絶対に見るべき映画11「緋牡丹博徒」

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

絶対に見るべき映画シリーズ第11弾は「緋牡丹博徒」(1968年)です。

 

「緋牡丹博徒」は、東映任侠路線全盛期に公開された、任侠映画の最高峰とも聞こえ高い、藤純子主演の女侠客ものの代表シリーズです。

一作目の内容は、かつて辻斬りに遭って父を殺害された九州熊本矢野一家の一人娘矢野竜子が、緋牡丹の刺青を入れて「矢野一家二代目緋牡丹お竜」を名乗り、仇を求めて賭場を渡り歩き、大阪のとある一家の対立抗争の相手が仇だと確信し、ついに復讐を果たす、というお話です。

 

任侠映画といえば、高倉健の「昭和残侠伝」、「日本侠客伝」、「網走番外地」、鶴田浩二の「博奕打ち」、北島三郎の「兄弟仁義」、菅原文太の「関東テキヤ一家」などのシリーズが有名ですが、任侠映画の頂点は藤純子の「緋牡丹博徒」とされています。

 

いかにも武骨で強そう(怒らせたら怖そう)なおっさんたちによる任侠映画は、どれだけ派手な殴り込みをしても「敵を皆殺しにして当然だよね」という、見た目の説得力があるため、要は当たり前な展開となります。

 

その一方、藤純子の「緋牡丹博徒」は、美しい女性が着物姿で小太刀を振り回し勇猛果敢に敵を倒していく様子が意外性を演出し、活劇を引き立てているのです。

 

強く優しく美しい女性が武器を取って戦う姿を見てときめかない男はいないでしょう。

萌えアニメなどが一切なかった銀幕時代の、「元祖萌えキャラクター」ともいえるのが、藤純子扮する「緋牡丹お竜」なのです。
現代でいうところの、「ギャップ萌え」ですね。

今でこそご高齢になってしまった藤純子ですが、当時22歳ということで、とにかくお美しいです。
こりゃあ、面白くないわけがないですよ。

 

脇を固めるのは、お竜さんがほのかな恋心を抱く二枚目役に高倉健、ひょんなことから舎弟になった待田京介、お竜にべた惚れな兄貴分に若山富三郎、お竜の少女時代からのお世話役に山本麟一、悪役に大木実と、当時の東映ではおなじみの豪華な顔ぶれです。

 

私が任侠映画に魅了され始めたのは、映像学科時代の3~4年生の頃です。

映像表現研究室に所属して、映画理論や脚本創作を専攻し、日本の名作映画を真剣に見始めた時期です。

映像学科1~2年の頃は、どちらかといえば香港のカンフー映画とイタリアの西部劇に傾倒していて、まだ日本映画はあまり見ていませんでした。

しかし、3年のシナリオ演習の中で黒澤明の「用心棒」を見たことで、どっぷりと昔の日本映画の面白さにはまり込み、抜け出せなくなりました。

「昔の日本映画ってこんなに面白かったんだ!」と、驚きの連続でした。

それで、片っ端から名作の任侠映画を見るようになりました。

 

最初はレンタルで済ましていたのですが、ちょうど東映がスペシャルプライスセールをしていたので、HMVのマルチバイ23%オフセールの合わせ技を狙って、超割引価格でまとめ買いを繰り返し、全部揃えてしまいました。

結果、私の大切な財産となっています。

 

ただ、映像学科時代、勉強のために古い名作映画ばかり見るようになったのですが、そうなると、だんだん独自の路線に行き過ぎて、他の人と映画談義ができなくなってしまいました。

普通の人は、古い映画なんて知らないので。

 

映像学科時代、同じ大学の芸術学部写真学科と工学部に高校時代の友人がいて遊び仲間だったのですが、もう話が通じなくなってしまいましたね。

写真学科の友人は生粋のアニメオタクで、私をオタクの世界に半分引き込んだ張本人なので、仲は良かったのですが、もともと特撮以外の映画をあまり見ないので話が通じにくかったです。
(オタクって、普通のアクション映画はあまり見ないのに、なぜか特撮だけは詳しかったりするのです)

工学部の友人は、もともと映画友達だったのですが、大学で非リア充のぼっちになったり病んだりする中で、いつの間にか濃いアニオタになっていて、映画の話が通じなくなっていました。

私は、絵を描くのが好きなので創作の手段としては二次元を志向しましたが、生粋の映画マニアであってアニオタではなかったので、実はこの友人との付き合いで、趣味が通じにくくなっていました。

 

鬼姫狂総本部の根幹が二次元美少女への興味なので、私が濃いアニメオタクのような印象を持つと思いますが、私は友人との付き合いで影響を受けていただけで、アニメオタクでもなんでもないのです。

 

高校までは漫画家に憧れてノートに漫画も描いていたのですが、絵と漫画が好きなだけで、オタクだと意識したことはなかったです。

やっぱり、根はずっと映画少年でした。

 

この「緋牡丹博徒」は、ものすごく好きな映画で、映像表現研究室の3年次の最終課題として任侠映画風現代劇「鬼神童女」を書いたきっかけになっています。

作中に出てくる露天商の若姐さんが、完全に藤純子をイメージしたものになっています。

恥ずかしながら、自己陶酔的な男主人公が出てきて、お凜様といい仲になりかけていますが、気分は高倉健や鶴田浩二になっていました。

中二病引きずり真っ只中なので、ラノベ主人公のごとき青臭い恋愛要素が入るのは仕方のないことです。

お凜様は理想のヒロインですから!

 

習作脚本「鬼神童女」シリーズを書いた時、研究室の中で私だけが美少女活劇をやっていたので、ものすごく浮いていてとても恥ずかしかったです。

理解者は、北海道出身の唯一の友人だけでした。
ゼミの先生は「俺、年食ってて萌えとかわからないから、なんてコメントしたらいいかわからない……」と苦笑してました。

もてないし、男兄弟で母親以外の異性と接点なかったし、完全に脳内妄想としての女の子を描いているので、女子学生が遠い目をしていました。

しかし、当時の私は、とにかく「かわいいんだ! これが娯楽なんだ! 見る者の心が癒されるんだ!」という一心で描いていました。

けれども、私の中高時代はオタク差別がひどくて迫害の対象だったので、ヒロインアクションが好きで描きたいものなのに、どこか、ためらいのような気持ちもあり、笑い者になるのが怖くておどおどしていました。

 

 

けれども、よくよく考えると、我々が萌えな二次元美少女に恋焦がれる感性は、当時、銀幕の女優に恋焦がれた感性とほとんど同じなのではないでしょうか。

 

 

二次元美少女はこの世に実在しませんが、銀幕の女優も日常生活ではまずお会いできない高嶺の花なのですから、まさしく偶像【アイドル】だったのですよ。

 

なので、藤純子の「緋牡丹博徒」を見ないままヒロインアクションを語るのは言語道断であって、「鬼神童女遊侠伝」の正式なルーツとして、紹介せずにはいられないのです。

 

自主映画がやれなくて、孤独に課題脚本「鬼神童女」シリーズを書き続けていたあの頃、「緋牡丹博徒」を見て、どれだけ癒されていたことか……。

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