ派手な殴り込みをしても「敵を皆殺しにして当然だよね」という、見た目の説得力があるため、要は当たり前な展開となります。

 

その一方、藤純子の「緋牡丹博徒」は、美しい女性が着物姿で小太刀を振り回し勇猛果敢に敵を倒していく様子が意外性を演出し、活劇を引き立てているのです。

 

強く優しく美しい女性が武器を取って戦う姿を見てときめかない男はいないでしょう。

萌えアニメなどが一切なかった銀幕時代の、「元祖萌えキャラクター」ともいえるのが、藤純子扮する「緋牡丹お竜」なのです。
現代でいうところの、「ギャップ萌え」ですね。

今でこそご高齢になってしまった藤純子ですが、当時22歳ということで、とにかくお美しいです。
こりゃあ、面白くないわけがないですよ。

 

脇を固めるのは、お竜さんがほのかな恋心を抱く二枚目役に高倉健、ひょんなことから舎弟になった待田京介、お竜にべた惚れな兄貴分に若山富三郎、お竜の少女時代からのお世話役に山本麟一、悪役に大木実と、当時の東映ではおなじみの豪華な顔ぶれです。

 

私が任侠映画に魅了され始めたのは、映像学科時代の3~4年生の頃です。

映像表現研究室に所属して、映画理論や脚本創作を専攻し、日本の名作映画を真剣に見始めた時期です。

映像学科1~2年の頃は、どちらかといえば香港のカンフー映画とイタリアの西部劇に傾倒していて、まだ日本映画はあまり見ていませんでした。

しかし、3年のシナリオ演習の中で黒澤明の「用心棒」を見たことで、どっぷりと昔の日本映画の面白さにはまり込み、抜け出せなくなりました。

「昔の日本映画ってこんなに面白かったんだ!」と、驚きの連続でした。

それで、片っ端から名作の任侠映画を見るようになりました。

 

最初はレンタルで済ましていたのですが、ちょうど東映がスペシャルプライスセールをしていたので、HMVのマルチバイ23%オフセールの合わせ技を狙って、超割引価格でまとめ買いを繰り返し、全部揃えてしまいました。

結果、私の大切な財産となっています。

 

ただ、映像学科時代、勉強のために古い名作映画ばかり見るようになったのですが、そうなると、だんだん独自の路線に行き過ぎて、他の人と映画談義ができなくなってしまいました。

普通の人は、古い映画なんて知らないので。

 

映像学科時代、同じ大学の芸術学部写真学科と工学部に高校時代の友人がいて遊び仲間だったのですが、もう話が通じなくなってしまいましたね。

写真学科の友人は生粋のアニメオタクで、私をオタクの世界に半分引き込んだ張本人なので、仲は良かったのですが、もともと特撮以外の映画をあまり見ないので話が通じにくかったです。
(オタクって、普通のアクション映画はあまり見ないのに、なぜか特撮だけは詳しかったりするのです)

工学部の友人は、もともと映画友達だったのですが、大学で非リア充のぼっちになったり病んだりする中で、いつの間にか濃いアニオタになっていて、映画の話が通じなくなっていました。

私は、絵を描くのが好きなので創作の手段としては二次元を志向しましたが、生粋の映画マニアであってアニオタではなかったので、実はこの友人との付き合いで、趣味が通じにくくなっていました。

 

鬼姫狂総本部の根幹が二次元美少女への興味なので、私が濃いアニメオタクのような印象を持つと思いますが、私は友人との付き合いで影響を受けていただけで、アニメオタクでもなんでもないのです。

 

高校までは漫画家に憧れてノートに漫画も描いていたのですが、絵と漫画が好きなだけで、オタクだと意識したことはなかったです。

やっぱり、根はずっと映画少年でした。

 

この「緋牡丹博徒」は、ものすごく好きな映画で、映像表現研究室の3年次の最終課題として任侠映画風現代劇「鬼神童女」を書いたきっかけになっています。

作中に出てくる露天商の若姐さんが、完全に藤純子をイメージしたものになっています。

恥ずかしながら、自己陶酔的な男主人公が出てきて、お凜様といい仲になりかけていますが、気分は高倉健や鶴田浩二になっていました。

中二病引きずり真っ只中なので、ラノベ主人公のごとき青臭い恋愛要素が入るのは仕方のないことです。

お凜様は理想のヒロインですから!

 

習作脚本「鬼神童女」シリーズを書いた時、研究室の中で私だけが美少女活劇をやっていたので、ものすごく浮いていてとても恥ずかしかったです。

理解者は、北海道出身の唯一の友人だけでした。
ゼミの先生は「俺、年食ってて萌えとかわからないから、なんてコメントしたらいいかわからない……」と苦笑してました。

もてないし、男兄弟で母親以外の異性と接点なかったし、完全に脳内妄想としての女の子を描いているので、女子学生が遠い目をしていました。

しかし、当時の私は、とにかく「かわいいんだ! これが娯楽なんだ! 見る者の心が癒されるんだ!」という一心で描いていました。

けれども、私の中高時代はオタク差別がひどくて迫害の対象だったので、ヒロインアクションが好きで描きたいものなのに、どこか、ためらいのような気持ちもあり、笑い者になるのが怖くておどおどしていました。

 

 

けれども、よくよく考えると、我々が萌えな二次元美少女に恋焦がれる感性は、当時、銀幕の女優に恋焦がれた感性とほとんど同じなのではないでしょうか。

 

 

二次元美少女はこの世に実在しませんが、銀幕の女優も日常生活ではまずお会いできない高嶺の花なのですから、まさしく偶像【アイドル】だったのですよ。

 

なので、藤純子の「緋牡丹博徒」を見ないままヒロインアクションを語るのは言語道断であって、「鬼神童女遊侠伝」の正式なルーツとして、紹介せずにはいられないのです。

 

自主映画がやれなくて、孤独に課題脚本「鬼神童女」シリーズを書き続けていたあの頃、「緋牡丹博徒」を見て、どれだけ癒されていたことか……。

【予告編】

【DVD】

絶対に見るべき映画10「片腕ドラゴン」

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

絶対に見るべき映画シリーズ第10弾は「片腕ドラゴン」(1971年)です。

 

「片腕ドラゴン」は、ブルース・リー登場以前の香港映画の大スター、天皇巨星ことジミー・ウォング主演のカンフー映画です。

カンフー映画を語る上で、香港の大物ジミーさんの存在を無視することはできません。

 

「片腕ドラゴン」は、ジミーさん自らのショウブラザーズでの出世作「片腕必殺剣」のアイディアをカンフー映画に置き換えたものです。

この映画、ただのカンフー映画ではありません。

日本の名作ゲーム「ストリートファイター」シリーズに直接的な影響を与えたともいわれる、奇人変人だらけの異種格闘技戦が繰り広げられるゲテモノカンフー映画として、カンフーマニアの間では語り草になっています。

 

「鬼神童女遊侠伝」シリーズも、ジミーさんのゲテモノ魂が込められています。

 

内容は、とある武術流派の対立抗争の中で右手を切り落とされてしまった主人公ティエン・ロンが、秘術によって左手を岩をも砕く必殺の拳に鍛え上げ、復讐を果たすというお話です。

 

物語そのものは、どこにでもあるカンフー映画と同じ復讐ものです。

 

しかし、この対立抗争の中で登場するアジア各国から呼ばれた凄腕の格闘家が、色々とおかしいのです。

 

栓抜きを使わずにビール瓶の先を歯で食いちぎる韓国テコンドーの達人!
常に二人がかりで攻め立てるムエタイの達人!

風船のように体が膨らむチベットのラマ層!

逆立ちで歩き回るインドのヨガの達人!

牙の生えた沖縄の空手家!(牙を使うわけでもない)

 

本業の人脈(実はヤクザの顔役!)を活かしてゲテモノ映画ばかり制作してきたジミーさんの本領発揮は、このいい加減な、なんでもありな演出にあります。

 

70年代のカンフー映画なので、道場破りでの延々と続くカンフー場面がだれるところもあるのですが、逆に言えば、見せるべきもの(客が見たいもの)はうんざりするぐらいに徹底的に見せるという、世界一娯楽度の追及にシビアな香港映画の魅力と魔力がここに凝縮しているのです。

 

 

私がこの映画を見たのは、映像学科時代にジミー映画のDVDラッシュが始まったときです。
クエインティン・タランティーノのオタク映画「キル・ビル」のヒットの影響で、タランティーノが愛している70年代カンフー映画のDVDが矢継ぎ早に日本で発売されまして、その流れでカンフー大好きな私は片っ端から買い集めたのです。

キングレコードの「ショウブラザーズスタジオ黄金のシネマシリーズ」と「ゴールデンハーベストクラシック20」は、参考文献として、今でも私の財産です。

その中の一本が、「片腕ドラゴン」です。

映像学科時代のお小遣いのかなりの金額がDVDに化けましたが、悔いはないです。

 

かつて、一人暮らしなのにゲーセンに月3万つぎ込んでいると豪語した漫画家志望の高卒フリーターで中学の同級生の友人がいましたが、どちらが賢明なお金の使い方なのだろうかと、いまだに疑問に思っています。
「オタクたるもの博学でなければならない」と言うなら、専門書や先行作品を買い集めたり、取材旅行の費用に積み立てるのが優先だと思いますが……。
月3万あれば、年36万円も自由に使えるお金があるということですから。

親には大学に行けと言われていたのを、土下座して泣いて「大学行きたくありません。漫画家になりたいです」と、猛反対を押し切って高卒で小池一夫の漫画塾に行ったそうです。

私塾なので専門卒にもなりません。
とりあえず大学に進んで勉強しながら漫画を描き続けるという道もあったでしょう。
たぶん、彼の親もそれを望んだのではないでしょうか。
やはり、漫画家志望、ラノベ作家志望でよくある目の前の受験勉強逃れの口実だったのではないでしょうか。

「オタクたるもの博学でなければならない」という言葉と矛盾していますよね。
大学でテーマを掘り下げた上で、その実践として漫画を描けばいいのに。
今は何してるんでしょうね。
付き合いがなくなったのでわかりませんが、いまだに同人界隈の片隅で巨乳獣人エロをやっているんでしょうか。
彼には彼の人生があるので、一生獣人エロのキワモノで貫けばいいと思いますが。

自分の子供や孫に、「自分の作品だ!」と、胸を張って見せられますかね?

私は、子供や孫に語り継げる世界を創造したいです。

 

「時代劇が描けないなら現代にすればいい、女主人公が描けないなら男にすればいいだけの話じゃないか。何を悩む必要がある頑固ロリコンめ。お前さんのやっていることは何の価値もない、ただのオナニーであることに気付け。高卒フリーターの俺から言わせれば、親から学費を出してもらって勉強して楽して夢を叶えようなんてなめてる。高卒がどれだけ差別されて苦労するか知らないだろう。大卒というだけで優遇される。所詮世の中学歴社会なんだよ」

今なら、そっくりそのまま言い返してやりたいですよ。

じゃあ、大学行けばよかったじゃん、と。
そこまで言えるなら、働きながら通信課程でも行って大卒になればいいのに。
通信課程で大学に行く人、世の中たくさんいますよ。

こちとら、卒業研究で真剣にテーマと向き合っているだけですからね。

普通の現役大学生って、自費で行ってないですよね。
あの時の友人の上から目線のミクシィでの書き込みは、ほとんどの現役大学生を敵に回す発言なのですよ。

ちなみに、明治学院の心理学科でお世話になったある先生は、大学再受験の経験者でした。
「新卒で就職して営業をやったけど、3年で嫌気がさして退職した。それで、人の心に興味を持って、親に頭を下げてお金を出してもらって、学部1年から再受験して博士まで行って、今大学教員やってる」と。
たぶん、就職して相当嫌なことがあったんでしょうね。
一度就職しているという違いはあっても、通学制での学部再受験って横並び社会の日本だとかなり浮きますから、決断するまでにかなり悩んだと思いますよ。
私は心理学科を出てから就職しましたけど、4年目に入ったので、先生が再受験を決意した時と実質的な就業年数は並びましたね。

世の中、こういう遠回りな再受験組の大学教授もいるのがわかったので、再受験の私は心が軽くなりました。
落ちこぼれでしたけど。

時代劇とヒロインものは私の大学での研究テーマですからね、テーマから逸脱したらもはや卒業研究ではなくなりますから。
動力機械工学専攻の学生が突然微生物学で論文なんて書かないでしょう。

本気で研究している学生なら、自分のテーマのために死に物狂いになって論文を書くでしょう。
何よりも優先して研究資料を集めるでしょう。
それと同じなのですよ。
大学に行ってない人に自分の研究テーマを侮られてオナニー呼ばわりされて怒らない人なんていないでしょう。
卒業研究って、教科書も何もないですからね。
大学の勉強が「楽」って、どういう基準でしょう。

なんとなく大学に行って、ついていけなくてドロップアウトする人、たくさんいますよ。

それでも、大学受験をし、単位を取り、卒業した点で、優劣はあれどひとつの壁を突破した人たちです。
費やしている時間と投資額が違うのですよ。

だから、元を取るべく、何とかして結果を出さなくちゃいけないのですよ。

 

学生時代に学んだこと、全部、鬼姫狂総本部の活動にいかしてますからね。

 

 

大学に行けという親の意見を蹴ってまで受験逃れで高卒フリーターになって、行き着いたのが獣人エロ。
一度彼のアパートに遊びに行ったことがありますけど、参考文献らしいもの、まったく置いてなかったですよ。
文化人類学の関連書くらいは積み重なっているくらいでないと、対外的には「獣人専門家」とは認められません。
オナニーなのはどちらでしょうか。

 

勉強のための資料にお金をかけない人って、まず成功する人はいないと言われています。
理由は、自己投資すら習慣化できていないからだそうです。
図書館やレンタルDVD、ウィキペディアなどのネットの無料記事に頼りきりな人は貧乏性が染みついており、大きい投資ができないそうです。
だから、結果的にチマチマとしたことしかやれないのだとか。

 

私は、結果的に学問としての民俗学の道に進むことはできなかったため、関連書籍を自分でせっせと買い集めて、自主的に知識補充をしています。
日程の都合で一度も総会に出たことがないにせよ「世界鬼学会」にも加盟していますし、鬼女紅葉伝説の残る信州戸隠鬼無里の実地訪問もしています。

鬼姫狂総本部は、本当に「鬼屋」として専門業者になりたいのですよ。

そのためなら、どんな先行投資でもします。

 

10年くらい前に書かれたことをいつまで根に持っているんだよ、と思う人もいるでしょう。
でも、あれほど悔しい気持ちになったことって、ないですから。
何が何でも一旗揚げてやると心に決めた瞬間でした。
今の私の原動力になっています。

 

 

 

話はずれましたが、「片腕ドラゴン」は、映像学科時代に、目先の遊びへの欲を抑えて決死の思いで買い集めた映像資料のうちの一つです。

映像学科を卒業して8年経った今でも、学生時代の蓄積として棚に保管されています。

 

「片腕ドラゴン」のノリは、私の「鬼神童女遊侠伝」シリーズに継承されています。

まだまだ無名でなかなか注目されず、売れないのが悩みですが、人知れず法律上の権利を掌握し、自分が主導権を握るための独占市場を確立する野心に向けて、水面下で着実に基礎工事を続けています。

 

ジミーさんがゲテモノ映画の制作で実業家として成功したのと同じく、私も「鬼神童女遊侠伝」シリーズで専門ジャンルを築き上げることを10年来の大志としています。

 

「片腕ドラゴン」を見れば、批評家に無視され、賞レースから逸脱するようなゲテモノ企画でも成功できるという確信を得られ、勇気が出てきます。

ジミー映画は、日本に入ってないものを含めると、本当にゲテモノばかりですからね。
でも、ゲテモノばかりやってもポルノには手を出さないというのが、ジミーさん(本業ヤクザ)の娯楽としての信念を感じます。
ポルノに手を出したら、子供に見せられないですから。
ゲテモノかもしれないけど、全年齢で誰でも楽しめる、それが本当の娯楽です。

 

学生時代のエピソードがはさまりましたが、「片腕ドラゴン」を見たことがない人は、ぜひ見ることをおすすめします。

 

【予告編】

【DVD&BD】

絶対に見るべき映画9「サンゲリア」

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

絶対に見るべき映画シリーズ第9弾は「サンゲリア」(1979年)です。

 

「サンゲリア」は、70年代から80年代の空前のゾンビ・ホラー映画ブームの中で公開されたゾンビ映画のひとつで、イタリアンホラー界の巨匠ルチオ・フルチの代表作です。

ウジやミミズが這い回る、とにかく汚い腐乱ゾンビが象徴的です。

 

内容は、カリブ海のとある島で、死者が蘇って生者を貪り食い、噛まれた生者も人食いの屍となるという恐るべき現象が発生しまして、島の診療所で研究を続けるメナード医師と、そこに居合わせた新聞記者ら数名が、次々と生ける屍に追い詰められていくというお話です。

 

「サンゲリア」の内容そのものはよくあるゾンビものなのですが、そのゾンビの中に、やたらと個性を主張してくる、一度見たら忘れないやつが混じっております。

 

冒頭、ニューヨーク湾で漂流するクルーザーに警官が踏み込んだところ、やたらと太った巨漢のハゲゾンビが襲いかかります。

このハゲゾンビ、そのインパクトがあまりに大きかったのか、ポスターやビデオジャケットにも大写しで描かれていたりします。

 

中盤、カリブ海のきれいな海で、褐色肌の女性がトップレスにTバックというエロい格好でダイビングを始めたところ、サメが襲いかかってきます。

冷めに驚いたのも束の間、サメを狙って海中ゾンビが現れて、サメと取っ組み合った末にサメに食らいつきます。

女性は慌てて海中から船に上がりますが、本筋とまったく関係なく、素潜りでサメと格闘する海中ゾンビの活躍に大興奮です。

 

中盤、何を血迷ったのか、朽ちた古い墓地の中で唐突にいちゃつき始めた主人公の新聞記者の前に、例の腐乱ゾンビがご尊顔を披露します。

この腐乱ゾンビが「サンゲリア」の象徴としてポスターやビデオパッケージになっているのですが、ウジやミミズがヌルヌルモゾモゾとうごめいていて、気持ち悪いったらありゃしない。

 

そうこうしているうちに診療所に立て籠もっての籠城戦になり、即席の火炎瓶とわずかな弾数の拳銃とスコップなどの適当な道具を武器に、人々はゾンビに立ち向かいます。

しかし、一人、また一人とゾンビの餌食となり、主人公の新聞記者とわずかな生き残りだけが船で脱出します。

 

命からがら脱出して沖に出たところ、ゾンビに噛まれて負傷した一人がゾンビ化してしまい……。

 

一方、ニューヨークでは、巨体のハゲゾンビに殺された警官からゾンビの増殖が始まり、ゾンビだらけになっていました。

 

「サンゲリア」は、よくあるゾンビ映画の基本フォーマットが如実に現れています。

 

  • 謎の奇病によって死体が蘇って人を食い始めてさあ大変。
  • 孤島や山荘やキャンプ場に複数の人々が居合わせており、そこにゾンビが襲いかかる。
  • ゾンビはのそのそと歩くだけなので、遠くまで走って逃げれば無事なはずなのに、なぜか籠城したがる。
  • 案の定、ゾンビに取り囲まれて門や窓を突破され、一人ずつ食い殺されていく。
  • わずかな人々が脱出して生き残るが、すでにゾンビ化現象が蔓延していて……。

 

だいたい、ゾンビ映画のパターンはこんな感じですね。

下手に籠城するからゾンビに食われるのに、みんな籠城したがるのがゾンビ映画です。

主人公たちを閉鎖空間に追い詰めないと、脚本が描けないからなんですけどね。

 

この「サンゲリア」をDVDで買ったのは高校時代なのですが、そのきっかけは、高校時代に大好きだった北村龍平監督のインディペンデント映画「VERSUS」の元ネタとして、監督自身が「サンゲリア」と「ハイランダー」を挙げていたからです。

ちなみに、「VERSUS」の予告編はこちら。
そのうち、高校時代の私をときめかせた中二病精神満載のインディペンデント映画「VERSUS」の紹介記事も書きます。

 

高校生の私は、「サンゲリア」って何? フルチって何? と興味津々になり、地元の大型家電屋のDVDコーナーで「サンゲリア」を見つけた瞬間、一か月分のお小遣いで即買いしました。

 

結果、現在でも私のゾンビ映画の教科書として「サンゲリア」は殿堂入りしています。

 

フルチ映画は、映画も面白いのですが、音楽もかっこいいのが多いです。

「サンゲリア」を一度でも見れば、特徴的な音楽の虜になって口ずさみ始めるでしょう。

【予告編】

【DVD】