絵本の原画制作の仕切り直しと、漢字ドリルシリーズの集中完遂をします

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

原作絵本「鬼神童女遊侠伝/わらべを喰らう猫女」の制作が進行中なのですが、原画作業を一度振り出しに戻し、やり直そうと思います。
理由は、しばらく作業を寝かしている間に、何かが違うと思い始めまして、強引に進めないほうが完成度が高くなりそうだからです。

表紙は決定稿にしましたので、表紙の色塗りを先に仕上げてしまってから、原画の仕切り直しをします。

 

また、学習教材の漢字ドリルシリーズとの同時進行で集中力が分散しますので、漢字ドリルシリーズの小学校編を一気に卒業してしまってから、絵本の原画制作に全力を入れます。

ちまちまやらずに一気にやれば、たぶん7月中には漢字ドリルを完走できるはずなので、そのつもりでやります。

 

ところで、原作本編がB級路線なのになんで子供向け学習教材なんてお堅いものをやっているのかといえば、そこには少年時代の体験があります。

誰もが通る道かもしれませんが、大好きな映画や漫画を食い入るように見たり、ゲームに没頭していたりすると、「いつまでも遊んでいるんじゃない! ちゃんと勉強しろ!」と、親から叱られたものです。
レンタルビデオ禁止令やゲーム禁止令が出て、ひどくへこんで、逆に勉強したくなくなってふてくされたことが何度もあります。

世間一般的に、子供が勉強しないのを、大好きな娯楽作品のせいにされるのが心外だったので、「じゃあ、子供の教育の役に立つ作品を生み出してやるよ、文句あっか!」と、情操教育として勧善懲悪に特化した物語を描き、その派生で各種学習教材をやろうと思ったのです。

 

創作活動は、かなり高度な知的労働です。
勉強しないと、そもそも何を創ればいいのかわからず、土俵に立つ前に諦めることも多いのです。
ましてや、時代劇は歴史的教養が絡みますから、一筋縄にはいかないのです。
勉強逃れでクリエイター専門学校に進む子は多いのですが、最低限の技術は教わっても、「何を創るか」という一番大事な部分は見出せないまま、なし崩し的に諦めていくということが典型的な失敗として語られています。
時代劇を描くには、少なくとも、古典文学、歴史、民俗、宗教に関する基本書は読み込む必要があるので、読書力が必要です。
若者の本離れが叫ばれますが、本が読めないと資料研究ができないので、本格的な創作活動で不利になります。
そのような、大学レベルの本を読めるだけの教養を身に着けるには、結局、高校までの教科の知識が不可欠であったという事実に気づかされるものです。
なので、将来の作り手の基礎固めとして、子供たちに学習教材シリーズを使っていただきたいと思っています。

ファンタジーが好きで漫画や小説を創りたいという子たちには、人気児童文学「精霊の守り人」の上橋菜緒子が文化人類学者であったりする事実を示して、学校の勉強の大切さと、大学を目指す必要性を教えてあげることが大事なんだと、今では思います。

その考えが、鬼姫狂総本部の娯楽と教養の両立という活動理念に結びついているのです。

江戸城(皇居)を見学して、新宿紀伊国屋で民俗系の資料本を買ってきました。

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

久しぶりに東京の大型書店まで資料用の専門書を買いに行きたいと思いまして、電車でお出かけしてきました。
それで、よく考えると一度も江戸城(皇居)に行ったことがなかったので、桜田門から一通り散策してきました。
現在、世を忍ぶ仮の姿として道路を走り回る職業に就いている(職種や所属企業は伏せておきます)のですが、たまに江戸城周辺まで行くこともあり、そのうちちゃんと見学に行きたいと思っていたのです。

散策ルートは、有楽町線桜田門駅から皇居正門、坂下門を経て、東御苑に入り、本丸跡や天守台を抜けて、東西線竹橋駅に向かう、という形にしました。

めちゃくちゃ暑かったですけど、皇宮警察の詰め所でずっと立っている方々などを見て、熱中症で倒れないかどうか心配しつつ、外国人旅行者の多さに、「日本史上最大にして最後の征夷大将軍の居城」であり、「皇居」であるという、江戸城の存在感を再認識しました。

歴史愛好家なのに、意外と行かないんですよね、東京の史跡というのは。
東京は無機質なビルが立ち並ぶ人ゴミだらけの都会で、政治経済の中心地という印象なので、観光地という認識がないのです。
田舎のほうが好きですし。

電車で一時間も乗れば都心に出られるのですが、行く理由がなければ面倒くさいので行きません。
なので、あえて行こうと思わないと、江戸城見学は灯台下暗しのままでした。

外堀

意外と汚かったです。

桜田門

本丸跡

天守台

坂下門

皇居正門

 

石橋

東御苑

その他

江戸城は天守閣がないので、お城というよりも皇居の印象のほうが強くなっていますが、実際に歩いて回ってみると、石垣と堀の総構えの威容が肌で感じられ、ここに徳川将軍が住んでいたのだという事実に思いをはせるしかありませんでした。

 

江戸城散策を終えた後、東西線高田馬場経由で西武新宿まで行き、紀伊国屋に寄って資料用の専門書を物色しました。

入手した本は、以下の通りです。

「新版民俗調査ハンドブック」上野和男・高桑守史・福田アジオ・宮田登編 吉川弘文館

「歴史の中の家族と結婚」服藤早苗監修・伊集院葉子・栗山圭子・長島淳子・石崎昇子・浅野富美枝著 森話社

「日本民家のつくりと農山村文化」粟野圭司 奈良新聞社

3冊合わせて6,000円くらいのところ、紀伊国屋ポイントが1500くらいたまっていたので、ポイントを全部消化して4500円くらいになりました。

川越の紀伊国屋でしょっちゅう本を買うので、気が付くとポイントがたまっているという。

あと、前の休みの日にこんな本も買ってきました。

「『霊魂』を探して」 鵜飼秀徳 角川書店

「悩み事に振りまわされない『生活禅』の作法」枡野俊明 悟空出版

「映画秘宝EX 闘うヒロイン大図鑑」洋泉社MOOK

1か月のお給料のうち、書籍購入費がかなりあります。

買ったまま積読状態のものもあるのですが、本は、欲しいと思った時に買っておかないと二度と見つからないことも多いので、特に専門書の場合は見つけ次第買うようにしています。

景勝地や史跡の実地訪問と書籍の通読が積み重なることで、それが養分となり、空想時代劇「鬼神童女遊侠伝」シリーズはじわじわと成長していくのです。

創作活動のための引き出し拡張は、永遠に続くのです。

絶対に見るべき映画11「緋牡丹博徒」

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

絶対に見るべき映画シリーズ第11弾は「緋牡丹博徒」(1968年)です。

 

「緋牡丹博徒」は、東映任侠路線全盛期に公開された、任侠映画の最高峰とも聞こえ高い、藤純子主演の女侠客ものの代表シリーズです。

一作目の内容は、かつて辻斬りに遭って父を殺害された九州熊本矢野一家の一人娘矢野竜子が、緋牡丹の刺青を入れて「矢野一家二代目緋牡丹お竜」を名乗り、仇を求めて賭場を渡り歩き、大阪のとある一家の対立抗争の相手が仇だと確信し、ついに復讐を果たす、というお話です。

 

任侠映画といえば、高倉健の「昭和残侠伝」、「日本侠客伝」、「網走番外地」、鶴田浩二の「博奕打ち」、北島三郎の「兄弟仁義」、菅原文太の「関東テキヤ一家」などのシリーズが有名ですが、任侠映画の頂点は藤純子の「緋牡丹博徒」とされています。

 

いかにも武骨で強そう(怒らせたら怖そう)なおっさんたちによる任侠映画は、どれだけ派手な殴り込みをしても「敵を皆殺しにして当然だよね」という、見た目の説得力があるため、要は当たり前な展開となります。

 

その一方、藤純子の「緋牡丹博徒」は、美しい女性が着物姿で小太刀を振り回し勇猛果敢に敵を倒していく様子が意外性を演出し、活劇を引き立てているのです。

 

強く優しく美しい女性が武器を取って戦う姿を見てときめかない男はいないでしょう。

萌えアニメなどが一切なかった銀幕時代の、「元祖萌えキャラクター」ともいえるのが、藤純子扮する「緋牡丹お竜」なのです。
現代でいうところの、「ギャップ萌え」ですね。

今でこそご高齢になってしまった藤純子ですが、当時22歳ということで、とにかくお美しいです。
こりゃあ、面白くないわけがないですよ。

 

脇を固めるのは、お竜さんがほのかな恋心を抱く二枚目役に高倉健、ひょんなことから舎弟になった待田京介、お竜にべた惚れな兄貴分に若山富三郎、お竜の少女時代からのお世話役に山本麟一、悪役に大木実と、当時の東映ではおなじみの豪華な顔ぶれです。

 

私が任侠映画に魅了され始めたのは、映像学科時代の3~4年生の頃です。

映像表現研究室に所属して、映画理論や脚本創作を専攻し、日本の名作映画を真剣に見始めた時期です。

映像学科1~2年の頃は、どちらかといえば香港のカンフー映画とイタリアの西部劇に傾倒していて、まだ日本映画はあまり見ていませんでした。

しかし、3年のシナリオ演習の中で黒澤明の「用心棒」を見たことで、どっぷりと昔の日本映画の面白さにはまり込み、抜け出せなくなりました。

「昔の日本映画ってこんなに面白かったんだ!」と、驚きの連続でした。

それで、片っ端から名作の任侠映画を見るようになりました。

 

最初はレンタルで済ましていたのですが、ちょうど東映がスペシャルプライスセールをしていたので、HMVのマルチバイ23%オフセールの合わせ技を狙って、超割引価格でまとめ買いを繰り返し、全部揃えてしまいました。

結果、私の大切な財産となっています。

 

ただ、映像学科時代、勉強のために古い名作映画ばかり見るようになったのですが、そうなると、だんだん独自の路線に行き過ぎて、他の人と映画談義ができなくなってしまいました。

普通の人は、古い映画なんて知らないので。

 

映像学科時代、同じ大学の芸術学部写真学科と工学部に高校時代の友人がいて遊び仲間だったのですが、もう話が通じなくなってしまいましたね。

写真学科の友人は生粋のアニメオタクで、私をオタクの世界に半分引き込んだ張本人なので、仲は良かったのですが、もともと特撮以外の映画をあまり見ないので話が通じにくかったです。
(オタクって、普通のアクション映画はあまり見ないのに、なぜか特撮だけは詳しかったりするのです)

工学部の友人は、もともと映画友達だったのですが、大学で非リア充のぼっちになったり病んだりする中で、いつの間にか濃いアニオタになっていて、映画の話が通じなくなっていました。

私は、絵を描くのが好きなので創作の手段としては二次元を志向しましたが、生粋の映画マニアであってアニオタではなかったので、実はこの友人との付き合いで、趣味が通じにくくなっていました。

 

鬼姫狂総本部の根幹が二次元美少女への興味なので、私が濃いアニメオタクのような印象を持つと思いますが、私は友人との付き合いで影響を受けていただけで、アニメオタクでもなんでもないのです。

 

高校までは漫画家に憧れてノートに漫画も描いていたのですが、絵と漫画が好きなだけで、オタクだと意識したことはなかったです。

やっぱり、根はずっと映画少年でした。

 

この「緋牡丹博徒」は、ものすごく好きな映画で、映像表現研究室の3年次の最終課題として任侠映画風現代劇「鬼神童女」を書いたきっかけになっています。

作中に出てくる露天商の若姐さんが、完全に藤純子をイメージしたものになっています。

恥ずかしながら、自己陶酔的な男主人公が出てきて、お凜様といい仲になりかけていますが、気分は高倉健や鶴田浩二になっていました。

中二病引きずり真っ只中なので、ラノベ主人公のごとき青臭い恋愛要素が入るのは仕方のないことです。

お凜様は理想のヒロインですから!

 

習作脚本「鬼神童女」シリーズを書いた時、研究室の中で私だけが美少女活劇をやっていたので、ものすごく浮いていてとても恥ずかしかったです。

理解者は、北海道出身の唯一の友人だけでした。
ゼミの先生は「俺、年食ってて萌えとかわからないから、なんてコメントしたらいいかわからない……」と苦笑してました。

もてないし、男兄弟で母親以外の異性と接点なかったし、完全に脳内妄想としての女の子を描いているので、女子学生が遠い目をしていました。

しかし、当時の私は、とにかく「かわいいんだ! これが娯楽なんだ! 見る者の心が癒されるんだ!」という一心で描いていました。

けれども、私の中高時代はオタク差別がひどくて迫害の対象だったので、ヒロインアクションが好きで描きたいものなのに、どこか、ためらいのような気持ちもあり、笑い者になるのが怖くておどおどしていました。

 

 

けれども、よくよく考えると、我々が萌えな二次元美少女に恋焦がれる感性は、当時、銀幕の女優に恋焦がれた感性とほとんど同じなのではないでしょうか。

 

 

二次元美少女はこの世に実在しませんが、銀幕の女優も日常生活ではまずお会いできない高嶺の花なのですから、まさしく偶像【アイドル】だったのですよ。

 

なので、藤純子の「緋牡丹博徒」を見ないままヒロインアクションを語るのは言語道断であって、「鬼神童女遊侠伝」の正式なルーツとして、紹介せずにはいられないのです。

 

自主映画がやれなくて、孤独に課題脚本「鬼神童女」シリーズを書き続けていたあの頃、「緋牡丹博徒」を見て、どれだけ癒されていたことか……。

【予告編】

【DVD】

絶対に見るべき映画10「片腕ドラゴン」

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

絶対に見るべき映画シリーズ第10弾は「片腕ドラゴン」(1971年)です。

 

「片腕ドラゴン」は、ブルース・リー登場以前の香港映画の大スター、天皇巨星ことジミー・ウォング主演のカンフー映画です。

カンフー映画を語る上で、香港の大物ジミーさんの存在を無視することはできません。

 

「片腕ドラゴン」は、ジミーさん自らのショウブラザーズでの出世作「片腕必殺剣」のアイディアをカンフー映画に置き換えたものです。

この映画、ただのカンフー映画ではありません。

日本の名作ゲーム「ストリートファイター」シリーズに直接的な影響を与えたともいわれる、奇人変人だらけの異種格闘技戦が繰り広げられるゲテモノカンフー映画として、カンフーマニアの間では語り草になっています。

 

「鬼神童女遊侠伝」シリーズも、ジミーさんのゲテモノ魂が込められています。

 

内容は、とある武術流派の対立抗争の中で右手を切り落とされてしまった主人公ティエン・ロンが、秘術によって左手を岩をも砕く必殺の拳に鍛え上げ、復讐を果たすというお話です。

 

物語そのものは、どこにでもあるカンフー映画と同じ復讐ものです。

 

しかし、この対立抗争の中で登場するアジア各国から呼ばれた凄腕の格闘家が、色々とおかしいのです。

 

栓抜きを使わずにビール瓶の先を歯で食いちぎる韓国テコンドーの達人!
常に二人がかりで攻め立てるムエタイの達人!

風船のように体が膨らむチベットのラマ層!

逆立ちで歩き回るインドのヨガの達人!

牙の生えた沖縄の空手家!(牙を使うわけでもない)

 

本業の人脈(実はヤクザの顔役!)を活かしてゲテモノ映画ばかり制作してきたジミーさんの本領発揮は、このいい加減な、なんでもありな演出にあります。

 

70年代のカンフー映画なので、道場破りでの延々と続くカンフー場面がだれるところもあるのですが、逆に言えば、見せるべきもの(客が見たいもの)はうんざりするぐらいに徹底的に見せるという、世界一娯楽度の追及にシビアな香港映画の魅力と魔力がここに凝縮しているのです。

 

 

私がこの映画を見たのは、映像学科時代にジミー映画のDVDラッシュが始まったときです。
クエインティン・タランティーノのオタク映画「キル・ビル」のヒットの影響で、タランティーノが愛している70年代カンフー映画のDVDが矢継ぎ早に日本で発売されまして、その流れでカンフー大好きな私は片っ端から買い集めたのです。

キングレコードの「ショウブラザーズスタジオ黄金のシネマシリーズ」と「ゴールデンハーベストクラシック20」は、参考文献として、今でも私の財産です。

その中の一本が、「片腕ドラゴン」です。

映像学科時代のお小遣いのかなりの金額がDVDに化けましたが、悔いはないです。

 

かつて、一人暮らしなのにゲーセンに月3万つぎ込んでいると豪語した漫画家志望の高卒フリーターで中学の同級生の友人がいましたが、どちらが賢明なお金の使い方なのだろうかと、いまだに疑問に思っています。
「オタクたるもの博学でなければならない」と言うなら、専門書や先行作品を買い集めたり、取材旅行の費用に積み立てるのが優先だと思いますが……。
月3万あれば、年36万円も自由に使えるお金があるということですから。

親には大学に行けと言われていたのを、土下座して泣いて「大学行きたくありません。漫画家になりたいです」と、猛反対を押し切って高卒で小池一夫の漫画塾に行ったそうです。

私塾なので専門卒にもなりません。
とりあえず大学に進んで勉強しながら漫画を描き続けるという道もあったでしょう。
たぶん、彼の親もそれを望んだのではないでしょうか。
やはり、漫画家志望、ラノベ作家志望でよくある目の前の受験勉強逃れの口実だったのではないでしょうか。

「オタクたるもの博学でなければならない」という言葉と矛盾していますよね。
大学でテーマを掘り下げた上で、その実践として漫画を描けばいいのに。
今は何してるんでしょうね。
付き合いがなくなったのでわかりませんが、いまだに同人界隈の片隅で巨乳獣人エロをやっているんでしょうか。
彼には彼の人生があるので、一生獣人エロのキワモノで貫けばいいと思いますが。

自分の子供や孫に、「自分の作品だ!」と、胸を張って見せられますかね?

私は、子供や孫に語り継げる世界を創造したいです。

 

「時代劇が描けないなら現代にすればいい、女主人公が描けないなら男にすればいいだけの話じゃないか。何を悩む必要がある頑固ロリコンめ。お前さんのやっていることは何の価値もない、ただのオナニーであることに気付け。高卒フリーターの俺から言わせれば、親から学費を出してもらって勉強して楽して夢を叶えようなんてなめてる。高卒がどれだけ差別されて苦労するか知らないだろう。大卒というだけで優遇される。所詮世の中学歴社会なんだよ」

今なら、そっくりそのまま言い返してやりたいですよ。

じゃあ、大学行けばよかったじゃん、と。
そこまで言えるなら、働きながら通信課程でも行って大卒になればいいのに。
通信課程で大学に行く人、世の中たくさんいますよ。

こちとら、卒業研究で真剣にテーマと向き合っているだけですからね。

普通の現役大学生って、自費で行ってないですよね。
あの時の友人の上から目線のミクシィでの書き込みは、ほとんどの現役大学生を敵に回す発言なのですよ。

ちなみに、明治学院の心理学科でお世話になったある先生は、大学再受験の経験者でした。
「新卒で就職して営業をやったけど、3年で嫌気がさして退職した。それで、人の心に興味を持って、親に頭を下げてお金を出してもらって、学部1年から再受験して博士まで行って、今大学教員やってる」と。
たぶん、就職して相当嫌なことがあったんでしょうね。
一度就職しているという違いはあっても、通学制での学部再受験って横並び社会の日本だとかなり浮きますから、決断するまでにかなり悩んだと思いますよ。
私は心理学科を出てから就職しましたけど、4年目に入ったので、先生が再受験を決意した時と実質的な就業年数は並びましたね。

世の中、こういう遠回りな再受験組の大学教授もいるのがわかったので、再受験の私は心が軽くなりました。
落ちこぼれでしたけど。

時代劇とヒロインものは私の大学での研究テーマですからね、テーマから逸脱したらもはや卒業研究ではなくなりますから。
動力機械工学専攻の学生が突然微生物学で論文なんて書かないでしょう。

本気で研究している学生なら、自分のテーマのために死に物狂いになって論文を書くでしょう。
何よりも優先して研究資料を集めるでしょう。
それと同じなのですよ。
大学に行ってない人に自分の研究テーマを侮られてオナニー呼ばわりされて怒らない人なんていないでしょう。
卒業研究って、教科書も何もないですからね。
大学の勉強が「楽」って、どういう基準でしょう。

なんとなく大学に行って、ついていけなくてドロップアウトする人、たくさんいますよ。

それでも、大学受験をし、単位を取り、卒業した点で、優劣はあれどひとつの壁を突破した人たちです。
費やしている時間と投資額が違うのですよ。

だから、元を取るべく、何とかして結果を出さなくちゃいけないのですよ。

 

学生時代に学んだこと、全部、鬼姫狂総本部の活動にいかしてますからね。

 

 

大学に行けという親の意見を蹴ってまで受験逃れで高卒フリーターになって、行き着いたのが獣人エロ。
一度彼のアパートに遊びに行ったことがありますけど、参考文献らしいもの、まったく置いてなかったですよ。
文化人類学の関連書くらいは積み重なっているくらいでないと、対外的には「獣人専門家」とは認められません。
オナニーなのはどちらでしょうか。

 

勉強のための資料にお金をかけない人って、まず成功する人はいないと言われています。
理由は、自己投資すら習慣化できていないからだそうです。
図書館やレンタルDVD、ウィキペディアなどのネットの無料記事に頼りきりな人は貧乏性が染みついており、大きい投資ができないそうです。
だから、結果的にチマチマとしたことしかやれないのだとか。

 

私は、結果的に学問としての民俗学の道に進むことはできなかったため、関連書籍を自分でせっせと買い集めて、自主的に知識補充をしています。
日程の都合で一度も総会に出たことがないにせよ「世界鬼学会」にも加盟していますし、鬼女紅葉伝説の残る信州戸隠鬼無里の実地訪問もしています。

鬼姫狂総本部は、本当に「鬼屋」として専門業者になりたいのですよ。

そのためなら、どんな先行投資でもします。

 

10年くらい前に書かれたことをいつまで根に持っているんだよ、と思う人もいるでしょう。
でも、あれほど悔しい気持ちになったことって、ないですから。
何が何でも一旗揚げてやると心に決めた瞬間でした。
今の私の原動力になっています。

 

 

 

話はずれましたが、「片腕ドラゴン」は、映像学科時代に、目先の遊びへの欲を抑えて決死の思いで買い集めた映像資料のうちの一つです。

映像学科を卒業して8年経った今でも、学生時代の蓄積として棚に保管されています。

 

「片腕ドラゴン」のノリは、私の「鬼神童女遊侠伝」シリーズに継承されています。

まだまだ無名でなかなか注目されず、売れないのが悩みですが、人知れず法律上の権利を掌握し、自分が主導権を握るための独占市場を確立する野心に向けて、水面下で着実に基礎工事を続けています。

 

ジミーさんがゲテモノ映画の制作で実業家として成功したのと同じく、私も「鬼神童女遊侠伝」シリーズで専門ジャンルを築き上げることを10年来の大志としています。

 

「片腕ドラゴン」を見れば、批評家に無視され、賞レースから逸脱するようなゲテモノ企画でも成功できるという確信を得られ、勇気が出てきます。

ジミー映画は、日本に入ってないものを含めると、本当にゲテモノばかりですからね。
でも、ゲテモノばかりやってもポルノには手を出さないというのが、ジミーさん(本業ヤクザ)の娯楽としての信念を感じます。
ポルノに手を出したら、子供に見せられないですから。
ゲテモノかもしれないけど、全年齢で誰でも楽しめる、それが本当の娯楽です。

 

学生時代のエピソードがはさまりましたが、「片腕ドラゴン」を見たことがない人は、ぜひ見ることをおすすめします。

 

【予告編】

【DVD&BD】

絶対に見るべき映画9「サンゲリア」

どうも、同人結社創作信仰鬼姫狂総本部 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。

絶対に見るべき映画シリーズ第9弾は「サンゲリア」(1979年)です。

 

「サンゲリア」は、70年代から80年代の空前のゾンビ・ホラー映画ブームの中で公開されたゾンビ映画のひとつで、イタリアンホラー界の巨匠ルチオ・フルチの代表作です。

ウジやミミズが這い回る、とにかく汚い腐乱ゾンビが象徴的です。

 

内容は、カリブ海のとある島で、死者が蘇って生者を貪り食い、噛まれた生者も人食いの屍となるという恐るべき現象が発生しまして、島の診療所で研究を続けるメナード医師と、そこに居合わせた新聞記者ら数名が、次々と生ける屍に追い詰められていくというお話です。

 

「サンゲリア」の内容そのものはよくあるゾンビものなのですが、そのゾンビの中に、やたらと個性を主張してくる、一度見たら忘れないやつが混じっております。

 

冒頭、ニューヨーク湾で漂流するクルーザーに警官が踏み込んだところ、やたらと太った巨漢のハゲゾンビが襲いかかります。

このハゲゾンビ、そのインパクトがあまりに大きかったのか、ポスターやビデオジャケットにも大写しで描かれていたりします。

 

中盤、カリブ海のきれいな海で、褐色肌の女性がトップレスにTバックというエロい格好でダイビングを始めたところ、サメが襲いかかってきます。

冷めに驚いたのも束の間、サメを狙って海中ゾンビが現れて、サメと取っ組み合った末にサメに食らいつきます。

女性は慌てて海中から船に上がりますが、本筋とまったく関係なく、素潜りでサメと格闘する海中ゾンビの活躍に大興奮です。

 

中盤、何を血迷ったのか、朽ちた古い墓地の中で唐突にいちゃつき始めた主人公の新聞記者の前に、例の腐乱ゾンビがご尊顔を披露します。

この腐乱ゾンビが「サンゲリア」の象徴としてポスターやビデオパッケージになっているのですが、ウジやミミズがヌルヌルモゾモゾとうごめいていて、気持ち悪いったらありゃしない。

 

そうこうしているうちに診療所に立て籠もっての籠城戦になり、即席の火炎瓶とわずかな弾数の拳銃とスコップなどの適当な道具を武器に、人々はゾンビに立ち向かいます。

しかし、一人、また一人とゾンビの餌食となり、主人公の新聞記者とわずかな生き残りだけが船で脱出します。

 

命からがら脱出して沖に出たところ、ゾンビに噛まれて負傷した一人がゾンビ化してしまい……。

 

一方、ニューヨークでは、巨体のハゲゾンビに殺された警官からゾンビの増殖が始まり、ゾンビだらけになっていました。

 

「サンゲリア」は、よくあるゾンビ映画の基本フォーマットが如実に現れています。

 

  • 謎の奇病によって死体が蘇って人を食い始めてさあ大変。
  • 孤島や山荘やキャンプ場に複数の人々が居合わせており、そこにゾンビが襲いかかる。
  • ゾンビはのそのそと歩くだけなので、遠くまで走って逃げれば無事なはずなのに、なぜか籠城したがる。
  • 案の定、ゾンビに取り囲まれて門や窓を突破され、一人ずつ食い殺されていく。
  • わずかな人々が脱出して生き残るが、すでにゾンビ化現象が蔓延していて……。

 

だいたい、ゾンビ映画のパターンはこんな感じですね。

下手に籠城するからゾンビに食われるのに、みんな籠城したがるのがゾンビ映画です。

主人公たちを閉鎖空間に追い詰めないと、脚本が描けないからなんですけどね。

 

この「サンゲリア」をDVDで買ったのは高校時代なのですが、そのきっかけは、高校時代に大好きだった北村龍平監督のインディペンデント映画「VERSUS」の元ネタとして、監督自身が「サンゲリア」と「ハイランダー」を挙げていたからです。

ちなみに、「VERSUS」の予告編はこちら。
そのうち、高校時代の私をときめかせた中二病精神満載のインディペンデント映画「VERSUS」の紹介記事も書きます。

 

高校生の私は、「サンゲリア」って何? フルチって何? と興味津々になり、地元の大型家電屋のDVDコーナーで「サンゲリア」を見つけた瞬間、一か月分のお小遣いで即買いしました。

 

結果、現在でも私のゾンビ映画の教科書として「サンゲリア」は殿堂入りしています。

 

フルチ映画は、映画も面白いのですが、音楽もかっこいいのが多いです。

「サンゲリア」を一度でも見れば、特徴的な音楽の虜になって口ずさみ始めるでしょう。

【予告編】

【DVD】