どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。
絶対に見るべき映画第8弾は「ランボー」(1982年)です。
「ランボー」は、シュワルツェネッガーに並ぶ80年代から90年代を代表する暴虐筋肉アクションスターのシルベスター・スタローンの代表作です。
「異常に強い軍人が密林などでたった一人で敵を皆殺しにするコマンドアクション」の流れを作った歴史的に重要な位置づけにあります。
そんなコマンドアクション系の代表作である「ランボー」ですが、実は第1作では一人も殺していません。
お腹を空かせてとある田舎町にやってきたベトナム帰還兵のジョン・ランボーが、ただ食事をしたいだけなのに、地元の保安官から排他的に扱われて不審者として留置所にぶち込まれて拷問じみた嫌がらせを受けたので、ブチ切れて山籠もりをし、ベトナム仕込みのゲリラ戦で保安官を一人ずつ無力化していくというお話です。
ランボーが山奥の断崖に追い詰められて、独断でヘリからライフルで狙撃しようとする保安官に身を守るための威嚇のつもりで石を投げたところ、保安官はバランスを崩して谷底に転落して死んでしまいます。
ランボーは「これは事故だ。殺す意思はなかった」と戦闘停止を呼びかけますが、保安官は仇討ちとばかりに追撃を続けます。
「ランボー」で描かれる死者は、このヘリの転落だけです。
ランボーは一人も殺していないのですが、自分を殺しにかかる保安官や州警察、州兵を相手にブービートラップで無力化していく過程では、太い木の杭が太ももに突き刺さったりと、死にはしないけど痛すぎる生き地獄を味わわせています。
結局、山籠もりによってどんどん事態が大きくなり、国防総省から派遣されてきたかつての上官トラウトマン大佐が「周囲は完全に包囲されている。もう助かる見込みはない。投降しろ。戦いは終わった」と説得を試みますが、ランボーは「戦いはまだ終わっちゃいない。戦争は続いている」と絶叫します。
ランボーは、争うつもりなどまったくないのに、保安官たちが一方的に仕掛けてきたことだとして、投降の意思がないことを表明します。
そして、ランボーは、ベトナム時代の戦友が全員死んで独りぼっちなこと、本土では誰も助けてくれず、駐車場の警備員の仕事にすら就けなかったり、帰還兵に対する本国民の差別的な扱いに対する憤りを吐き、子供のように泣きじゃくります。
トラウトマン大佐は、事件の背後にある帰還兵の悲劇を知り、ただ黙って抱き留めるしかできませんでした。
ランボーは、最後は大人しく投降し、トラウトマン大佐の手により連行されていきました。
この「ランボー」は、ベトナム帰還兵の孤独を描いた反戦映画であり、どこか釈然としない空虚感と物悲しさが漂う終わり方をします。
「ランボー」というと、押しの一手の皆殺しアクション映画の筆頭のように語られていますが、それは「ランボー2」以降の印象が強いのです。
逆に、「ランボー2」から急に、東西冷戦の構造下のベトナム風の架空の某国で「捕虜の救出」を名目に現地兵を皆殺しにしたり、ソ連の特殊部隊スペツナズを全滅させたりと、完全な好戦映画となっていくのが不思議です。
では、戦争批判という社会的なテーマを除外して、アクション映画としてどちらの姿勢が楽しいのかといえば、「敵兵皆殺しの大暴れ」が最高に決まっています。
英雄的な主人公を見せる勧善懲悪物語を書く上では、「ランボー」シリーズは必修科目の一つです。
特に「ランボー2」「ランボー3」では、ソ連の大男との肉弾戦が必ず入るあたり、ヒーローアクションの基本がすべて詰まっています。
「ランボー」を見たことがない若い人は、今すぐに見ることをおすすめします。
民富田智明が個人的に好きなのは、「ランボー2」です。
【予告編】
一人も殺さなかったランボーが、
架空のアジア某国で現地兵とソ連兵を皆殺しにし、
アフガンでソ連兵を皆殺しにし、
ビルマで悪い軍事政権を皆殺しにします。
「ランボー4」の敵兵がごみ粒のように肉片と化すグロ描写は凄まじかったですね。
【DVD】